みなさまへ❤

 

お元気でいらっしゃいますか(・v・)

 

さて、昨日は、東京藝術大学【DOOR】

プロジェクトチームの皆様へZOOM講演でございました(・v・)

 

わたくしがなんでご縁があったかというと、弟が藝大OBで

グループ展など遊びに出かけておりまする間に、弟のお師匠様や

研究室の同窓生の皆様と交流をさせていただけるようになり

DOORの担当 特任教授 田中一平先生が 弟と同じ研究室で学ばれていたことで

ご縁をいただきました。

(田中先生のFacebookでDOORプロジェクトの紹介を見て

「福祉とアート?!それわたしじゃん?!」と自薦で講演の押し売りをいたしました、、、。

そして叶ってから なんてことを(大舞台を)受けてしまったのかと

何日か眠れなくなりました。)

 

こちらは、2014年の、田中一平先生と仲間達プロデュース

長野県小諸市サロン・ド・ヴェールグループ展

<ハクリビヨリ>での

うた ギター シャンべ 創作舞踊 との共演舞台

【木霊冥利】の写真です。

 

写真;田中一平先生

 

わたくしがお話の前半非常に緊張しておりまして

「弟は蕎麦屋!!蕎麦屋!!!とにかく蕎麦屋です!!!」

と連呼してしまいましたが、

実弟・小澤貴弘は、

東京藝術大学 先端芸術科  

佐藤時啓先生の研究室で学ばせていただき、

2009年に卒業しています。(・v・)

 

これは、【M1】という、家族としても印象深い作品で

これを作っていた渦中 当時はmixiとかでしたでしょうか、

写真などで見ると 日に日に 弟は痩せていきました。(・▽・)

なんだか顔色も血の気がないみたいな色になっていくし

なんだこれは うちの弟はいったいどんなおそろしい学校へ入ってしまったのか、、、、と

姉はほんとうはちょっと思っておりました。

 

でも追ってこの写真を見て 

それから

「大人は、『これってすごいな

触っちゃいけないのかな、、、こわさないようにしないと、、、』

という感じでそっと 少し離れて 触らないように 見てる。でも、

この作品を見た、こどもたちは、ジャングルジムや滑り台に見立て

迷わず、これによじ昇ってきたり、おおはしゃぎで滑ったりする。

それを見て、すごく大変だったけど、やってよかったなあ と 思ったんだよ。

うまく言えないんだけども 【答え】を見たような気がする。」

と そんなようなことを たしか 申しておりました、弟の言葉を聞いて感動し。

 

写真;佐藤時啓先生

 

そのあたりから、芸術を芸術家(専門家)だけにしか理解できないものにしたくない

というような(もちろんそういったものの価値もあるかとは思いますが) 

弟の心の核のようなものが できたのではないかなあと

勝手ながら想像しています。(勝手な想像ですから ぜんぜん違うかもです)

 

その後 弟は

佐藤時啓先生研究室伝統の【小麦粉変容の実験】や

「みんなで手作りピザやろうぜ!」と言えば

『ピザは窯から』

「みんなで手作りバーベキューしようぜ!」といえば

『バーベキューは鉄板から』

 

「手作りの格が違う」

佐藤研の手作り魂を生かし

 

京都精華大学の先生などを経て

 

今は 安曇野の蕎麦カフェSANPOにて

蕎麦打ち職人をしています(・v・)

 

写真;佐藤時啓先生

 

「料理の材料は山で追いかけまわしたり、川で釣ったり

とにかく手で捕まえるところから!!」

と 今も「手作り」のふり幅は佐藤研魂健在で

狩猟免許も取ったり

お米を作ったり とにかくいろいろ

どこの土地でも 仲間に恵まれ がんばっているようです。

 

あ。でも安心してくださいね 弟の後輩のみなさん。

「俺たちこんなに美術を必死で勉強しても、先輩、蕎麦屋で美術やってないのかよ?!」

なんて 思わないでね

ときどきは こんな作品も作っているようですよ(・v・)❤

 

 

こないだね

「ねーちゃんyoutubeはじめたの?今、何回再生?」

と聞かれまして。
 

「え、、、?え、、、、?50、、、、回、、、、くらいとか?」

と申しましたら、

 

「ふーん、、、そお。俺たち19万再生(-v-)❤」

 

と 長野県大町市の銅板版画家・齋藤清先生と、弟と仲間達との

映像プロジェクトの再生回数を 自慢されましたよ?

(姉、圧倒的に差をつけられて死にたいきもちに一瞬なりましたよ(;v;))

 

さて そんなこんなで すっかりと

「蕎麦屋!!蕎麦屋です!!!蕎麦!!!」の連呼で終わった実弟の紹介は以上です❤❤❤

 

で。講演。

わたくしは、

 

生れたころや

 

活動の初期 (写真;三好祐司)

 

雨の日も風の日も ともに歩む介助さんとの暮らしの様子

 

最近の活動までの歩みをお話ししました。

 

講演タイトルは、『バリアフリーってなぁに?』。

実はこれ、昨年度長野県大町南小学校でも同じテーマでお話をしましたが

これって 世代や身体の差異 きっと国籍すら超えて

わたしの人生の大テーマとして語るべきことと信じてるから。

 

法律には法律の専門家がいるし

藝術には芸術の専門家がいるし

 

自分をわざと大きく見せようとすることはやめる。

 

まずそれだけを決めて

等身大の自分で話せるように。

それだけを考えて お話しに臨みました。

 

今は本当に昔より

設備や建物のバリアフリー、物理的なバリア、通信網のバリア

(zoomがあるとか)は、本当に解消されています。

 

でも、わたしたち一人ずつの中にある、

「差別の心」は、どうですか。

 

4年前の7月26日。

神奈川県の津久井やまゆり園という知的と身体の障害をもつ当事者のかたの入所施設で

元職員による、入所者19名の刺殺事件がありました。

戦後最大の人数の殺人事件だそうです。

 

犯人の植松被告という人は

「この人はしゃべれますか?」

とひとりずつ聞いて

「しゃべれない人=殺してもいい存在」と判断をしていたと報道や取材書籍で知りました。

 

今年の7月には、

ALSの女性のかた(林優里さんというかた)が

「このまま、障害が重くなっていくなら死んだほうがいい」と

Twitterで知り合った元医師に自分を殺すことを頼み

本当に亡くなってしまいました。

 

またこのコロナ禍の初期、3月から4月くらいには

外国では、

「医療がひっぱくをしたときに、高齢者や障害者の治療の優先順位は低い」

と決めて、実際にそのような対応がなされました。

 

「身体が健康で若くて元気な人しか生きる権利がない、

だって生産性がないから。

だって国力にならないから。」

このようにものを考えると 小さい規模だといじめ。

大きな規模だと戦争になります。

 

強い人

身体が頑丈で丈夫な人

なんでもできるエリート

そんな人しか生きられない

 

「できないやつは死ね」

「できないやつならいじめてもいい」

「できないやつは足手まとい」

 

そういう思想を持った世界は

 

とても恐ろしい

 

「劣等生はいじめていい」

 

「優等生しか生きられない」

 

そういう社会になっちゃう

 

それは いつか高齢になったときの親や自分

病気や障害を負ったときの自分の選択肢を死ぬ以外無しにしてしまうし

 

なにより

 

たとえば 障害ある人がいることで

日本全国655万8千人の介護職従事者に仕事がある。

 

赤ちゃんがいることで紙おむつが売れる❤

 

高齢のかたがいることで介護ベッドが売れる❤

 

患者がいるから医者が要る❤

 

今すごい極端に言ってますけれども

 

あなたが1食ごはんをたべることで お米屋さんから野菜屋さんから

お肉屋さんから 街のスーパーに至るまで

 

「人の営み」は 繋がっている ということよ。

 

あなたがいるから

 

この商売(職業)に需要がある❤ とか

 

あなたがいるから

 

駅にエレベーターがついてベビーカーもみんな使うよ!とか

 

どんなだれでも

「世の中の役に立っていない人」なんて 誰もいないし

 

人が 強くなくなったとき

弱くなったとき

助けが必要になったとき

 

「じゃあ死ねよ」じゃなくて

 

「その状況にはこんな助けがありますよ」って

言えなければ

 

国が国として 立国していることの

意味がないと思ってるのよ。

 

なんのために

 

国があって

国民がいて

社会制度があるのか?

ということ。

 

支え合わないとだれひとりとして生きていけない

(謎の惑星の荒野にたったひとりぼっちだったら

たぶん 生きていけないでしょう?)

「人の命の営みは、どこかでだれかに、必ず、つながっている」

というところから考える

<バリアフリーって、なあに?>

という

各位の中にある答えを

 

正解はないから

 

導いていただけたらうれしいなあと思っています。

 

わたしも一生考え続けると思うのだけど

わたしは バリアフリーとは

 

だれかが助けて!と言った時に

必ずや助けを得られる環境やマンパワーや社会制度がそこにあること

これが 無くて

零れ落ちて

助けを得られないままに

死んでしまう人や

 

生きてることさえ知られない人々が

いる限り

この社会はバリアフリーではない と思っています。

 

今、障害者週間で、小池都知事さんや、全国のいろいろなイベントなどで

啓もうをしているけれど

「障害者には優しくしましょう」じゃなく

 

人が人に優しくするのは当たり前

それはもう前提にあって

 

障害者でも健常者でも大人でも子供でも

男でも女でも国籍だってなんでも

 

どんなだれでも

 

いのちを尊びあえる

人権を守り合える世の中がバリアフリー社会だと思う。

それは

すぐに 脅されて奪われやすいし

時流の空気に流されやすいし

いままだここにない。

 

だから、わたしたちは、まだ「進化の途中」なんだと思う。

 

「もっとどうしたらいいのか」

「わたしにはなにができるのか」

 

自分が無力で

ふがいなくて

なんにもできてないじゃんか と思って

お話もうたも

ぜんぶ投げ出したい もう止めたい

だってがんばってもどうせなんも変わらないもんと思うときもあるけど

 

今この世界は

少なくともわたしたちが創った。

 

聴いて下さった方の中には10代のかたも20代のかたもいたでしょう。

 

わたしは20くらい年が上だったとしたら

 

今この世界は

10代やはたちくらいのかたから見たら

じゅうぶんに親の世代の

わたしたちが創った結果の世界だから。

 

スムーズにいろんなことが

できる世界から零れ落ちてしまった

 

すごくがんばっているのに授業がわからないとか

 

コミュニケーションがとても苦手とか

 

ある日突然 筋ジストロフィーや脊髄性筋萎縮症が発症したとか

 

バリバリのエリートサラリーマンだったのに癌になって失職してしまったとか

 

高齢になって 身体が思うようにいかなくなった とか

 

コロナの影響でお店が潰れてしまったとか

 

「できる世界」から

零れ落ちてしまった人が

 

「だから悲しい」んじゃなく

 

「だからアイデアが生まれる」というふうに

 

床を向いて 下を向いて 悲しい 悲しい と生きているところから

 

陽の下に もう一度 主体的に人生を生きる 主役になるような

 

世の中が ここにあるように

 

わたしもがんばる。

 

みんなの力もどうか貸してください。

 

「どんな だれでも 生きる喜びとともに生きていい社会」

 

まだ 今ここに 少しある でもぜんぜん足りてない。

 

だれでもが叶う。

 

まだまだそこに行ってない。

 

わたしの夢は 私一人ではとてもじゃないけど叶わない。

 

「自分とは違う存在」

「自分より生きずらさ、弱さを抱えているだろうと思える存在」が

目の前にいたときに

 

いじめてやろう

排除してやろう

殺してやろう

ではなく

 

手を取ってくれる仲間が どうかひとりでも増えますように。

 

田中一平先生 藤田まりさま 東京芸術大学DOORプロジェクトの皆様

本当に貴重な機会を どうもありがとうございました。

お聴きくださいましたみなさま、ご清聴、ありがとうございました\(・v・)/

 

今日もみんなが 無事に元気にいてくださいますように。

 

❤今日のこのお話に関連した、推薦図書❤

 

辻友紀子著「また きょうも みつけた」(ポプラ社)

 

小澤綾子著「10年前の君へー筋ジストロフィーと生きるー」(すーべにあ文庫)

 

 

朝霧裕著「バリアフリーのその先へ!-車いすの3.11」(岩波書店/表紙絵・挿絵 柚木ミサト)

 

 

次回ライブはこちらです❤❤❤

2020年12月20日 13時―15時 参加費3000円 FB限定グループ配信

共演 ツダユキコ ギターサポート 奥野裕介 MC 横綱雅子

お申込みはこちらから(企画主催 バイ柴プロジェクト)

 

そして明日はこちらのトークショー!!!

Youtube 綾子とだっこのささやきトークショー

「障害者週間を語る」

12月9日19時から20時