私がこの「体験週間」プログラムに参加したのは2000年の冬でした。
1995年に「フィンドホーンの花」を読み終わった直後、「ここへ行きたい!」
という強い思いに駆られてから5年経っていました。
行きたくても行き方も分からず、英語のプログラムに参加するには少し自信が
なかったからです。
その年の夏、北軽井沢の友人の別荘へ遊びに行った翌日、不思議なシンクロが
次々に起きて突然そこに150坪の土地を買うことになり、家を建て、カフェも
始めることが一瞬のうちに決まって、翌96年には引っ越してカフェもオープン。
畑まで借りて生まれて初めての農作業まで始めていました。
そこで最初に知り合った青年が前述の最初にフィンドホーンを訪れた人だったこと
も更に私の心を刺激しました。(彼は今も「ドームパラダイス・太陽の子どもたち」
というドーム型のペンションをそこで奥さんと一緒に営んでいます)
ある日カフェにいらしたお客様から耳よりの情報を得ました。
寺山心一翁さんという方が書いた「フィンドホーンへのいざない」という本があり、
そこに詳しい行き方が書いてあるし、彼が通訳同行の日本人グループを毎年
連れて行っているというのです。
さっそくその本を取り寄せました。
そして本文を読むより先に寺山オフィスに電話したのです。
(寺山氏はその後「がんが消えた」という著書を出されています)
その時はもうグループツアーはなさっておられませんでしたが、別の女性がしている
と紹介されて、いよいよフィンドホーン行きが実現することになりました。
(つづく)
1995年に「フィンドホーンの花」を読み終わった直後、「ここへ行きたい!」
という強い思いに駆られてから5年経っていました。
行きたくても行き方も分からず、英語のプログラムに参加するには少し自信が
なかったからです。
その年の夏、北軽井沢の友人の別荘へ遊びに行った翌日、不思議なシンクロが
次々に起きて突然そこに150坪の土地を買うことになり、家を建て、カフェも
始めることが一瞬のうちに決まって、翌96年には引っ越してカフェもオープン。
畑まで借りて生まれて初めての農作業まで始めていました。
そこで最初に知り合った青年が前述の最初にフィンドホーンを訪れた人だったこと
も更に私の心を刺激しました。(彼は今も「ドームパラダイス・太陽の子どもたち」
というドーム型のペンションをそこで奥さんと一緒に営んでいます)
ある日カフェにいらしたお客様から耳よりの情報を得ました。
寺山心一翁さんという方が書いた「フィンドホーンへのいざない」という本があり、
そこに詳しい行き方が書いてあるし、彼が通訳同行の日本人グループを毎年
連れて行っているというのです。
さっそくその本を取り寄せました。
そして本文を読むより先に寺山オフィスに電話したのです。
(寺山氏はその後「がんが消えた」という著書を出されています)
その時はもうグループツアーはなさっておられませんでしたが、別の女性がしている
と紹介されて、いよいよフィンドホーン行きが実現することになりました。
(つづく)