私が転校した学校はどこも私立の学校はそうであるように、先生方の多くは卒業生なので女性の先生が多く、母娘や姉妹,従姉妹などが年を経て同じ先生に習うことも珍しくはありませんでした。

そのため何となく家庭的な雰囲気で、高校まであるせいかのんびりした学校でした。でも当時多かった良妻賢母型の教育ではなく、社会に出て活躍するような女性を育てるのがモットーだったようで、先輩には婦人活動家や教育者、芸術家、その他リーダー的な人が多いです。

そのためか英語教育には力を入れていて、女性のアメリカ人の先生が2人いて、そのうち赴任したばかりの若いミス・ワイエットが私たちのクラスの担当でした。
肩まであるふんわりとしたブラウンの髪、白いブラウスにピンクのカーディガンを肩から羽織り、チェックのプリーツのスカート姿の彼女はいっぺんでみんなの憧れの的となりました。
みんなその先生と話したいがために懸命に英語の勉強をしたものでした。

彼女は日本語は全く出来ないので、発音なども言葉ではなく、実際に口や舌を動かして見せては何度も練習させました。お陰でRで始まる単語(例:right、writeなど)は口をすぼめてウーと言ってから発音すると出やすくなるとか、Lで始まる語(ligft、lineなど)は舌の先を上の前歯の裏に当ててから発音とか、何度も練習してはネイティブの発音になるように訓練してくれました。

歌も沢山教えてもらいました。
一番最初に教えてもらったのが"White Christmas" 。
今でもビング・クロスビーのこの歌を聴くと、あの中2のクラスと優しかったミス・ワイエットを懐かしく思い出します。

部活などまだなかった時代ですが、生徒たちが自分たちでしたいことをグループを作って始めていたので、いろいろな活動があり、私はその中の「演劇部」に入りました。
これは高校を卒業するまでずっと続き、とても楽しかったです。

仲良しの友達も何人も出来、その友情は高校を卒業してからも、更に社会人となり、結婚して子育てが終わり、みんながおばあちゃんになった現在までもずーっと続いています。
そのうちの多くはすでにもうあの世へと旅立ってしまいましたが。

こんな風に私は新しい学校でも好きな英語の勉強に励み、毎日を楽しく送っていたのですが、中学3年生になったばかりのある日、登校したら校舎が全焼して、なくなっていました。