昭和28年(1953年)3月23日に18歳の誕生日を迎えた私はその日に高校の卒業式を迎え、4月には短大生となりました。

その後学部はいくつも増えましたが、当時は英文科と国文科、家政科の3つしかありませんでした。私は勿論英文科。クラスの人数は多くて60人くらいいました。
高校では都内の人ばかりでしたが、今度は日本中のいろいろな県からの人がいてそれがとても新鮮でした。学校の寮や教会関係の寮から通う人、親戚の家に寄宿する人、近県から通学する人など様々でしたが、すぐに仲良しの友達も出来、楽しい毎日が始まりました。

ずっと疎遠だった小学校、中学校時代の男の子達もそれぞれ大学生になって落ち着いたため、自然に交流が始まりました。
特に最初の中学で英語部だった仲間はみんな成績の良い子が多かったので、T君は早稲田の政経、Oくんは同じく早稲田の商学部、歯医者の息子だったKくんは信州大学の医学部などにストレートで入学していました。

みんな家が近いので、本の貸し借りなどで行き合うようになり、時にはみんなで集まってハイキングに行ったりするようになりました。
女子では一人日本女子大へ行った人がいましたが、ほかはほとんどお勤めです。

ある日T君の家に本を返しに行ったら、そこに優しげな雰囲気の背の高い慶応ボーイがいました。上野高校で一緒だった親友とのこと。
帰り道が一緒で、途中に私の家があるのでそこで別れましたが、それ以来彼は時々立ち寄るようになり、ある日映画に誘われました。
人生初のデートです。

当時銀座で喫茶店と言えば学生にとっては数寄屋橋の角にある不二家が定番。日本でおそらく初めてカフェオレを出したお店です。
普通のコーヒーカップより大きなカップにたっぷり入ったカフェオレにホットケーキが当時はオシャレだったのです。

ほかに「田園」とか「らんぶる」といういわゆる純喫茶もありましたが、いつもクラッシク音楽が流れ、髪の毛をかきむしっているような暗い学生がいる雰囲気で、私は敬遠していました。

その慶応大法学部の彼と何度目かのデートで浜離宮へ行った時初めて手を握られて、心臓が破裂しそうでした。まるで宙を歩くようなふわふわした気分で家に帰り、さっそく祖母に報告しました。母にはなぜか恥ずかしくて言えませんでした。
彼からはひんぱんに手紙が来るようになり、私もよく書きました。
(当時はまだ電話もない家がほとんどで、手紙が唯一の通信手段でした)
そして夏休みのある夜、一緒にT君の家を訪ねた帰り道、隅田川のほとりで初めてキスをしました。

いつもアメリカ映画で女性が上を向き、男性が優しく女性の肩を抱いて下を向いてキスをするシーンを見ては憧れていたので、私は天にも昇る気持ち。一気に彼への恋心に火がついたのでした。
私の初恋です。