みなさまこんにちは。

 

お元気でいらっしゃいますか。

 

このブログでもご紹介させていただいたり、

自主企画のトーク&ライブにスペシャルゲストできていただいたり

 

その生きざまを大尊敬する、

子宮委員長はるちゃんが引退する。(今後は本名でのご活動。本名、八木さやさんでのブログもあるよ。(・v・))

 

はるちゃんを知ったのは、まだ現役風俗嬢だった数年前。

 

ブログの質量、書くスピードも、とにかくすべてが半端じゃなかった。

 

7年前。

「わたし風俗で働いてます!」ってブログ書いている人はいなかったし、

 

「人の顔色伺いやめて、無理してがんばるをやめて、自分を大切にしていいんだよ。」

 

と、女性で、自分が実践をしながら、ここまでオンラインリアルタイムで発信しているなんて、右を見ても左を見ても

 

どこにもいなかった。子宮系女子も、自己開示も、そもそも、ことばが、なかったし。

 

当時から、

「わたしビジネスの大成功者です」

「わたし障害者のエリートです」

「わたしお金持ちです、ノウハウを教えます、続きは高額セミナーで」

みたいなブログはあったけど

 

そのほとんどは「自分がいかに稼ぐか」で 終わってて

ノウハウでも、お金でも、出会えた人でも、自分にご縁か来て得たものを、

<さらに、世の中に循環させること>を ここまで書いて ここまでやっている人を他に知らなかった。

 

「もっと障害に甘えなはれ❤」

「介助でも、生活保護制度でも、社会制度はどんどん使えばいいんだよ」

はるちゃんがエッセイやブログに公言してくれた

社会的・身体的に弱い立場の人の背を一歩、押し付けではなく、前へ押し出すたくさんのことば。

 

わたしも制度のことなんかは、自分のエッセイにも書いてはいたけど

「『生活保護制度は困ったら使っていいんだよ』

なんて、健常者のわたしたちは辛くても働いてるのに、ムカつくのよね」

 

と 書いては叩かれ 書いては叩かれ 何度も、批判者に負けそうになった。

 

でも、この生きる同じ時代にはるちゃんがいてくれて

 

どんな障害や病気をもつ人も、自分の意志だけで選びようのなかった

どんな生い立ちや環境を生きていた人も

 

生きることを引け目に思うことなんかない。

堂々と、自分を生きてさえいればよかったんだよ、と、

 

誰かのためとかじゃなく 

 

「わたしがわたしのいのちのために」

 

そうあれますように と 自分に対しても 生きづらさを抱えてきたような人に対しても 願う

 

その願いが揺らがなくなった。

 

それから、昔はそれによって精神的虐待に遭ったり さんざんだった

「わたしは、障害基礎年金や生活保護を受給しながら、

介助さんと一人暮らしをしています。わたしの仕事は、エッセイストであり、シンガーソングライターです。」

という 自分の等身大のそのまんまを

 

ブログにも 書くようになった。

 

「生活保護を受けている人たちのことを、良く思わない人もいるし、

暮らしのことは、プライベートなことなんだから、書かないほうがいい」

 

という意見もあったけど

 

書いたら

「わたしも母子家庭で、今子育てをしていて、生活保護を申請したいけど

勇気が出なくて、区役所へ行けないんです。もう自殺しかないのか、と、考える日もありました。」

とか

「発達障害を持っていたことを、幾年も、隠して生きていました。だっこさんのブログを見て、

障害を隠さなくてもいい世界に生きたいと思いました」

とか

「今、暴力をふるう夫と離婚を考えていて、人生相談させてください」とか(!)

 

なんとな わたしよりとんでもない 切迫した状況を

「隠して」生きている人がたくさんいることを知ったんだ。

 

「話して、相手にドン引きされたくない」

「話しても、どうせ、だれも助けてくれないに、決まってる」

「まわりの人に、迷惑をかけたくない」

「話したところで、相手がどう思うか、、、、」

 

相手 周り 相手 周り、、、、迷惑かけたら、迷惑と思われたくない、迷惑を 迷惑に、迷惑は、、、、。

 

どれだけ多くの人が、人の顔色伺いだけに終始して生きているのか 

ブログを読んでくれたりライブにきてくださる方の中に 実は 相当の数いることを知った。

 

そして、それらの話の中には、周りが先で、『自分』がいない。『自分の願い』が いつも いつでも後回し。

そしてみんなが 生真面目で がんばり屋で 辛くても口にできなく 優しくて いい人。

「でも、本当は、、、、、」の願いが、いろんな人の胸の中に、本当は、小さく強く、隠れてた。

 

以下は、はるちゃんのブログのリブログです。

 

 

ーはるちゃんのブログより引用ー

 

わたしは、

わたしは、

わたしは、

わたしは。

 

主語を取り戻す。 

 

「わたしは、」は、

今ここを決める魔法の言葉。

 

 

 

このはるちゃんの上記のことば、

主語を取り戻す、って一文に、撃たれたくらい痺れた。

 

はるちゃんを大好きな人も、

わたしのブログを読んでくれる人も、

人生の一時期に、予期せぬ何かが起きて、何かで悩んだり辛くて、

「自分」を取り戻したいと 願っている人がたくさんいた。

 

おひとりずつの、その姿や声は

 

過去の一時期、障害が重くて介助さんが長時間必要なことも、

生きるのに生活保護が必要なことも

「人様に申し訳ないこと」

と、何億人も人間がいる中のほんの数人の声だけで、思い込まされそうになっていた

過去のわたし 

 

それから

 

「ああ、今も、<顔色伺い>をまたしちゃったな。」

「ほんとはこう思ってたのに、言えなかったな、でも言わなくちゃ。」

と 自分が創りたいコンサートや、仕事の現場でも

時によっては身近な介助さんにも(身近だからこそなんだけど)

本音をぶつけて嫌われたくないとか

今までお世話になってきた人なんだから言わないほうがいいだろうとか

 

日常の小さいことから大きなことまで

 

・・・ ・・・っていうか 小さいことこそ大きなことで、

 

無駄な遠慮ばっかりしていた、

 

「自分の快・不快に沿って、自分で決める」を 目下実践していた(今も実践は進行形)

 

わたしに 重なって見えた。

 

でも 

 

意志があるのに 願いがあるのにガマンするのを

 

ひとつひとつ 小さいところから 止めよう」

 

と 気が付いて 自分の心を何より一番大事にしよう と 

 

そこに恐怖心がないわけじゃなかったけれど

 

でも本音を晒して離れていく人はそこまでの縁だし

 

何より 自分の気持ちと違うことをしても

第一 楽しくないし

楽しくないのにやってたら

それこそそれが一番の まわりの迷惑だしな

 

と 

 

肚を括っていっきにできたわけじゃないんだけどね

 

自分に聞いて 実践

自分に聞いて 実践

 

って やっていきました。

 

ブログも講演もうたの活動も全部。

 

わたしの心が、いやなことはしない。

自分のペースでしかしない。

 

これをもし阻害する人がいたら

 

たとえ昨日までは仲が良かった友達

昨日まではお世話になってきた恩人でも

その時は 縁を切ってもかまわない。

 

だって 人は成長をするものだし

昨日と今日でほしいものが変わることや

やりたいことが変わることだっていくらでもある。

 

「自分の心」がそこに無い状態で人に会うことや、何かすることをやめる。

 

「わたしは」に、集中。

 

主語を取り戻す。

 

それはつまり カオナシ状態の自分から

『自分の顔』を、

取り戻すことだよね。

 

結果、わたしは、もともとひとつのことに集中すると他はぶっ飛ぶ気質があったけど

その集中力が自分で言うのもなんだけど研がれて

 

ずっと続けてきたチャリティーコンサート、第9回ではじめて行ったクラウドファンディングは達成

続けて行った第10回目にあたる最終回も、前回額を上回る達成、

ネットからのお申し込みと、コンサート(彩の国ゆめコンサート)の口座に直接にくださったかたの

金額の合計は100万円に届いた。

 

・・・で、これだけあっても最後の最終回だからとCDつくって全員プレゼントにして

しかもチケットそのものをクラウドファンディングのご返礼に付けちゃったから面白いように利益がないんだけどね

(チャリティーコンサートだから、意図してやったし、いいんだけどね)

 

障害をもつ

人様に支えられて生きる

わたしたち本人が

地域福祉へのチャリティーまで出す

コンサートを、まわす

 

お金は想いだからね

人力とお金とをまわす

 

自分たち主催は謝礼を1円も取らない

 

これが もう 私には楽しくってたまらなかった。

 

「だっこさんお金もらえばいいのに」

 

ってむしろ言われたけど(これは埼玉県と市の規定が厳密にあってチャリティーコンサートではできないの)

 

でも わたしが憧れる人はみんな

 

「わたしの得たお金が本当に必要な人に使われたらうれしい。じゃんじゃん払いたい。じゃんじゃん納税したい。」

っていう人ばかり。

 

自分でかき集めて貯めて胸に抱えて持ってたい なんて人いなかったのよ。

 

自分の持てる全部を全部 出してるの。

常々全部出してるから 人も想いもお金も全部、必要な時に必要なだけ

見事に、まわってるの。もう芸術の域!

 

でね その 生き方の真骨頂がはるちゃん。

 

「この人を見ちゃったら、もう、自分もやらないわけいかないな。」

って そのブログや存在を見て触れて受け取る人に

最高の影響を与える人。

 

「『開拓者』って この人のことを言うのよ」、と、常々思う。

 

わたしも誰かがブログや見た時に、

 

「こういう人が世の中に、少なくとも今同じ時代に生きているなら、

わたしだって自由に生きてみてもいいのかもしれない。

少なくとも、

そうした結果で幾人か人が離れていったとしても

また新しい素敵な人にも出会える世界があるのかもしれない。

今ここが、絶望の人生の終わりではないのかもしれない。

 

わたしは

わたしを幸せにする。」

 

その 勇気の 足場になるような だれかにとっての(その人にリアルで会うことがあってもなくっても)

存在であれたらいいな。

 

少なくとも

 

10年前の私の視点で見たときに、

「ただ一人でいいから、こんな人に、わたしの思い描くような人に、この世の中にいてほしい」

と願ってきた人物が

今のわたしであるような 存在であり続けたい。

 

「よくがんばった、ありがとう、わたし」

 

って 今ね わたしも 過去の自分へ 心の底から思ってるんだ。

 

10年前、、、、うつ病でもういつ死のういつ死のうって

考えるほか発想が出てこなかった、地獄のどん底だったんだから。

 

でも、先に不幸を体験しなくても幸せになっていい

幸せって今思える人だってもっと幸せになっていい

 

っていう 世の中に なるといいよね。(もう、ごく一部はなっているよね)

 

だって人生は一回だし、長さなんか、わかんないことだから。

 

はるちゃんは、はるちゃんを引退するけど

 

それも含めて

 

潔さが 大好きだ。

 

ひとつところに決して留まらない 濁らない 滞らない 淀みなく 心のままにいく生き方が。

 

なんか、好きすぎてどう書いていいか 取り留めない文章になっちゃったけど

 

これからは八木さやさんの活動になるけれど、そちらもさらに自由度が増して素敵だし、

 

引退前に、子宮委員長はるちゃんというこの素敵なひとの存在を

 

今日の今まだはるちゃんのことを知らないかもしれない誰かへ、どうしても伝えたくて書きました。

 

これは去年夏のトークと音楽ライブ スペシャルゲストとして

いらしてくださったときの共演時、歌手のツダユキコさん、
子宮委員長はるちゃん、だっこさん。

 

だっこさんの生き方に強い影響を与えた新しい女性のひとり として

ずっと好きです。

 

わたしも

わたしを幸せにする。