みなさまへ

お元気でおすごしですか。

 

わたくし今日は

いっこ下に書いた

生きかた・ありかたをビジネスに、という考え方を用いて自分に活かす(自分を生かす)
「自分ビジネス講座」を創った八木さやさんのFBやアメブロを見て

今日は朝から もうほんとうに どの記事を読んでも

うたを聴いても すべて泣いております(;;)

 

主に泣いてます(;;)

 

 

やっぱりね、自分の中で、傷ついてきたこと

まるで悪いことみたいに、世間から思い込まされて、
引け目に感じてきたこと

 

わたしなら

「生活保護を受給している当事者だけど
ぜんぶ書いて 人前に出て 表現活動をしてる」ってこと

 

ムカつく

ひっこんでろよ

人の税金で生きてるやつが音楽ライブとか違うんじゃない?

 

自分で人前に出れば出るほど

こういう言葉が飛んでくることも日常茶飯事の中に生きてきたから
 

どんなに覚悟しててもさ


「ああやっぱりわたし あのとき ああ言われて

言いたい人は勝手に言ってればと意識のうわべでは思ってたけど

ほんとは 傷ついてたんだ。

 

まだ気にしてんのかよ

まだ 違う意見に負けて 引っ込もうとしているのかよ、自分。

ほんとビビリなやつだなあ。

まわりの人見てみろよ
勇気を出して、どんな境遇からでも、どんどん自分のやりたいことに
挑戦していく人 ほら いっぱいいるよ!」

 

と 心の中で自分にはっぱをかけるのに

 

それでもこわくて 進めない。

 

「わたしはこういうやりかたが、すき!」とか

「わたしがやりたいから、やる!」と

言い切れない「足をひっぱる自分」に傷ついていた。

 

何度でも何度でも。

怖がりで

意識下にも無意識下にも
「このやりかたなら みんなに批判されない」

という枠の中に

「生活保護で生きている人らしく」

「障害者らしく」

 

自分から収まろう 収まろうとしてた。

 

「みんな」

ってだれなんだろう?

 

それでも 全く知らない通りすがりの人に対しては

「生活保護を受けてますってカミングアウトするだけで

障害者っていうだけで

一定数にはどうせ嫌われるしな」

と思って わたしは強かったと思う。

 

いや 強くないのに すごく頑張っていたと思う。

 

でも

名前と顔の浮かぶ、

「身近な、みんな」に

やっぱりわたしは

できれば嫌われたくない っていう思いが

人一倍強かった。

 

家族や、友達や、介助さん、その

「身近な、みんな」が

許可してくれることが、いいこと。

 

「それってどうなの?!」

「ちょっとそれ怪しくない?」

「言葉が過激すぎない?」

 

そんなふうに 身近なみんなに、

否定をされることを、 よくないこと。

 

そんなふうに

ふと気を気が付くと

 

自分に負けて

 

すぐに自分の顔を 失くしそうになる。

 

「私のことは、私自身が決める。」

 

障害者だろうが要介護者だろうが生活保護受給して生きてようが

私は 人間なのだから

 

「私の選択と行動は、私が決める。」

 

それを 誰に対しても 臆せずに 言って やって いく。

 

それが生きることだし

「わたしを運営する」という意味で自分ビジネスの根底にもあることだ。

 

身体や経済的なことにハンディがない人でも

 

これまで

「学校の先生がどう思うだろう

「友達がどう思うだろう」

「親がどう思うだろう」

「カレシがどう思うだろう」

「夫がどう思うだろう」

そんなふうに 先に気を遣いすぎてしまって

周りにあわせすぎてしまって 生きてきてしまった人は

 

やっぱり同じように

 

ただ一言

「でもさ、それってどうなの?」

「え、でも、それは違くない?」

と 言われただけで

勇気がしぼんでしまうかもしれない。

 

そんなとき、

「誰に何を言われても

何があっても、

自分の心に嘘のない自分の人生を貫く」

それが、いのちを蔑ろにしないこと。

 

そう決めて

歩みを止めない 先駆者を見ては

いつも勇気を立て直してきた。

 

そんな「新しい人たち」の中でも
特に圧倒的な質量でブログを書き続ける人として

八木さやちゃん(ファンになった当時、子宮委員長はるちゃん)がいた。

 

その存在に、いつも勇気を貰っていて、

同じ時代にこの人が生きて、輝いていてくれている。

そう思うことが 私の心の勇気にもなる。

私にとって 御守りのような存在の人だ。

 

そして、そう考えると

「この人も、私にとって、御守りのような存在の

憧れのアーティストだな」とか

 

「この人も、私にとって、御守りのような存在の

友人だよな」

と そう思う人は ひとりじゃない。

 

いくつもの 夢や憧れが わたしの価値観を作ってきて
 

私も誰かにとって

同じ時代に この人が生きていると思うことが

わたしにとっての御守りだ

 

と言ってもらえるような 自分でありたい と思う。

 

わたしはまだまだ

こうやって

かっこよくない日

情けない日

びびりな日

うじうじしてる日も丸出し

 

それでもいいから

 

私も私に似ているだれかの御守りでありたいと思う。

 

わたし、八木さやちゃんの「ヒキコモリの法則 

(楽しいことや美しいものだけに囲まれて豊かに生きる方法)」(廣済堂出版)や

 

他にも、子宮委員長はるちゃん時代の本や、

ブログにも出てくる

 

「自分の中には小さな神様がいる。

その神様とは、自分のご先祖さまや、神様、仏様、

目には見えない、自分を守ってくれる人たちの総称」

 

という価値観が本当にだいすきで

 

「ああ、この人だから

この感謝を絶対に忘れないから

自分の道を歩めるんだ 」

 

と 自分が今の生活の

 

自由さと 不自由さと 両方ある 

不自由さのほうに

目が向いて負けそうになると

 

さやさんのエッセイを読んで

初心に還ることがある。

 

いろんなことがあって

誰の何を見ても

「くーっ、、、、、」って泣いちゃうくらい

 

辛い別れも 夢破れたこともわたし 

今年、 あって。

 

でも それでもまだ 

 

明日のこと 来月のこと 来年のことは

コロナもきて

先のことは まるでわからないけど

 

でも もし この今年も 今も

まだ今ここは過程で

いつか ああこのためにあったんだ!!と

振り返れることがあるなら

 

わたしも わたしの

見守ってくれているご先祖さまや 神様 仏様

それから 信じてくれる人を信じて行こう、と思う。

 

「『自分の中の小さな神様を信じてる自分』を、信じてる。」

という気持ち。

 

本と今日は 一日中何を見ても涙でしたが

泣き切ったら

「それじゃあみなさん、泣き切ったので

お話し会やりますね(-v-)」

って言うから みなさん笑って お付き合いお願いします。

 

11月1日(日)21:00-23:00

zoom及びyoutubeにて、<子宮の唄うたい 唄う弁財天>ツダユキコさんと

「自分ビジネス きほんのき~私だけが幸せに、なっていい。~」

自分が一番言っちゃいけないと思ってた、タブーと思ってたことばをタイトルに

お話し会を開催します。お申込みは、バナーをぽちしてくださいませ。
きてくださった方が話せる時間、
質疑応答の時間もたくさんとります。

お申込み締め切り10月25日まで。

自分を解放したいかた、ぎゅーっとなったこころをほぐしたいかた

ぜひ、いらしてください。