校庭に集合して福島へ出発したのは「9月」という記憶があります。
おそらく新学期の始まる9月1日だったと思います。

飯坂温泉は下に大きな川が流れる崖沿いに旅館が並んでいました。
表の通りから見ると2階建てくらいですが、川の方から見ると5階か6階建てになっています。
つまり道路に面している3階か4階くらいが玄関で、中へ入ると客室は下の方へ降りて行くようになっていて、一番下の1階が浴室になっていました。

大広間は何階だったか覚えていませんが、そこでの歓迎会が終わると学年別、男女別の部屋割りがされ、私たちの部屋は入り口に2畳くらいの小部屋がある6畳間でした。
外に面したガラス戸の手前には幅の狭い板の間があり、見下ろすと下には大きな川が流れていました。

その部屋に6人が頭を突き合わせて3人ずつ2列に寝るようになっていました。
布団の上げ下ろしは2畳の間にある押し入れからそれぞれがするようにと言われ、家では母親にやってもらっていたことをその夜から自分ですることになり、にわかに親と離れたことを実感させられたのでした。

夜になり、電気が消されてそれぞれ布団に入りました。
急に寂しく悲しくなり、涙が出て来ます。布団をかぶって必死に涙をこらえていると隣りの布団からしくしく泣く声が聞こえて来ました。
みんな同じ気持ちなのです。

あちこちから同じような声が聞こえて来ていましたが、いつの間にか泣き寝入りをしたようです。
4年生でもそうだったのですから、3年生はもっと泣いたことでしょう。

翌日はそこで通う町の国民学校へ連れて行かれました。
学校は川を橋で渡って、15分か20分歩いた所にありました。
どんな授業を受けたか全く覚えていません。
覚えているのは、からからに乾いた大豆の束を棒でたたいて殻から実を出す作業をしたことだけです。

食事は全員大広間に集まってするのですが、ごはんは茶碗の底の方にほんの少しだけ。いもづるも人参の葉もとてもあくが強くて食べられたものではありませんが、我慢して涙を流しながら食べました。
何を主食にしていたのでしょうか。
小麦粉もなかったと思いますから、多分じゃがいもとかさつまいも?
あるいはカボチャだったかも知れません。

旅館ですから普通のお客さんも泊まっています。
仲居さんが白いご飯がよそわれた茶碗をお盆に乗せて運んで行くのを、どんなに羨ましい思いで眺めていたか、その思いだけは覚えています。