さっきFBに書き留めた文章。

自分があとから見返せるようにこちらにも。

 

私のすべての活動は

「障害をもつ人の生きるための選択肢が少なすぎる」

ということへの疑問が原点だった。

 

生活は、介助制度で、昔に比べたら

「好きな街に住む」

ということは、できるようになったと思う。

 

「暮らすこと」ができるようになったら

あとは「仕事」だ。

 

ばっちり就職できる人は本当に少数で、

障害をもつ人の多くが、今だ2021年になっても

 

一生涯 親御さんの扶養にいるか

 

生活保護の範囲から出られない。

 

それ以上でも以下でもない生活。

 

それが悪いんじゃない

恥ずかしいことでもない

福祉制度は堂々と使って(だって公的制度なんだから)

堂々と生きればいい。

 

 

いつだれに何が起きても

だれが明日車いすや寝たきりになっても生きられる

そういうふうな社会制度がなければ

国が国である意味がない。

 

でも

 

「それしかないのかな」

「本当にそれしかないのかな」

 

一般企業に就職か

または

親御さんが養う(または生保)

 

この2択はどっちに転んでもキツい

と考える人は いないのかな。

 

 

一般就労では体力が追い付いて行かない(在勤で軽減する場合もあるね)

 

生活保護では生活の自由度が限られる。

 

「みんな何かは我慢してるんだから文句言うなよ」

って

疑問を持つことさえも だれかに言葉を塞がれる。

 

「でも本当にそうかな」

「それしかないのかな」

 

「生きる場所が 一生 病院か施設しかないよ」と10代の頃

だれもが疑問を持つことさえなく 

まわりじゅうの大人がそう言っていたときも

 

「ライブハウスは階段だからだっこちゃんはむりだよ」

って他者から言われたときも

 

「でも本当にそうかな」

「それしかないのかな」

と 考えて生きてきた。

 

不自由から自由へ 出たい。

 

生きやすい 生きかたの選択肢を増やしたい。

 

ほぼ人生を総じて

何かを決める時 それしか考えてない。

 

身体の不自由

 

暮らしの不自由

 

仕事の不自由

 

お金の不自由

 

不自由から自由へ出たい!!!

 

こう思っている人って全国に私だけかな?

 

、、、そんなはずはないような気がする。

 

「人生は(すべてのことは)選択できる」と言える人間として生きて死にたい。

 

この頃、「仕事のこととお金のこと」に向き合っている、と定期的に書いているのはこれが理由。

 

暮らしも 仕事も お金も

 

どう生きて何をしたいかも

 

あなたの人生だから

 

自由に決めて 自由に行動をしていい。

 

本当は だれもがみんなそうだから

それを思い出すだけなのに

 

同じ場所で繰り返し二の足を踏んでいる人も多い。

 

私もそうだった。

 

本当にそうだった。

 

頭と心をやわらかく。

 

やりたいことをやる許可を自分に出そう。

 

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