ずい分前ですが、「私は人の好き嫌いがハッキリしてるの」とどちらかといえば誇らしげに言う女性に会ったことがあります。
その時自分はどうかと考えたら、多少苦手な人はいても「嫌い」とまでハッキリ言える人はいないことに気づき、自分は鈍感なのか、ただ「ボーッと生きてる」だけなのかとちょっと恥ずかしく思ったことを覚えています。
それから何十年も経って今思うことは「それでOK」ということ。
身のまわりに嫌いな人がいないというのは幸せなことじゃないか、と思えるようになりました。(例外があります。嘘つき政治家は嫌いです)
社会で人と触れ合いながら生きて行く中で確かに苦手な人というのはあります。
たまに会う人なら深く付き合わなければいいことですし、こちらから積極的にアプローチしなければ自然に縁がなくなって行きます。
問題はそういう人が毎日顔を合わせる職場にいたり、家族や親戚の中にいる場合でしょう。出来ればその人の良い所を積極的に探すことですが、それが無理ならハラを据えて正面から向き合うしかありません。
逃げたり避けたりしていると宇宙は次々同じような人に出会わせます。
どこの職場に行っても意地悪な人がいるとか、嫌な人がいると言って職場を転々とする人がいますが、自分が相手からそれを引き出している場合もあるのです。
相手もこちらを「嫌」と思っているなら互いに引き出し合っているわけです。
それでもどうしても「嫌」という点があるなら、その場でハッキリいうこと。
それが出来なければ手紙に書いて渡すこと。どちらの場合も言葉遣いは丁寧に、きちんと礼をわきまえることが大切です。言葉で言う場合は感情的にならず「ゆっくりと落ち着いて話す」ことが肝心です。そうでないとこちらの真摯な気持が伝わりません。
逃げていいのはそれでも改善されない時、あるいは身の危険を感じた時だけです。
その時自分はどうかと考えたら、多少苦手な人はいても「嫌い」とまでハッキリ言える人はいないことに気づき、自分は鈍感なのか、ただ「ボーッと生きてる」だけなのかとちょっと恥ずかしく思ったことを覚えています。
それから何十年も経って今思うことは「それでOK」ということ。
身のまわりに嫌いな人がいないというのは幸せなことじゃないか、と思えるようになりました。(例外があります。嘘つき政治家は嫌いです)
社会で人と触れ合いながら生きて行く中で確かに苦手な人というのはあります。
たまに会う人なら深く付き合わなければいいことですし、こちらから積極的にアプローチしなければ自然に縁がなくなって行きます。
問題はそういう人が毎日顔を合わせる職場にいたり、家族や親戚の中にいる場合でしょう。出来ればその人の良い所を積極的に探すことですが、それが無理ならハラを据えて正面から向き合うしかありません。
逃げたり避けたりしていると宇宙は次々同じような人に出会わせます。
どこの職場に行っても意地悪な人がいるとか、嫌な人がいると言って職場を転々とする人がいますが、自分が相手からそれを引き出している場合もあるのです。
相手もこちらを「嫌」と思っているなら互いに引き出し合っているわけです。
それでもどうしても「嫌」という点があるなら、その場でハッキリいうこと。
それが出来なければ手紙に書いて渡すこと。どちらの場合も言葉遣いは丁寧に、きちんと礼をわきまえることが大切です。言葉で言う場合は感情的にならず「ゆっくりと落ち着いて話す」ことが肝心です。そうでないとこちらの真摯な気持が伝わりません。
逃げていいのはそれでも改善されない時、あるいは身の危険を感じた時だけです。