みなさまへ❤

お元気ですか。朝霧 裕です。
年末に、この記事で書いたMRIの結果↓。


3~4センチ大の卵巣嚢腫、良性でした。

今後は、定期的な経過観察に。
 

「手術ですぐ取りますか?コロナ禍の状況もありますから、

もう少し待ってみますか?」

と、婦人科の先生とお話しをして、

 

わたしの場合、手術ともなると、

1センチ、2センチ、腕、足を動かすにも

介助さんが常時でも必要のため、
コロナ感染防止対策もあり

「入院時付き添い」がどうなるかもあるので、

手術のタイミングについてはもう少し待ちます、ということになりました。

 

ちなみに 病院は

自治医科大学附属さいたま医療センターでしたが


コロナ患者さんへの対応

病床や先生や看護師さんの 平時とは違う調整などもあり

 

すぐに緊急に手術が必要な患者さん以外の人を最優先

経過観察でも大丈夫な人は

コロナ禍の昨年から今年にかけては、

経過観察の対応としているということでした。

 

「ちょっとなにかコロンと見えるかも、、、」

とエコー検査でひっかかった時から

万が一、進行をしてゆくようなものなのか、など
良くない可能性も考えました。

 

今このコロナ禍において

本当によく言われることですが、

病は人を選びません。

自分の日常にふりかかる時期も選びません。

 

「これに気を付ければかからない」という【絶対の正解】が

あったなら もうこの世からすべての病気が消えています。

 

良くない結果だった場合はどう受け止めようか、、、と

約1か月いろいろなことを考えました。

 

命拾いをしました。

 

家に帰ってきて、

「ああ、幸せ!!幸せすぎるなあ、、、。」

と、無意識に声に出して言っていました。

 

去年も、腸閉塞のときはもうだめかと自分自身も心身の限界まで

いった瞬間がありましたし

 

何度、現代の医療や看護の力

介助さんたちや訪問看護師さんたちの日頃のサポート

 

神様仏様に拾っていただいた命でしょうか。

 

生きて、無事に、

「なんの変哲もないふつうの毎日」を

まず、過ごせること。

 

「これ以上の幸せはない」

という前提に立つところから

 

だからこそ、もっともっと

今 生きている このわたしの体という器の中に入っている

このいのちを 幸せにしてあげたい

 

そんな欲求や願いも生まれてくるのではないかと思います。

 

明日のこと 半年後のこと 1年後のこと

未来のことは わからないけど

『今 生きている わたし』だから

 

もっともっと わたしの深く底に居る

 

「小さな神様」

まさに御本尊様のような

 

まだ見ぬ私を

 

「出さなくちゃ」

 

と 思うのです。

 

心の中のお社の

扉を開けて

出ることを待っている

わたしのことを。

 

そう思うこと、ないですか?

 

あるある!

 

という方へ向けて

お話を聞いたり

未来を創造してゆけるような

メニューを近日作ろうと思っています。

 

生きているということは

 

生きているのだから

どこまでも自由に

どこまでも幸せでありなさい

 

ということです。

 

「どこまでも自由に」というと 広大で大きなイメージ

「ふつうの毎日が幸せ」というと その広く大きいイメージが小さく縮んだように感じる人もいますか?

 

でもね

 

「ふつうの毎日が幸せ」なんて

そんな平凡でちっぽけなの、つまらないわ

 

と感じている人は

 

ご自身の感受性が感覚麻痺になってしまっているんです。

 

いつからか そのように感じるかたの日常は

「幸せを感じられない、つまらないもの」

に 変わってしまったのだと思います。

 

だってこの世に生まれてきた最初の1日から

 

触れる世界は つまらないものだったのではないはずだから。

 

「このつまらない日々」も

「この面白い日々」も

どんな人のどんな日々も

いつか一回は終わります。

 

それが

自分自身の望むときなのか

 

「ちょっと待ってよ!!!まだ今終わるなんていやだ!!!!!」と

思うときなのか

 

だれにもわかりません。

 

どうせいつかは終わってしまう

限りのある 一度きりの日々だから

 

どうせ一度なら

とびっきりの幸せがいいよね。

 

そんなこんなで

今日も みんなが 無事で元気でいてくださいますように。

 

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