父が亡くなったのは1960年代の終わり頃。
両親は当時千葉県に住んでいましたが、私の住む東京の練馬区からは電車を3回も乗り換えて2時間以上かかる所なので、病気がちの父のほかに母まで寝込んだりすると自宅で英語塾を開いていた私は看病に通えません。そこで同じマンションの海外転勤で2年間空き家になるお部屋を貸していただくことにして両親を呼び寄せました。
その1年後そこで父は亡くなりましたが知り合いのお寺もなく、駅前の葬儀屋さんに依頼して、お通夜にはうちの宗旨浄土真宗のお坊さんに来ていただきました。
商店街の裏手にある小さな、私も知らなかったお寺の住職でした。
お通夜の席で母とそのお坊さんが話すうちに父の先祖が愛知県のお寺と言う話になりました。そのことは私も亡くなった祖母から聞いてはいましたが、お寺の名前も場所も知りません。
でも母は覚えていて聞かれるままにそのお寺の名前を言いました。
するとそのお坊さんが飛び上がったのです。
「そう言えばお宅Hさんですね!?えっ?S寺のHさんですか?うちの先代はS寺のHさんです!M・Hという方ですが、ご存知ですか?」
今度は母がびっくりしました。
聞いたこともない、というか、そのお寺とはまったくお付き合いはしていないので知るはずもありません。
にわかに現れた自分のルーツの話に私の好奇心がかきたてられ、お葬式が住んでから調べました。
曽祖父がそのS寺の住職だったことは知っていましたので、おぼろげな記憶を頼りに父の叔母が嫁いだと祖母から聞いていた長野県飯田市のお寺の住所を調べ、M・Hさんという方のことを問い合わせると何と父のまた従兄弟に当たる方と判明しました。
父がおそらく想像もしていなかった場所で亡くなることになり、そこでたまたま来てくださったお坊さんがS寺の隣り寺の生まれで、先代は父のまた従兄弟だなんて偶然があるでしょうか。
しかもその30年後、私の前夫が再婚後亡くなったのは世田谷区なのに、お葬式に来てくださったのは遠い練馬区の前述のお坊さんの息子さんだったというおまけまでついたのです。
父も前夫も無神論者だったのに、宇宙は粋なことをするものです。
両親は当時千葉県に住んでいましたが、私の住む東京の練馬区からは電車を3回も乗り換えて2時間以上かかる所なので、病気がちの父のほかに母まで寝込んだりすると自宅で英語塾を開いていた私は看病に通えません。そこで同じマンションの海外転勤で2年間空き家になるお部屋を貸していただくことにして両親を呼び寄せました。
その1年後そこで父は亡くなりましたが知り合いのお寺もなく、駅前の葬儀屋さんに依頼して、お通夜にはうちの宗旨浄土真宗のお坊さんに来ていただきました。
商店街の裏手にある小さな、私も知らなかったお寺の住職でした。
お通夜の席で母とそのお坊さんが話すうちに父の先祖が愛知県のお寺と言う話になりました。そのことは私も亡くなった祖母から聞いてはいましたが、お寺の名前も場所も知りません。
でも母は覚えていて聞かれるままにそのお寺の名前を言いました。
するとそのお坊さんが飛び上がったのです。
「そう言えばお宅Hさんですね!?えっ?S寺のHさんですか?うちの先代はS寺のHさんです!M・Hという方ですが、ご存知ですか?」
今度は母がびっくりしました。
聞いたこともない、というか、そのお寺とはまったくお付き合いはしていないので知るはずもありません。
にわかに現れた自分のルーツの話に私の好奇心がかきたてられ、お葬式が住んでから調べました。
曽祖父がそのS寺の住職だったことは知っていましたので、おぼろげな記憶を頼りに父の叔母が嫁いだと祖母から聞いていた長野県飯田市のお寺の住所を調べ、M・Hさんという方のことを問い合わせると何と父のまた従兄弟に当たる方と判明しました。
父がおそらく想像もしていなかった場所で亡くなることになり、そこでたまたま来てくださったお坊さんがS寺の隣り寺の生まれで、先代は父のまた従兄弟だなんて偶然があるでしょうか。
しかもその30年後、私の前夫が再婚後亡くなったのは世田谷区なのに、お葬式に来てくださったのは遠い練馬区の前述のお坊さんの息子さんだったというおまけまでついたのです。
父も前夫も無神論者だったのに、宇宙は粋なことをするものです。