疎開先の旅館で同室になった子たちの中に特に親しかった子はいなかったと記憶しています。
いつも仲良く遊んでいたのは近所の子どもたちで、みんな年齢が上だったり下だったりでした。同級生で仲良しだった子はみんなちょっと離れた所に住んでいました。
おそらく最初に入学した新井国民学校時代に仲良くなったからなのだと思います。

知らない子ばかりの同室の6人の中にひとりWさんというボスがいました。トイレが近いのか夜中に起きて行く時怖いらしく、必ず誰かを起こしてお供をさせるのです。
誰でも夜中にトイレへ行くのは怖いので断りたいのですが、有無を言わせないところがあり、みんな昼間意地悪されるのがいやで渋々お供するのでした。私も何度かさせられたことがあります。

しかもその子はオネショもよくするのです。
そういう時はそれを見回りの先生には別の子がしたようにうまくごまかしたりしていました。
WさんにはTさんという仲良しがいて、その二人に私も危うく泥棒にされかけたことがあります。

窓際の廊下のような板の間のはずれには何段かの棚が作ってあって、そこにそれぞれの洗面道具が並べてあります。
ある日私がどこからか戻って来て部屋の入口に立った時、ふたりがその洗面具の棚の前にいて、「これはあんたの?」と櫛を見せました。
私のにそっくりだったので「そうよ」と答えると二人は意味ありげに目を見合わせ、「やっぱりね」と言いました。

「やっぱりあんたが盗ったのね?これは〇〇さんの櫛よ。あんたの所に入ってたけど」

慌てて近くに寄って見ると自分のではないことが分かったので、急いで否定し、よく似てたので間違えたと言ったのですが、ふたりはニヤニヤして目を見合わせています。
その後みんなに「本多さんはドロボーだから気をつけなさい」と言ったかどうかは定かではありませんが、私は悔しくて悲しくてなりませんでした。

翌日までその落ち込んだ気持ちが続いていたので、その日私は仮病を使って学校を休みました。
みんなが出て行って部屋に一人だけになった時、板の間に置いてある先生の机の引き出しを開け、みんなの成績表を調べました。
WさんとTさんの成績は最低でした。

とたんに気持ちが明るくなりました。
なーんだ、あの二人こんなにバカだったんだ、と思ったとたん「いじめられた気分」が吹き飛んで、彼女たちを全く恐れなくなったのです。
今の言葉で言えば「マウントを取った気分」とでも言うのでしょうか、その後何も言ったわけではありませんが、二人からの私へのイジメはなぜか一切なくなりました。

今思うとバカバカしいような話ですが、子どもがいじめられた時ってこれくらいのことでも打ちのめされるのではないかと思います。
ずる休みをして二人の成績を調べるなんて、決して褒められたことではありませんが、一人で何とか苦境を乗り越えようと知恵を働かせたのではないでしょうか。最初から計画してずる休みをしたのかどうかは覚えていませんが、もしそうだとしたら逆に相当したたかですよね。