皆様へ❤

お元気でお過ごしですか。

朝霧 裕公式ファンクラブ<陽の下会>
第1期50名様分を用意して、
人数は50名いかなかったけど
2年目、3年目、ずっと更新してくださるかたもあって
最初の分がソウルドアウト。
もう1回 在庫50を追加して このたび2期目に突入です。


わたしね、「歌をやりたい」って言ったとき
応援してくれる人が身近には友達二人しかいなかった。
それでもいたんだからホントありがたいって思うけど

家族も含めてほっとんどの人が
やめとけやめとけのオンパレード。
うん、うたへただったからね、今もですけど。(-▽ー)

でも粘りに粘りに粘ったの。
で、人に応援されようがされまいがとにかくやった。

そしたら、歌からいろんな人のつながりができて、
時を経て、ブログやSNSにも活動のことを上げていったら
その発信から介助さんが見つかったり、
障害の有無や世代を問わない仲間ができてきた。

それで、ライブにきてくださるかたとか
SNSを見てメッセージをくださるかたから
やっぱり
「ほんとうはこんなことをやってみたいんだけど、家族に反対されるのが怖くて言えなかった」とか

障害を持つ方だったら
「ほんとうはだっこさんみたいに一人暮らしをしてみたいけど
一歩目をどう動けばいいかわからない」
とか

男女や世代問わず、職場とか学校とか
「今いる場所に違和感を感じていて、所属以外の場所に、胸のうちを話せる仲間を見つけたい」
とか

「実は、成人したあとも、
毒親に悩んでるけど、言える人がいなかった」とか

「だれにも言えなかったけど、お金なくて困ってる」とか

過去のわたしがどこかで通ったことと
まったく同じではないけど重なる体験をしていて

誰にも言えなくて抱えてる、っていう人が
「実は世の中には沢山いるんじゃないか?」っていうことを知ったんだ。

今でこそいるけど
わたしも思い返すと 人生が一番辛かったとき
「話せる人がひとりでもいれば、突破口が開けたかもしれないのに、どうしてひとりで抱えこんで黙ってたんだろう」
って思う。

「わたし歌が歌いたいの」って人に言った時
嗤わない仲間が欲しかった
って

もし 一番最初に応援してくれた二人の友達すらも いなくて
応援してくれた人が0だったら 思ったと思う。

「ここならば
人のことを上から目線でバカにしたり
『どうせ叶わないよ。』とドリームキラーに変身して
人の心の中の考えや、夢を奪ったり
自分の考えを押し付けたり
年齢とか 障害とか 貧困とか 肩書の有無とかで
差別したりしない

政治観、宗教、国籍も、「違い」を排除の理由にしない、
「違い」を、楽しむ、個人の仲間。

自由に
そして安全に
個人と個人で話し 聞き
集う人同士も自由につながって広がってゆく

そんな仲間が必ずいる

ベースキャンプたる場がほしい。」

そんなきもちで、創ったの。

人のためにってわけじゃなく

わたし自身が

そんな場が
そんな仲間が ほんとに欲しかったから。

実生活でも、いろんないろんないろんな時期を越えて
「もういい加減 
お互いが『大好き』って言い合える
人とだけ、
生きていきたい。」
っていうタイミングだったし、

何かを話したり 行動をしたとき
嗤わない仲間が欲しかったから。

わたしは生活のことを本のエッセイにもブログにもよく書くから
「ファンクラブしかも有料って、、、
あなた芸能人でもないくせに、
生活保護を貰ってる人がまださらに金がほしいんですか」
って 電話きてガチで言われたりとかね

創立時の最初は外の人に色々言われたりもしたけど

人生のいろんな時期を越えて
暗闇から再びの陽の下へ出るように
そんな気持ちで名前をつけた陽の下会。

一番大事な仲間がいる。

足場が決まれば強くもなれる。

もしいつもブログとかSNSとか見てくださって
「あ!わたしここに呼ばれた!!」と感じるかたがいらっしゃれば
ぜひ話しにきてくださいね。

月会費1000円の年会費制で運営をしています。
「家賃1000円のシェアハウス」という気持ちで使っていただければうれしいです。

第2期も、どうぞよろしくお願いいたします。

朝霧 裕オフィシャルファンクラブ(オンラインサロン)<陽の下会>

朝霧 裕エッセイ4冊目。
車いすで帰宅難民になった東日本大震災の経験
家の中で起きた介助現場での虐待と、再起。
闇の中から光の下へ。
「自分を生きたい。」すべての人に贈る物語。