高校生時代は新しい校舎も完成し、授業も選択科目が多くなって中学時代に比べるとぐんと成長したような気分になりました。



文化祭などで訪れる男子校の生徒と知り合って文通など始める人も中にはいましたが、私も含めてほとんどはまだ男の子には興味がなく、もっぱら後輩からもらうラブレターめいたものを嬉しがって、盛んに手紙のやり取りなどしていたものです。
私の学年は3年下に妹のいる人が多く、けっこう中学部の子たちとの交流も多かったのです。

クラスの中は自然に「洋画好き」「ヅカファン」「6大学野球ファン」に大きく分かれ、私は勿論洋画グループでした。
スターも監督もキラ星のごとく揃っていた時代なので米・仏・伊と名画が次々封切られ、毎週のように映画館へ行っていました。
今でもそうですが、銀座・有楽町界隈は映画館の巣のようなもので、必ずどこかしらで観たい映画を上映していたのです。

宝塚は越路吹雪、久慈あさみ、音羽信子、南悠子、淡島千景などが活躍していた時代。

今はもうありませんが、浅草の国際劇場を根城にするSKDのファンもいて、川路龍子、小月冴子のコンビに夢中になっていました。



6大学はやはり慶応ファンが多く、よく神宮球場へ付き合わされたものです。

自宅へ帰ると酔っぱらった父親がいて店番が待っている私にとって、学校は本当に楽しい場所でした。
父からいやなことを言われて泣く夜もよくあったのですが、腫れた目を眼帯で隠してでも学校は休みませんでした。

当時は登校拒否なんて聞いたことがありません。
私にとってはむしろ「帰宅拒否」をしたかったくらいでした。

演劇部も楽しくて、上演が近くなるとギリギリまで学校に残って練習し、その頃に出来たばかりの上智大学の聖イグナチオの塔を眺めながら四谷駅までみんなと歩いて帰ったことを思い出します。