みなさまへ☆

 

お元気でお過ごしですか?

 

先日の小澤綾子ちゃんとのコロナ禍の中での障害当事者ふたりの全出しトーク、

 

そしてこういう気持ちでしゃべりました、と書きました前回のブログ、どちらも反響が大きくて、

youtubeが700回再生、ブログがもうすぐ100シェアに届きそう、ぐんぐん伸びてます。

 

小澤綾子ちゃんyoutubeチャンネルより「車いす難病女子達・コロナ禍で命のトーク」

 

 

朝霧 裕ブログ「命を誇れ。生きるための歌」

 

特に「コロナ禍の下で、治療に際して、誰に治療し、誰にしないか、障害や年齢で順位に優劣をつけないで」

と話した部分、本当に反響が大きいです。

「わたしも疾患当事者だけど言えなかった、よく言ってくれた!」

という声が見てくれた人からたくさん届きました。

 

「誰の命には助ける価値があって、誰の命には価値がない」

こんなことを他人が判断する時代が来たらたまらない。

でも医療崩壊の中で、イタリアやNYでは、治療の際、そのように順位を付けざるを得なかった。

 

これは、障害の種別や有無を越えて、世界中の人に衝撃と悲しみを残しました。

 

潜在的に「世界がこうなったら怖いな」と多くの人が心のどこかでは思っていたけど

口に出したことはなかった、

 

口に出したことはなかったけど、

漠然とした嫌な予感というか、世界がどちらに舵を切るか、のところの

最後のところ、「こうなったらいやだな」と たくさんの人が共通意識として思ってはいた

 

そんな世界が顕在化してしまった。

 

トークのあとに、いろんな、障害や疾患(癌治療中のかたや、免疫不全のかたなど)から

反響を貰って、その中に、ご本人も障害当事者のかたで、

 

『だっこちゃんは、重度の難病障害者。
一人暮らしを普段はしてます。
今回、IBM勤務の難病障害者、小澤綾子さんとトークと歌のコラボをしました。
コロナウイルスの中、障害があっても、基礎疾患があっても、
65歳以上でも、
それを理由に命の選別をしないで。と声をあげました。
二人の活躍を見たら、
この人たちは、役にたたない人間だから、
いらない命なんて、思わないでしょう』

 

と、書いてくださったかたがいました。

 

でね、言葉を読んで、そうだ、これだよこれこれ!!って、

もう一度わたし、思ったんです、

 

『二人の活躍を見たら、
この人たちは、役にたたない人間だから、
いらない命なんて、思わないでしょう』

 

もちろん上記は

わたしと綾ちゃんが公に語った、ということの勇気に

共感してくださったゆえの言葉だと

解っている上でね

 

『わたしたちは、まだ世の中の役に立つ人間だから

生かしてください』

 

って、コロナ後の世界を

障害者や高齢者が、

条件をつけて

お願いをして

他者の承認を得て

生かしてもらう世界にしては、ダメなんだ。

 

あなたがだれかの役に立とうが、立つまいが、

どうだっていい。

生きている、

生きてきた、

あなたは尊い。

あなたは生きていていい。

 

生きていていいとか悪いとか

なんびとにもジャッチされる筋合いなどそもそもない。

 

0歳でも100歳でも

障害者でも健常者でも癌でも白血病でも社会不適応でも

ALSでも筋ジスでもホフマン症でも脳性まひでも

知的障害でも精神障害でも発達障害でもうつでもなんでも

あなたは生きていていい。

 

存在を軽んじられてはいけないんだよ。

 

「コロナに負けるな」はもちろんだけど

それ以上に 今

「差別に負けるな」

なんじゃないかと思うんだ。

 

生きるに際しして、無視されたり、軽んじられたり、

蔑ろにされていい人間なんていない。

 

この体ならバカにしていいとか

この職業なら差別していいとかね。

 

そんなものない。

 

まして

『まー、この人は、疾患持ちだから、

知的障害だから、精神障害だから、65歳以上だから、

いざのときには助けてあげられないけどしょーがない。』

なんて。

 

『いざのときに助け合えることを望む自体が

理想論でキレイゴトなんじゃない?』って言う意見も

中にはあるかもしれないけどさ、

逆じゃない?

 

『平和で楽しくてうまくいっているときにだけは仲間に入れてあげるけど

世の中が大変になったら、仲間外れね』

っていう対応しかできないのが

わたしたちの創り出してきた世界なのだとしたら

 

どこの国だって

いままでのバリアフリーな社会とかスポーツとか言ってきたことって

なんだったの?

それこそ上っ面じゃん?

 

日本の2年前の夏の、「国の障害者雇用率、嘘だった!」みたいな世界が

今でもずっと続いてきたの?!って話だよ。

 

「バリアフリーのフリ」じゃなくて 

わたしはほんとうのバリアフリーがいい。

 

「平和な時、楽しい時だけの、バリアフリー」じゃなくって

地震が起きたときや、疫病がきたとき。

今回のような、国難のときにも、

共生の頭数に、障害者も要介護者も高齢者も、入れてもらえる社会に生きたい。

 

「障害者だから」

「高齢者だから」で

差別のない、

真の共存共栄の社会。

 

「だれはだれより、存在の価値が高い」

「だれはだれより、存在の価値が低い」

 

こんなふうに比べっこする社会では、

なにがしか医療や住居がひっ迫すれば、

 

障害者だって

高齢者だって

いくらでも理由をつけて、

死ぬことをおすすめされてしまう。

 

障害当事者の命の差別だけじゃなく、

 

これから、コロナの影響で失職してしまった方の自殺が増えると予想を立てている

経済学者さんなどが今たくさんいるよね。

 

これもまた

「仕事がない自分=生きる価値がない人間」

と 思い詰まる人が多いからだと思う。

 

・・・ ・・・ホント、現代って

SNSのいいね!がなかったから死んじゃったとか

ブログの読者が増えなかったから死んじゃったとか、

・・・ ・・・ありそうだもんね。

 

そんな中で、無職になったら、

「自分はだれにも必要とされてないんだ」

「自分には生きる価値がないんだ」

って

「仕事がなくなる=自分の価値がなくなる」とか

「身体が不自由になる=自分の価値が減る」とか

ダイレクトに思ってしまう人も、増えそう。

 

でもさ、わたしからしたら、そのときのための社会制度だし、

制度は使えば使うほどよりよく拡充されるし

 

今、もしかしたら、これまでよりも、社会制度は手厚くなるし

人々の暮らし方や仕事の仕方は自由度が上がって柔軟になるし

コロナ以前より、人が人に優しい社会になるかもしれない

転換期にわたしたち立っていると思うんだよね。

 

勉強が人よりできるからわたしを誉めてください!!

仕事が人よりできるからわたしを認めてください!!

人より活躍ができるからわたしを生かしてください!!

 

こんなふうに、がんばってがんばってがんばって

人と競争をして

他人に認めてもらって、他人にご許可を貰わないと

自らの生きる価値を得られないような

 

「能力主義の社会」

「許可制の人生」を

 

今、日本中で、ひとりひとりが、

降りるときが今なんじゃないかな。

 

わたしが、生きる為に、医療や介護が必要だから、保障しろ。

 

わたしが、生きる為に、社会制度が必要だから、保障しろ。

 

それって

その「わたし」が、障害者でも

疾患持ちでも、高齢者でも

今仕事を失っていて無職でも

どんな身の上でも

 

主張していいし、

身体性や職業の種別や有無で

差別をするな ということを

もっと個人が 言っていいんじゃないかと思うんだ。

 

「生きたい。」ってわがままじゃないからね?

 

それで、今は、まだ、声を大に言える人しか救われない社会だけれど

ここを越えたら、

今ほど強く言わなくても、どんな人とも いのちを尊び合える社会がね

コロナ後に、大きく拓けるんだということに、わたしは希望を持ってるの。

 

でね、「どんな命も差別しない社会づくり」において、

 

重度重複障害をもつ仲間たちや、

知的障害をもつ仲間たちや、

介護が必要な方々、

人工呼吸器がふだんから必要な方々、、、、

 

今回に海外で、医療が後手に回ったとされる人々こそ、

「真のパイオニア」だと思ってるんだ。

 

そうそう、もうひとつ、気になるニュースがあって、

さっき、多くの人の失職で自殺率が増えるかもって見方あるよね、って

書いたけど、ニュースを見ると、

4月と5月、なんと前年比の20%も減ってるんですよね、

自殺率。

 

これって、こんなに目に見える結果って、、、すごくない?

 

「コロナ前の社会」だったら、特に日本は、

満員電車にのって、パワハラされてもセクハラされてもいじめられても、

あとどんなに通勤が体力的に大変でも、

会社に行き続ける人が、社会的に見て、デキル人。

 

「通勤し、出社すること」それ自体に付いていけないヤツは、落ちこぼれ。

 

学校もそうだったよね?

 

でも、在宅なら働ける人、在宅なら学びたい人、

「オンラインでいいんだったらできる」っていう人が

きっと全国でたくさん

これまでの社会の中にあっては、

「いじめ自殺」考えていたけどやめたと思うよ?

 

コロナ前の社会で、

会社でも学校でも、

「不適応者」

「落ちこぼれ扱い」だった人、

これまではハンディキャッパーだった人が、

 

これからの社会では主役になる。

 

ほんとうにそう思うよ。

 

だから、希望もそこまで来ているから

呼び込むためには

ひとりひとりが、

『自分自身の存在価値』を

あっさりと蔑ろにしないこと。

 

他人にやってもらうんじゃないよ?

自分で自分を、肯定し、誇ることだよ?

 

いつも他人様のご許可が得られなければ

自分ではものごとを決められない

 

いつも他人様に命乞いをしなければ

生きていいかどうかの権もわからない

 

「こんなわたしなんかには、価値がない、価値が低い」って

常に思って生きている、

 

「許可制の人生」を降りよう。

 

「救われる価値がない人間」なんていないよ?

 

あなた自身がそれを

ほんとうはだれよりも一番

わかっているんじゃないかと思う。

 

今日も世界にたったひとりの、あなたが

無事で元気でいてくださいますように。

 

 

❤朝霧 裕ベストアルバム・デジタル音源にてLINE MUSIC、Spotify他で販売開始!❤

↓媒体により、全曲無料試聴も可能です↓

 

↓朝霧裕公式ファンクラブ(オンラインサロン)はこちらから↓