父が出征して我が家は母との二人暮らしになりました。

私の中耳炎は何度か医者に通ううちにいつの間にか治っていました。

相変わらず警戒警報と灯火管制は毎晩のことでした。
食べ物もみんな配給で、母は埼玉県の清瀬にある知り合いの家によく買い出しに行っていました。

父からは一度だけハガキが来て、北支方面へ行くとだけ記されていました。(後に聞いた話では、半数は南方の島へ派遣されたとのことなのでどうなったことでしょう)

その頃我が家に高崎から来た母娘のお客さんがありました。
Sさんという人で、そこのご主人と私の父は大学での親友ということでした。
娘さんは私より二つ年上で名前はミチコさん。
この年国民学校を卒業し、東京の川村女学園という女学校を受けたら合格したので、4月からそこへ通わせたいからうちに住まわせてほしいということでした。
親同士の間では前から話が決まっていたようです。

ミチコさんも一人っ子。
私はお姉さんが出来たようで大喜びでした。
しかし彼女がその後うちに一緒に住んだかどうかは記憶にないのです。
でもちょっと変わった川村女学園のセーラー服を見た記憶はあるので、短い間だけいたのかもしれません。

4月に東京でかなり大きな空襲があったので、もしかしたら高崎へ帰ってしまっていた可能性もあります。

その後5月になって、私と母は逆にその高崎のSさんの家に住むことになります。