ミネハハのライブの次にしたかったのは「地球交響曲」の上映会。
翌年1997年の8月に計画し、近所に別荘のあるキャンドルアーティストの小泉純司さんや北軽井沢の区長さんの協力も得て、大勢の方たちにいらして頂きました。
この映画の「第一番」を銀座の三原橋の下に当時あった小さな映画館で観た時は観客はほんの4,5人。次の「第二番」はその中に登場するダライラマ法王のカーラチャクラが青山で行なわれたりしたので、少し観客も増えていました。
それが「第三番」になったら渋谷の映画館に大行列が出来るほどの人気となり、あちこちでの自主上映も活発に行なわれるようになっていました。メインの写真家星野道夫さんが撮影開始直前に熊に襲われて亡くなるという悲劇が皮肉にも拍車をかけたのかも知れません。
親友だった池澤夏樹さんが写真展の先鞭を取り、写真集の監修などもなさって評判を呼びました。映画の中に登場する星野さんの友人たちの話や若い未亡人と幼い息子さんの姿も感動と涙を誘い忘れられない映画です。
北軽井沢での上映会はその時いちばん新しかったこの「第三番」を選びました。するとある出版社から電話がかかって来たのです。
「宇宙(そら)の記憶」(木内鶴彦著)という本を会場で売ってほしいとの依頼でした。委託でよければと20冊だけお預かりしました。売るからには読まなければと読んでみたらこれがめちゃくちゃ面白いのです。
(と、このブログを書いている日、この時知り合った木内鶴彦さんもご一緒に、うちの夫や東京の友人たちとみんなで和歌山県の玉置神社へ2泊でお参りに行って帰った来たばかりというまたまたシンクロです。そしてミネハハのことを書いた日は丁度彼女のコンサートが同じ県内で行なわれた日でした)
翌年1997年の8月に計画し、近所に別荘のあるキャンドルアーティストの小泉純司さんや北軽井沢の区長さんの協力も得て、大勢の方たちにいらして頂きました。
この映画の「第一番」を銀座の三原橋の下に当時あった小さな映画館で観た時は観客はほんの4,5人。次の「第二番」はその中に登場するダライラマ法王のカーラチャクラが青山で行なわれたりしたので、少し観客も増えていました。
それが「第三番」になったら渋谷の映画館に大行列が出来るほどの人気となり、あちこちでの自主上映も活発に行なわれるようになっていました。メインの写真家星野道夫さんが撮影開始直前に熊に襲われて亡くなるという悲劇が皮肉にも拍車をかけたのかも知れません。
親友だった池澤夏樹さんが写真展の先鞭を取り、写真集の監修などもなさって評判を呼びました。映画の中に登場する星野さんの友人たちの話や若い未亡人と幼い息子さんの姿も感動と涙を誘い忘れられない映画です。
北軽井沢での上映会はその時いちばん新しかったこの「第三番」を選びました。するとある出版社から電話がかかって来たのです。
「宇宙(そら)の記憶」(木内鶴彦著)という本を会場で売ってほしいとの依頼でした。委託でよければと20冊だけお預かりしました。売るからには読まなければと読んでみたらこれがめちゃくちゃ面白いのです。
(と、このブログを書いている日、この時知り合った木内鶴彦さんもご一緒に、うちの夫や東京の友人たちとみんなで和歌山県の玉置神社へ2泊でお参りに行って帰った来たばかりというまたまたシンクロです。そしてミネハハのことを書いた日は丁度彼女のコンサートが同じ県内で行なわれた日でした)