これまでフィンドホーンについて私が知る限りのことを(1)から(23)まで
毎日書いて来ました。長く住んでいた方や、私よりも回数行っている方から見れば
物足りない面が沢山あると思いますし、私自身書き切れない部分もありますが
ひとまずこの辺で区切りをつけ、自分自身の思いを振り返ってみたいと思います。

「フィンドホーンの花」を読んで理由もなく、ただひたすらこの場所へ行きたいと
思って、特に何の目的も持たず「体験週間」に参加したのが2000年2月。
間もなく63歳の誕生日を迎える頃でした。
3日目にRandolph's Leapという森で自由行動になった時、こげ茶色をした水が
渦を巻いている川を見下ろす岩に腰掛けて瞑想をしました。
すると私の胸の奥に小人がいるのに気がついたのです。袋のような服の4角から
手足を出して三角の帽子を被った小人です。嬉しくてたまらないという風に
ピョンピョンはねていました。ああ、私の魂が喜んでいるのだなあ、と思い、
何ともいえない幸福感が全身を包んでいるのを感じました。

いつもはその存在を忘れていますが、ふと思い出した時に意識を向けると、
小人はいつでもそこにいます。嬉しそうにピョンピョン跳ねている時もあれば
寝そべっている時もあり、じっとうずくまっている時もあります。
それがその時々の私の魂の状態なのでしょう。現実的には悲しい、辛いことが
ある時でも小人が泣いているのを見たことはありません。
ただ静かに座っているだけです。
表面的な感情と魂の状態は違うことをそれで知りました。
私自身はそれから20年近く歳をとりましたが、小人はずっと小人のままです。