みなさまへ❤

 

お元気でお過ごしですか。

 

先月末日開催しましたお話し会「自分ビジネスきほんのき2 私だけがお金持ちに、なっていい」

とってもとってもとってもすてきな女性に感想をいただきました。

ご自身のジュエリーブランドE.JXOGAのデザイナー、そして浮世絵師のERINAさん(本名がまた鼻血が出るほどかっこいいのよ!)


だっこがこの頃たびたび書いております

女性個人の起業家や、好きなことを仕事に活かしたいかた

体と心に優しい働きかたをつくりたい、学びたいかたの勉強会(講座受講生の個人)

事業家でアーティストの八木さやさんが創出した【自分ビジネス】のグループで出会ったERINAさん。

 

ご自身のジュエリーやファッションブランドを多くのかたに広めたい!と

「海外アーティスト、マリリン・マンソンの衣装メイクで」

「商品をPRしたい人がみんなでストリームヤードで告知しよう」という回に登場して

 

わたしはそのときその瞬間

マリリン・マンソンという歌手のかたを知らなくて(すみません、、、、!!)

ERINAさんがお顔立ちもスタイルも抜群に良いので海外のかたに見えて

 

「あーやっぱり自分ビジネスともなると、面白い人ばっかりだから
ついにこういう海外の歌手のかたもメンバーにいるのか!(・▽・)!」

と 思ったら ジュエリーデザイナーさんだった!という鮮烈な第一印象でございました。(・v・)

 

そしてERINAさんはこんな人。(リブログが1記事しかできなくって、タイトルにリンクを貼っておきます)

ERINA MUKAIJO Official Blogより 2021年1月22日の記事

 

【自分が自分のプロデューサーで何が悪い。】

 
これ、元々の記事を、私もシンデレラプロジェクトでお世話になりましたるHappyさんが
書いていらっしゃって
【誰かが何かしてくれるのを、受け身で待っているだけでは、何も起きない】ということを
熱く書いていらっしゃる記事を、ERINAさんがご自身の体験からシェアしていらっしゃって。

ERINAさん、
ドバイアートフェアに行きたいのだそうです。
叶う❤
 

私も、私を応援してくれた人の応援を、もっとバンバン好きなだけ自由にできる自分に早くなりたい。

その意味では、まだまだ自分が不甲斐ない。

でね。これまでの「画廊が付かなきゃアーティストとしてダメなんだ」と思っていた頃のこと
藝大でいろいろな才能に出会って打ちのめされた時期のことや

社会人も経験したけど、ご出産後に体調不良に陥った時期のこと、、、

プロフにもブログにも、ぜんぶ晒して、
一心に、作品作りに打ち込んでいらっしゃるERINAさん。

 

わたしもね、つい昨年末、藝大DOORという「福祉とアートの接点に何ができるか」というテーマのある
プロジェクトで講演をさせていただいたことや

一心に、真摯に、ご自身の作品と向き合う、その職人となっているときのERINAさんのまなざしが

透けて見えるようなブログに心が揺さぶられたことや

 

「このかたが来て下さったらいいなあ、、、でもあんまりこっちから

きてきてきてきてっていうのも気が引けるしなあ、、、、」と

 

実は 【この人が】来て下さったらいいな と

心の中で 決め打ちで ラブラブコールを念じていたかたのお一人だったのです(ー▽ー)❤

 

そしたら、多忙の中の時間を割いて録画をすべて見てくださって(;;)

こんな素敵な感想をいただきまして!!

 

いやー ほんっとうにうれしくて わたしも 感動して

真剣に何度も読ませていただいて お返事に時間がかかってしまいました。

 

ERINAさんのブログを 以下に 抜粋させてください。

 

ーERINAさんOfficialblog記事より抜粋ー

批判や不快を承知で言うと、

私は いわゆる、障害者にフォーカスを当てたチャリティー的なものや、NHKの夜の番組やらが

苦手だった。はっきり言うと、嫌い。

事実や現実の苦しみや重みを伝えることは必要なのかもしれない。

けれど
伝えるというか、押し付けられるだけ押し付けられて、じゃあ健常の私はどうしたらいいのよ?って、むしろ絶望感が出る。

介護や支援職にない人間は手出しできない。

それに

かわいそうってどこかで感じてる自分に嫌気と罪悪感がわく。その罪悪感に薄っぺらい偽善すら感じる。

下に見てる。

罪悪感。

偽善者。


いい意味で(くれぐれもいい意味で)ショッキングなブログだった。
そして、私一人の体験では、言語化できないところをこのかたが言語化して可視化してくれた、と思った。

 

【伝えるというか、押し付けられるだけ押し付けられて、じゃあ健常の私はどうしたらいいのよ?って、むしろ絶望感が出る。

【介護や支援職にない人間は手出しできない。】

 

そうなのだ。

 

これが、「新幹線に車いす席はいままで全車に2席だったけど4席になったよ、よかったね」とか
「車いすの人でも介助さんがいて一人暮らしできるよ、ヘースゴーイ!」とか

「車いすの女性で今は結婚・出産・育児なさってる人もいるよ!ヘースゴーイ!」とかなってしまう

なんて言えばいいんだろうね

 

歩けない人と歩ける人とで なんでこんなに 圧倒的に見える景色が

違ってしまうのか

わたしたちは 一人暮らしできたら「すごいねー えらいですねー」になってしまうのか

結婚したら 子育てできたら「たいへんですねー だんなさんがすばらしい優しいかたなんですねえ!」になってしまうのか

色んな疑問の 根本にある芯の部分なんだろうと思った。

 

わたしは、今大人の年になってみれば、いろんなチャリティーの番組とかも

嫌いではない。出る人の武勇伝にはなるのだろうな、とか、こどもたちがダンスに励むとか、

出た子たちの自信になったらそれはそれで(こどもたち本人にとって)素敵なことだ、とか思うから。

実際、一日で寄付金何億円をいっきに集めるとか、

リフトカーを何十台も介護施設などに寄付するとかって

テレビのすごさだよなーって思う番組、あるしね。

 

でも それでも 中には

たびたび えーーーーーー?!と 解せないものもある。

 

たとえば 重い障害をもつ子とお母さんを特集していて

「この子は私が介助するしかないんです」みたいな場面が映って

『お母さんはほぼ毎晩一睡もしないで介護をしています』みたいなナレーションが入って

まじで疲れて憔悴しきったお母さん(!)

お子さんのリハビリの様子とかが映って

 

「いやー素晴らしい、親子愛ですねえ、、、、(;;)」って司会やゲスト泣いてる、、、、とかさ。

 

いやいやいやいや

 

「お母さん、過労で死んじゃいそうなお顔ですけど

介助ヘルパーさんどうして使えないんですか?!」とか

 

「病児保育ってありますよ?!」とか

だれか一人でも言ってやれよ!!!(>▽<)

ちょっと!!!ゲストか司会っ!!!

って 思うテレビのつくりかた ありますもんね(ー▽ー)

 

で。

 

「はいでは次のかわいそうな人の話題です(ーv-)」みたいなさ。

 

なんなのっ?!と 思う番組も、ありますよ、うん。

 

でもさ、それって、

たとえば重度障害の子供さんとかでも

「この子はどんなことをしてあそぶのが好きなんだろう」

「特別支援学校ではどんな子なんだろう」

「仲良しの友だちっているかな」

「好きな先生とかいるんかな?

「外へベビーカーや車いすでお出かけすることってあるのかな?」

とかさ。

 

お母さんの『本当の願い』はなんだろうか とかさ。

「ほんとうは 1日でもいいから だれかに介助を代わってもらって寝たい」とか

「数時間でもいいから、子育てから解放されて自分の買い物したい」とかさ

「美容院だけでもいいから行きたい」とかさ

お母さん ないんかな、、、?

とかさ 気になることが その瞬間でてきても

 

「はい 次はもっとかわいそうな人の話題です」って

次々 次々 話題が次に行っちゃって

結局

『人』が 名前も だれかも なんかよくわからないまま

一瞬 チャリティーのテレビの日だけ 5分くらい 映って 消えて


2.3日してよりなにか面白いニュースが出たら

忘れ去られてしまう。

 

何が残るって

 

「はいはい、おかわいそうね」っていうふうに 思うしかないことの絶望や

 

「障害者は大変大変って言うけど

健常者のわたしたちだって大変なことなんかみんなあるのに

障害者だからって助けてもらえて、ズルイ!!!」っていう

身体的に障害がない人や

 

障害が、目に見えにくい人(内部疾患とか精神・発達などの当事者のかた)の

やりきれなさとか

 

それらが 消化不良のままで

 

触らぬ神にたたりなし

みたいなさ

 

お互いそんな近づかなければ 今のままでもかわいそーなのに

それ以上に地雷踏んじゃったり 傷つけちゃったりしないしね っていう

「タブー視感」だけが なんかこう

見た人の 心に 刻印されてしまうわけだよね。

(もちろん 見方はいろいろだけど)

 

もーやだー!!!!(このなんか、
身もだえるような、

「これ以上はタブー」みたいな、

このかんじ!なんだってきいてくれれば、

しゃべるのに!)\(ー▽ー)/

 

と 思うわけです、だっこさんはね。

 

もちろん、ERINAさんも書いてくださっているように

ほんとうに「介助がないことの大変さ」を伝えることや

ほんとうに支援が必要な場所にどんどんテレビや報道が入ることは大事だけれど

 

「かわいそーねー」「そーですねー」

みたいなさ、画一的な茶飲み話で消費されるだけの存在として

障害者がだれかに 認識をされるだけだったら

つまらないし すごく悲しい。

 

変えたい。って思う。

 

障害者だって健常者だってどっちだってさ

どっちがどっちにもなり得るからね(私がエバンゲリオンみたいな車いすを着て歩く時代も来るかもしれないし)

いつぞなにがあっても

大変なこともあるけど

でも かっこいい!!とか 楽しい!!とか

たまにはさ 憧れられる存在ですらありたいという欲だって

障害をもつ当事者にも きっとある、わたしのよーな変わり者だけじゃなく

ほんとうは。

たくさんの人に。

人として。

 

でもわたしたちは 学校や 職場や(まずはなにより、学校だよね)生きる場所を

少なくとも今30代より上くらいの人たちは

多くの場合 

「はいこちら養護学校」「はいこちら地域の学校」

というところから

「はいこちら病院か入所施設ね」「はいこちら、住みたいお好きな街へ」と

学校から住居まで

 

ほんとうに こてんぱんに分けられてきたから
(稀に、一般の学校へ行けた人もいる。ご本人というよりは、小学校に上がる時点で、

ご両親が、めっちゃくちゃがんばって、教育委員会のみなさんの反対とかに、

負けなかった場合には。)

 

「分けられてきた時代」を越えて

 

こうやって

 

公に話せたり

 

何よりも 『出会える』ところから

 

わたしたちが変えていく最初の世代なんだと思う。

 

それで、ERINAさんはおこさまがいらっしゃるけれど、

今20代、30代、40代、、、わたしたちの子供の世代が、

親になるくらいの時代には

 

車いすの子と歩ける子が 肩を並べて 同じ教室で学んだり

仕事場にも「ふつーに」いたり

バリアフリーなどということばは

もう必要がなくなって

古すぎて誰も言わない みたいに なtっている はず。

 

なぜならば わたしたちが今から変えるから。

 

で、【私】は。私の仕事は。

 

『介助や福祉などの支援職・専門職でなければ手出しできない』と

思わせてしまうイメージが、障害をもつ当事者のまわりに、今、あるのなら、

それについては、ぶちやぶっていかなくちゃいけないということだ。

 

介助さんという職業が、公的に、国に認められ、全国に周知をされてうれしいけど、

いっぽうで

「介助さんの資格を持っていなければ、手伝っちゃいけないのでは、、、」と

助けの手をひっこませてしまう、無言の圧みたいなものにも

もしかしたら、今の時代だからこそ

なってしまうこともあるのかもしれない。

 

介助さんはもちろん、ライブをやってみるとか、そういうときは

これまでのように、そしてますますに

「多様な仲間と、助けの手を借りながら、作る」ということを、やっていこう。

 

よく書くことだけど、

【介助さんだけ】、【家族だけ】、命綱が一本だけになっては、

たとえ介助さんチームがいても、そこにまとめてなにかあったら

障害をもつ人は生き抜けない。

 

生きる姿を そのまんま 見せていくこと。

 

ただ、ほめそやしてくれるだけの人じゃなくって

 

「障害者の人達に、こういうイメージを持ってた」とか

「テレビの福祉の番組に違和感を感じた」とか

なにか、理由があって、

「僕は、わたしは、障害者嫌いだった」とか

 

(たとえば、街の中で手を貸したときに、「ありがとう」って言ってくれなかったとか、

「余計なお世話だ!」と怒られてしまった、とか、

出会った人の、第一印象で、車いすの人全員嫌い!みたいに、なってしまう人も、

いるよね。)

 

ERINAさんみたいに、

【本当のことば】を伝えてくださる人のネットワークを

大切に、わたしも、わたしに見える世界を綴ってゆける人でありたい。

 

ERINAさんには、車いすのお友達がいらっしゃるのですね(・v・)
そして、すっっっごく重い車いすを押した経験があるのですね。

その、車いすのお友達さんは、いいなあ!とってもうらやましい。

だって、こんな、美しくて、優しくて、楽しくて、かっこいい友達が

もう途中で捨てたいくらいに重かったかもしれない車いすを押してくれたなんて!!

良い友達が、いますねー(・v・)❤

、、、と、ERINAさんを越えて、妄想で、車いすのお友達さんと、

エア会話したよ、だっこさんは(ーv-)❤

 

車いす、しかも私のなんて電動だし バッテリーがへんなところで切れたもんなら

だいぶ重いんですよ(ー▽ー)

ほんとにもう、押してくださる、そして常日頃支えてくださる、

すべての人に感謝。

ほんとこれは、感謝しかない。

 

ほんとさ、もっと、いつでも、どこへでも

住めて、働けて、出かけられる、介助のことでビクビクすることもない、

車いすがハンデにはならない、

世の中がくるといいなあ。

 

それから、身体的に障害がなくても

たとえば、子育てとかでもさ

健常者と言われる人でもさ

「今困ってる。今ここに困難がある」という状態のとき

「助けて―!!!!」と どんどん言えて

言ってよくって

そこにどんどん助けが入るのが当たり前、

そんな時代が

今 もう来るといいなあ。

 

見たい世界は

 

ERINAさんや

 

だっこや

 

こういうふうに 書いたブログが 届いた だれかといっしょにね

 

世界は

 

私達が 自分たちが

今から創る。

 

ERINAさんがぜったいにドバイのアートフェスに出品できますように❤❤❤