学生寮は4人用の部屋が二つ、間に共用スペースを挟ん並んでいて、その8人が一つのグループを作り掃除当番などを決めていたそうです。



その中で暴力事件が起き、息子を含む4人がその当事者として10日間の自宅謹慎を言い渡されました。
学校から電話があり、すぐ迎えに来るようにとのこと。夫はカンカンです。仕方なく私が行きました。先生からは散々お説教をくらいました。
しかしその高校では教師からの暴力もかなりあったようです。
今から50年前は親や教師の暴力は「しつけ」の一言で済まされる時代でした。それがどんなに理不尽であっても。

「もう一度同じことをしたら退学です」と言われ、暗い気持ちで家に連れ帰りましたが、その時に言った息子の言葉が忘れられません。

「俺は物事を解決するのに暴力しか習ってない」

胸を突かれる言葉でした。

私にとっては生まれて初めて体験する不祥事。悲しくてたまりませんでしたが、息子の制服のポケットから出て来たよれよれになったフリカケの小袋を見た時に何故か息子の寂しさと孤独感が胸に迫って来て、一人で泣いたのを覚えています。

謹慎期間が終わって息子は学校へ戻り、無事夏休みを迎えました。

その頃我が家は北軽井沢に小さな山荘があって、夏休み中はずっとそこで過ごすのが毎夏の楽しみとなっていました。(私たち夫婦の仕事は翻訳でしたから、仕事を持って行けたのです)

東京ではいつもイライラして怒りっぽい夫も、緑豊かな涼しい高原にいる間は比較的穏やかで、東京では他人の訪問を嫌うのに、そこでは喜んで迎えるので毎年子どもたちの従兄や私の友人たちが子どもを連れてよく泊まりに来ました。

その年も学校が夏休みになるとすぐ山荘へ出かけたのですが、息子は友達の家に泊まると言って一人東京に残りました。

夫が仕上げた原稿を東京へ届けに行って不在のある日、見知らぬ男性から電話がかかって来ました。


うちの息子とその方の息子と二人が無賃乗車をして新潟で警察につかまり、保護されていると言うのです。私は血の気が引く思いでした。

夫が留守と知るとその方は「私が二人を迎えに行って来ますよ」と言ってくださって、息子は無事北軽井沢までやって来ました。ひとり東京へ残ったのはこのためだったと分かりました。



これは絶対夫に知られてはならない、と息子にも言い含めました。またどんな怒りが爆発するか分かりませんから。

たしかその年の夏、今では伝説となっている吉田拓郎やかぐや姫等によるつま恋での野外コンサートが行われ、息子たちはそこへ行きたくて最短の切符だけで行ったようなのです。


そして調子に乗ってもっと足を延ばし新潟県のどこかの駅で御用となったのでしょう。男の子なら一度はやってみたい冒険だったのだと思います。
しかし夫には通用しません。
たまたま夫が不在だったお陰でとうとうバレずに済んでホッとしました。ご迷惑をかけた友達のお家には立て替えて頂いた罰金をこっそりと送金しました。

夏休みが終わり、戸締りをして東京へ戻り、息子も学校の寮へ戻って行きました。


ところがそれから間もなく、またやらかしたのです。