みなさまへ★

 

お元気でおすごしですか。

 

わたしはね、7月から先月まで、

3か月くらいですね

悲しいできごとが折り重なって。

 

ひとつは

大切な友達、しかも音楽や講演の舞台を一緒に作った仲間との初めての別れ。

 

もうひとつは

まだ生きている同士なのに、例えるならば「コロナ離婚」のように

いきなり来た大きな岐路や

 

予期しないことばっかりで

実は元気がありませんでした。

 

その、舞台仲間のかたはね、来世でまた会えると思うし
お別れのようでお別れじゃなくて 毎日 目に見えなくても 見ていてくれると思う。

 

でね、「例えるならばコロナ離婚」のほうは

生きてる同士なのにね

わたしが一歩成長しないともう会えないな、って解るんだ。

 

だからちょっと元気を出すのに 時間がかかりましたが、

 

今日は10月1日。

中秋の名月なんですね。

初心にかえって

 

また一歩。

 

ここから、さあがんばるぞ、という気持ちです。

 

ほんといっぱい泣いたし

 

「わたしも傷ついた」、、、っていうか
時間が経つほどじわじわ効いてきて
「私も傷付いてたんだ、、、」

って なんかね 怒りとか悲しみとかで

感情が瞬発的に出ているときは さあ次次!!!!落ち込んでらんない!!!

って 思うんだけど

 

日が経つほどに

 

「あーやっぱり悲しかったな」

「なんかもう なんのためになにやってんだろ私」

 

「私も悲しかったな」

「わたしもほんとうはあのとき助けてほしかったな」

「なんだわたし傷ついてたんじゃん」

 

って

 

だんだん あとから

 

あらわたし傷ついてたよ

 

っていう 気持ちが出てきて

 

だんだん あとから

 

悲しくなってくるのね。

 

びっっっっりしたよ、こんなことが

わたしにもあるなんて。

 

でね、「わたしが一歩成長しないと」って

「成長」とは、

なにか、っていうと

 

わたしが、わたしを、幸せにする、

その許可を出すこと。

自分にね。

 

その、コロナ離婚みたいに喧嘩になっちゃった友人(女性の友だちね)と
わたしとは

知らないあいだに

共依存みたいになってしまっていたのかも。

 

わたしは、「その友達がどう思うか」を

何を選んで何をするときも、心のどこかで、いつもいっつも
気にしてた。

 

この間、海に行ったんだけど、(20年ぶりくらいだったよ海!)

それとかも

「あの子が見たらどう思うだろう」

「あの子コロナ防止で今出かけられてないもんな」

「ズルイ!!!って思われたくないな」

blogとかも

「この話題書きたいけど、あの子はよく思わないかもしれないよなー」

ほんとうに 自分でもお互いが気が付かないくらい

自然に よくない関係性になってたんだと思う。

 

それで ひづみが出てきて 決定的になったときに

いっしょにイベントをつくってた途中で、喧嘩になっちゃって。
(ほんと、情けない話ですが(;;))

 

「わたしの話しだって聞いてよ!!」

「こんな大事な時になんでそんな全部投げ出して無視みたいなことができるの?!」

、、、って

怒っちゃったんだけど

 

 

これ わたしが わたしに言ってるわ。

 

って 気づいたら

もうどんどん どんどん 

悲しくなってくるのね。

 

ああなんで 私の話を「私が」聞いてあげられなかったんだろう

すごいこんなに 怒ったり泣いたり

こんな 落ち込んだりするほど 

 

私も 私に 大切にしてほしかったのに
もっともっと大切にしてあげられなかったんだろう
 

もっと早くに 自分の気持ちを 言わせてあげなかったんだろう

「わたしががんばらなきゃ」

「ちょっとくらい大変でもちょっとだし」
「あの子のほうがもっとずっと大変なんだから、
わたしが辛いとか言っちゃいけない」

 

・・・ ・・・って

また 「自分が我慢すれば」 っていう罠に 落ちるところだったじゃん。

 

って気が付いた。

 

でもそれでもやっぱり
嫌いな相手だから喧嘩したわけじゃないしさ。

 

ほんとにもう 感情のやり場がなくて

こういうとき一番に頼りたかった人は亡くなったばかりだったし(その、冒頭の、舞台仲間のかたね)

 

頼りたい人も会えるところに今いないのに

なにやってんのわたし もうなんなのよ

泣いたり

自分責めしたり

ふがいなさに情けなくなったり

でも わたしだって傷ついた という気持ちが出て来たり

 

もうほんと さんざん泣いた。

デトックスだよもう!って やけくそで すねてた。

 

「でも、また元気になりたいな、、、、」と思うと

思うのに 身体がついてけなくて

ほんとにマジで一睡もできなくなったり

胸の中がざわざわしたり。

 

ふて寝したいのに、ほんとに眠れないのね。

 

でもね、ほんと、ほんとに、沈んだり拗ねてたところ

八木さやちゃんの、この記事がFBにまずあがってきて。

 

つー、、、、ってまた涙が出てほんとに泣いちゃった。

↓八木さやさんの記事リブログ【心が強くなりたい。】↓


 

わたしの超最高に尊敬している人。エッセイストでブログを書く人でシンガーソングライターで美容家で実業家。

以前には、子宮委員長はるちゃんという筆名でものを書いていて。
性にかかわるお仕事の現役のところから(あと、摂食障害などの障害の当事者であるところから)
たった一人で、日々を毎日ブログに書いて

執筆やお仕事が拡がっていって、今の八木さやさんがある。

 

これほどの人でも

 

傷ついたり、泣いたり、おそれたり、体震えたり、するんだな、、、、。

 

して、いいんだな。

 

どんなに、いろいろなことを叶えて

何万人のファンとともに生きているような人でも

 

みんな、たった一人だけで立っている瞬間があるんだな。

 

そう思ったら、

 

ほんと、つー、、、、って、涙出た。

 

3か月?

 

いや、もっとずーっと長くかも。

 

わたし、ほんと、動けなくなってた。

 

何度も決めたのに。

 

忘れていないはずだったのに、人生で、一番、辛かった地獄みたいな日々のこと。

 

あそこにいた あの日々の中で泣いてた

毎日 死ぬことばっかり考えていた過去の自分。

 

 

『わたしは、今いる今日から手を伸ばして
過去のあの子の、手を取って幸せにする。』

 

そう決めたのに。

 

できてなかったなあ。

 

でね、あれもこれもいっぱい叶っていっぱいできたわたしじゃなくて

このすっごい弱い ホント情けない ホントもうちょっとは強くなりたい

このわたしのままで

 

一歩、進むために、

(わたしがね、いきなり、「お話し会、やりたい!やる!!!」って

メッセンジャーで、メールしまして)

 

11月に、子宮の唄歌い、弁財天・ツダユキコさんといっしょに、

わたしとしては、はじめて、

八木さやさんの提唱する【自分ビジネス】をテーマにした

お話し会を開催することになりました。

 

新しい生きかた、ありかたのビジネス論。

ビジネス論、っていうか、ありかた論。

(既存のビジネス論とは違うから、説明がむずかしい)

 

お客様ひとりでも、きてくだされば、必ずやりますね。(・v・)

 

だれちゃんにどう思われても、いいの。

 

わたしは、わたしを、幸せにする。

幸せをすることに、許可を出す。

 

「ズルイ!!なによ、あの子ばっかり!!!」

 

って わたし、思われたくなかった。

 

なにをするにも。無意識にも気にしてた。

 

疑ってた。

 

自分を肚から信じてあげられていなかったから

だからたぶん 友達のことも 疑ってた。

一番近くで、1番大切な人だったはずなのに。

 

でも、だから、一番、「言っちゃいけない」と思ってた
自分に言ってあげられなかったことばをお話し会のタイトルに決めた。

 

来月、やるね。

自分ビジネス、お話し会。

【自分ビジネス、きほんのき。私だけが幸せに、なっていい。】

 

ほんと、これを書いてても 泣きそうだし(ごめんね今日、変人で)

泣きながらでも、やりますから。

 

「ここを越えないと、誰にも会えない」っていう局面がわたし、

今だから。

 

ほんとうに(自分の中では)勇気が要ったけど、

これを今日、ここに、書くことで、

新しく、1歩。

 

月を見る、みんなの願いが、ぜんぶぜんぶ叶いますように。

今日もみんなが、無事に元気にいてくださいますように。
(お話し会のバナーは、ユキちゃんがつくってくださいました!)

 

朝霧 裕