父に2回目の召集令状が来たのは3月に入ってからでした。

甲府の連隊に入隊するようにとのことなので、また「即日帰郷」かも知れないからと、母と私も一緒について行くことにしました。

朝早い入隊なので前の日から泊りがけで出かけましたが、同じような思いの人たちですでに町なかの旅館はどこも満室。
ようやく1軒の宿屋に頼み込んで、狭い布団部屋を一間空けてもらってようやく親子3人で泊まることが出来ました。
窓のない暗い小さな部屋でした。

もしかしたらこれが最後になるかも知れないと、父と2人でお風呂に入りました。温泉ではないので狭い風呂場で、木製の浴槽だったことを覚えています。

翌朝父を送った後、鉄網の張られた敷地の外で父が戻って来るのを待ちました。周りには同じ思いの家族たちが大勢待っています。
どのくらい待ったでしょうか。

兵舎から国民服のままの兵隊たちが大勢隊伍を組んで行進して出て来ました。
ゲートルを巻いた足元を見ると全員地下足袋です。

子ども心に「ああ、もう靴がないんだな」と分かりました。
家庭の鍋釜やお寺の半鐘まで鉄の物は全部供出させられ、溶かして鉄砲の弾を作っていた時代です。もう兵隊に配る鉄兜も皮の軍靴もなかったのです。

母と目をこらして父がいるかいないか、必死で探しました。
いませんように!と祈りながら。

でも、いました。
間違いなく戦闘帽を被った父が行進してやって来ました。
その途端、母はへなへなと地面に座り込んでしまいました。
しばらくは下を向いたままでした。

どのくらい時間が経ったでしょうか。
周りの人々はいつのまにか減っていました。

母とふたり、がっかりした思いで駅へ向かい、家路につきました。
すると途中のどの駅にも薄汚れた顔をし、焼け焦げた服装の人々がいます。みんな疲れ切った顔をしていました。

家に帰って来て分かりました。
その日は昭和20年3月10日。
前の晩東京の下町方面で、あの東京大空襲があった日だったのです。