みなさまへ

お元気でおすごしですか。

きのうは、奥野殿がだっこ家にきてくださって
北見直前、最終リハ。\(・v・)/



行くにあたり、これを読み返してた。

いろんな人がフリーアートパーティーの告知をシェアしてくださっていて。

ゆきこさんのクラウドファンディングの文章を。

『障害のある人もない人も、一緒に遊べる』
フリーアートパーティー!クラウドファンディング
(現在は、達成後、募集期間を終了)
https://camp-fire.jp/projects/view/183008

ークラウドファンディングサイトより抜粋―

【障がい者と健常者が隣り合わせで体験する】
世の中にはバリアフリー社会に共感していても、普段障がい者と出会う機会がないために
「どう接していいか分からない」と思っている人がたくさんいると思います。
また、良く知らないから「ちょっと怖い」と感じている人もいるでしょう。

ですから私は、障がい者と健常者が一緒に楽しむイベントを企画しました。

障がい者向けのイベントはたくさんあります。
でも、それだと、障がい者の家族やボランティアさんしか関わることがありません。

私は、そうではなくて、普段障がいのある人と関わる機会がない人に、私の娘や、娘の仲間たちの姿を見てほしいのです!
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文章を最初に読ませていただいたとき、

『私の娘や、娘の仲間たちの姿を見てほしいのです!』
の一文の主語は、

『そんな彼らや、彼らの仲間たちを見てほしいのです!』
だった。

でも、わたしは、失礼かしらどうかしらとびびりつつも、

「『彼ら』だとちょっと他人事のように感じる。

『私の娘』と、もう、はっきり言ってしまったほうがいいと思う!
そのほうが より直球で、人に伝わると思う!」と
意見を言わせていただいた。

わたしがフリーアートパーティー!に出演をしたいなと思う理由は

いつだったかゆきこさんのブログで
「わたしの夢は、障害をもつ娘を残して安心して死んでゆくこと。」
ということばを見たからだ。

そして今回のチラシの裏面にも、
その文言は、はっきりと書いてある。

これほどに、爽やかに肚を括っていて
そして行動力のあるお母さんが他にいるだろうか。

いや、全国には、それこそ10日におじゃました
NPO法人 mamacareのみなさんもそうだし、
言葉を発信したり
お母さん同士のつながる場作りをしたり

障害を問わないボーダレスなかかわりの場をつくったり

動いているお母さんたちって

ほんとうは数えきれないほどいると思う。

でもやっぱり、地方だとまだその数は少ないし

そもそもが子育てが大変な中だから
その上に
コンサートやイベント
親の会などの
「代表をやります!!!」
と、手を挙げて、フラッグを切る
フラッガーになる人は少ないと思う。

だけど

「でも、自信はないけど、本当は、
わたしもゆきこさんみたいに、
やってみたいな」と
心の中で、ひそかに今思っている個人は必ずいるだろうから

障害のあるなしを越えて

「ゆきこさん(ぽんちゃん)と話してみたいな
会ってみたいな」

と思う人が
ひとりでも多く、15日、16日
会いにきてくださればうれしいなと思う。

もちろん、わたしと話したいという人がいてくださったら
それも本当に本当にうれしい。

わたしは 養護学校にいたころ
重度重複の障害をもつ子のお母さんたちに

「だっこちゃんは、知的には障害がないからまだいい」
「言葉でしゃべれるから、それだけでもよかったよね」

と言葉をかけていただくことがたびたびあった。

でも、その言葉を受けて
「うん、そうよ、いいでしょっ?!」
と思うはずもなく

しゃべれるわたしは

何を言って
何を言わなければいいのか

いつも葛藤をしてた。

養護の中学校1年生からクラスメイトだった
かずよちゃん(元・彩の国ゆめコン実行委員長)だけに
複雑だったきもちを
足らないながらも精一杯考えたことばで
よく話していたように思う。

でも 当時から ただひとつ

ひとつだけ思っていたことは

わたしは知的に障害がないから
口で言葉をしゃべれるから
生き延びられる

でも
口で言葉でしゃべって伝えられない子たちは
知的に障害をもつ子たちは

考えや感情をうまく伝えることができないから

見下される

いじめられる

ここちよくない生活に追い込まれる

もし
わたしたちが養護学校を出てから
暮らさねばならない世の中が
そういうふうに できているのだとしたら

それだけは

ぜっっったいにやだわ

もしそうであるなら

そのことについて
なんとかしたい

と思っていたということです。

だって ことばでしゃべれなくても
目の動きだったり
極めて豊かな表情と身体表現で心を伝えてくれる

教科書の文章を暗記できるとか
数字の計算が速いとか
そういう意味での知的な能力が健常者の平均とは違っても

自分のそばにいる
まわりのひとたちを よく見て

この人は今
楽しそうか

怒っていそうか

泣いていそうか

疲れていそうか

まるでテレパシストみたいに 
言葉でこっちはつたえていないのに

見透かすように
人の心がわかる

「ただそこにいること」で
いつも
わたしを安心させてくれて
わたしを守ってくれた

きっと社会に出てからも
だっこちゃんも
かずちゃんも
だいじょうぶ
だって ぼくたちもいるんだからさ
いつだって
ひとりぼっちじゃないんだからね

そういうふうに
いつも背を押されているような気がした

わたしよりはるかに障害が重いのに
あの子たちはくじけない

その日 その日の
一日ごとの
ひとりずつの生活に全力だ。

極めて障害の重いこどもたちであったとしても
クラスメイトたち
その一人ずつは
「ただの、わたしの友達」
だった。

障害について
どっちがいいとか悪いとか
だれのが大変とかだれはまだマシとか
そういうのって
だれにとっても失礼で

言われたときにどういうふうに
笑顔を返せばいいのだか

本当のところ わからない。

ただ わかることはひとつだけ。

障害が重ければ重いほど

その障害の当事者たちが
世の隅に 追いやられるのではなく

世の中の真ん中で 主役になれる

そんな世の中でなければ

わたしはいやだ。

障害で生活の質が蔑ろにされない世の中に
わたしは生きたい。

生きられる世の中がないならば

わたしが作りたい。

作る。

そういうふうに思っていて

これだけは10代
いやもっともっと小さいときかも
小さかった子供の頃から

ずっとずっとずっと変わらない。

ここだけはブレなかったから

他のことは続かなかったけど歌は続いた。

その延長線上に

仲間ができた。

そしてね

この 想いが強いわたしよりもさらになお

ゆきこさん

ぽんちゃんさんは 想いが強い。

だってそうでなければ

春思いついて
夏準備して
11月に開催にならない!(・▽・)

クラファンの応援者の数は144人。

すごいな~ を通り越して
すげーな!!と思った。

さいたまの、障害をもつわたしの友達もたくさんクラファンのページを見てくれて

「これはすごいよ。
非の打ちどころがないよ。
絶対に、やらなきゃいけないイベントだよ。」

と 口々にゆきこさんの思いを応援をしてくれた。

ゆきこさんが集客を心配していらっしゃるけども
イベントやコンサートには必ず
「ほんとに 今日 来るべき人
会うべき人は
あなたでしたね」
っていう
縁がある人
という人には つながるようにできているから

もちろん ゼロよりは1 1より2
たくさんの人にきてほしいけど

主催のみなさんの高いポテンシャルがもうわかってるから

全力で 個々のできることを楽しみきればいいんだと思う、
力を出し切れば。
出せた!、って言えれば。

ゆきこさん(ぽんちゃん)はじめ、主催の皆さんと
きてくださるかたへの尊敬を込めて
祈りこめて歌います。

ほんと、はじめての北海道です(・v・)
そのはじめてを
こんなにもすてきな主催チームの方々が、創ってくださり、最高に幸せです。

「人の縁」が連なり、いろんな場所へ、この身を運び続けるふしぎ。

このわたしに、できることがあってとてもうれしい。