中学校の毎日はいやなことばかりでもありませんでした。
それはローマ字の勉強から興味を持った英語の授業が新しく始まったからです。
と言ってもそれまでは敵性語と言われていっさいの英語の言葉や文字が排除されて来たくらいですから、絶対的に足りないのが英語の先生です。

私たちの中学も最初のうちは専門の先生が見つからず、国語が専門の教頭先生が英語の授業を担当していました。
その時の英語の教科書の1ページ目を今でも覚えています。

I am Tom Brown.
I am a boy.
I am an American boy.

全員三省堂の英和辞典を買うように言われ、朱色の表紙のそれを買いました。
分からない単語はそれで調べ、発音記号も覚えました。

発音記号は専門の男の先生が一人いて、毎回テストがありました。
5センチ四方くらいの紙が授業の前に配られて、発音と文字で書くテストが毎回ありました。

その後何年も経ってから、中学校の英語の教科書には後ろの方に,出て来る単語は全部リストになって意味が書いてあるようになり、生徒は辞書を引かなくても済むようになりましたが、これは「百害あって一利なし」だと私は思いました。

辞書で調べると一つの単語にいくつもの意味があることを知ったり、その前後にある単語が自然に目に入って来たり、例文が書いてあったりで、単語の意味だけでなくいろいろなことが学べるという良さがあるのです。
最初からあの分厚い辞書を引くことに慣れた私たちは、とてもラッキーな世代だったと思います。

一緒に通学していたモーニャンも英語は大好きだったので、二人で相談して夏休みに英語の本を買ってきて辞書を引きながら日本語に訳してみよう、ということになり、神田へ本を探しに行きました。
そして挿絵のきれいな本を見つけ、童話か何かだろうと買って来ました。

まだ文法もろくに知らない習いたての英語に、それはとても大変な作業でした。
モーニャンのお父さんは成城学園という学校の英語の先生なので、分からない所は教えてもらえると思っていたのに、その頃病気がちで休んでおられることが多く、なかなか教えてもらえません。

それで二人で四苦八苦しながら辞書がまくれてしまうほど引いては、ノートに日本語を書いて行きました。

それはエジプトのお話で、王妃が出て来たり、赤ちゃんが葦で作った箱のようなものに乗せられて川の流れて行く、みたいな内容で、難しい割にあまり面白くなくて後悔したものでした。

このノートはずいぶん後になるまで取ってあったのですが、その後の度重なる引っ越しでいつの間にかどこかへ行ってしまいました。

今思うと、それはモーゼが赤ん坊の頃の話で、命を助けるために川に流されたのをエジプトの王妃が助けて育てる、という内容だったようです。
まだ習ってもいない、動詞の過去形、過去完了などが出て来ていたのですから、まだ英語習いたての1年生には難解で当然です。無謀なことをしたものです。

でもお陰で辞書を引くのがとても速くなり、沢山の単語を覚えることが出来て後々の英語の勉強にはとても役に立ちました。