昔は東京は「山の手」と「下町」の区別がはっきりしていて、大雑把に言えば山の手は住宅地、下町は商業地でした。
いわゆる「江戸っ子」というのは東京人の代名詞のように言われますが、これに山の手の人は含まれません。

下町で生まれ育った江戸時代からの住民で、職業は商売人か職人、飲食業がほとんどでした。親子3代が東京の下町生まれ育ちなら、正真正銘の江戸っ子です。

私たちが住んだ町はその下町。庭がある家など一軒もありません。
お風呂はみんな銭湯です。言葉も威勢がよく、「ひ」と「し」が逆になると言うのは有名です。たとえば「朝日新聞」なら「アサシヒンブン」と言う具合です。

その後テレビが生まれて常に標準語が使われるようになり、地方からの若者が続々と上京して住み着くようになってからは、山の手&下町の区別や言葉遣いの違いはだんだんなくなってしまいました。
今どきアサシヒンブンなんて言う人は誰もいないでしょう。

私たちが鉄砲洲に住み着いて間もなくの頃、とても怖いことがありました。
ある晩外でドスンドスンという鈍い音がするので2階の窓からのぞいて見ると、隣りの区役所の出張所の前にある赤いポストの前で着物を着た男の人がGIに殴られているのです。(GIというのは進駐軍の兵士のことです)
その男の人は殴られるたびにポストに叩きつけられて着物の前がはだけていました。見ているだけで恐ろしくて震えが来ました。
家の戸にはしっかりと錠をかけて家の中で息をひそめていました。

しばらくするとジープが何台か走り回る音がして、GI達の歓声や口笛が聞こえて来ました。交番のお巡りさんはどうしているのか姿が見えません。
1時間くらいして周りは静かになりましたが、彼らは酔っぱらっていたのかもしれません。その後どうなったかは知りませんが、恐らく厳しい罰を受けたことでしょう。

進駐軍にはそのような恐ろしいこともありましたが、彼らの放出物資というのが時々配給になり、それはとても有難かったです。
6ポンド缶という大きな缶にいっぱいのマーガリンが届くと、同じく配られた真っ白な乾パンを二つに割ってそれを塗り、貴重な白砂糖をちょっぴり乗せると、こんなにも美味しいものが世の中にあったかと思えるほど幸せで、大事に大事に食べたものです。

チーズが配られたこともあり、下町の人は見たこともないものなので石鹸だと思い、使ってみたけどちっとも泡が出なかった、と言う話も聞きました。
野坂昭如さんの作品に「アメリカひじき」というのがありますが、それと同じです。
野坂さんが子どもの頃神戸にも空からパラシュートで食品が配られたそうで、袋を開けてみたら「黒くちじれた乾燥したもの」が出て来たので、これはアメリカのひじきだろうと煮てみたけど、まずくて食べられなかったと。
後で分かったのは、実はこれは紅茶だったそうなのです。