みなさまこんにちは☆

お元気でいらっしゃいますか。

朝霧 裕公式ファンクラブ「陽の下会」の
メンバーが17人になりました。

世界最小の秘密結社💛として会員3人でスタートしました2月。


なんと!まさかの!20人が見えてきましたよ!(^▽^)

お一人ずつお申込みが来るごとに
愛と感謝と感動で けっこうホント マジ泣きしています(;v;)

感謝って

「あんたは障害者で人の手を借りるんだから常に常々感謝しなさい」(←そりゃあまあ、してるけどね💛♡💛)

「どんなにムカつく日も悲しいことも 不条理なことがあっても
それも人生修行だと思えば気持ちが上向くから感謝しなさい」

とかって 『しなさい』で 人から強要されてするものじゃなくって

人から愛を受けて 自分の気持ちがうわーって盛り上がったときに
勝手に 沸いて内側から来るものなんだよね。

本会を作ってから 人ってあったかいなあ 

わたし 愛したかったし愛されたかったんだな とか

なんとも わたしとしたことが 『愛』について考えざるを得ません。降参です。ほんと。

想い とか 愛とか お金の循環 とかさ お金は見えるけど
<循環>は 見えないんだよ。

人は見えるけど 想い とか 魂の欲求とかは 直に目では見えないんだよ。

その「見えないところ」のことを考えることだけが 趣味であり仕事になりつつあります。

本来の自分に、ますます戻っている感覚です。

ところで、今年3月の日記にこんな↓文章を書いています。
当時のメンバーはまだ7人でした。

2017年3月24日付 
『宇宙オーダーを書いておく』
https://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12259320309.html

約2年くらい、
「願いをもって生きる実験」を続けてきて、
ここに書いた願いはほぼ全部叶うから書いておく。

ファンクラブの会員さんが100人になったら
たぶんまだ100人では生活ぎりぎりだけど、
生活保護を抜けて暮らします。

ファンクラブの会員さんが200人になったら
より人間らしく暮らしながら
ここからは
応援してくれる人に「お金を循環させる側」にまわります。

300人になったら、、、みんなで踊ります(>v<)
300人祭りしようね。

500人になったら、、、どうしよう?!(・v・)
見合うホールでたくさんの仲間の参加型コンサートをやります。

1000人になったら
大宮ソニックシティ―にみんなで出る!


ー抜粋ここまでー


なんだろうね この根拠のない自信、、、。我ながら、、、。

でもね
「本当にやりたいこと」って

やっぱり やるんだよ人って。

きっとこれば別に 私でも 私じゃなくっても。

「他人が止められない」んだよ。

「いつまでたってもメンバー0人で笑われたらどうしよう」とか

思うし

「大スターでもないくせに」って類の 叩きもきたし(しかも「親しい友達」とそれまでは思ってた人からもね)

スタートはこわいんだけど

でも 他人が止めてもやりたいからやるんだよ。

これね いやいや わたし びびりなのにな、、、とか アタマでも 自分で何度考えても

不思議なの。

でも『流れ』があるの。

「あ。これ、わたしがやらなくっちゃ。」

「あ。これ、わたし、今日、乗らなくっちゃ。」

っていう 『流れ』 だけを 見てるの。

目には見えないの。

感覚。

なので、↑こういう話し↑が めっっっちゃ好き!わかるー!!!
なんかよくわかんないけど わかるー!!!!!!

っていう人に ますます来てほしいです。

わたしたぶん 真剣にものを考えてるときって(みんなそうかな)

カフェでおしゃれに とかなくて

家で虚空を見ながらぼー・・・ ・・・としてんの。

でも その 私の体と窓枠のサッシの間の空(くう) みたいなところに

『答え』が全部先に書いてあるから

それを朝霧 裕さんが 実行してるの。

「あ。わたしこれやりたい。」って言って。

それで わたし特別ー♪とか一切思ってなくて

こういう<感覚で生きる・実践をする>実践者って もう幾人でも

ものすごい素敵な人がたくさんいるよ。(たぶん近年、こっちがフツー、になっていくよ。)

新しい仕事 新しい在り方 新しいやり方、、、どんどん 創造し続けている人が。


陽の下会は、
どうなっても
「作ったことが失敗だった」
ということにも
「作って会員さんがいなくて恥ずかしいわ」ということにも
絶対にならない という確信があったから はじめました。

それは人数がどうなるかということではなくて

「わたし今、介助のことで困ってるんです」とか
「生活保護を受けていることを バッシングが恐ろしくて 隠して隠して生きてきたんです」とか

身体の差異にかかわらず

「働く」とは何か
「収入を得る」とは何か 何のために それが必要なのか(お金とか 働くことととかが)

「世の中に、何かを残す」とは何か

ずっとずっとずっとずっと考えてきたり
既存の社会では 私みたいに 適合するように頑張ったけど体力とかなんらかの問題で不適合だったり

適合できているけど 不満と不安 違和感ばっかりで生きていたり、、、

「過去のわたし」みたいに

もがいてもがいて そのまま足が泥沼に埋まってっちゃっている人が

個々 居宅で 一人で 家にいるだろうな という 経験値からの確信があって始めました。

命かけてきてるから。生存をすることに。

だからね

「生きるとは?」
「そして死ぬとは?」
とか
「なんでわたし生きてんだろう?」とか

『(自分の)命を使って何ができるか』 みたいなことを考えるのが ものっすごく好きなんです。

だから この間、
Twitterを使って「私と一緒に自殺してもらえませんか」って仲間を募ったすごく若い人が
9人が惨殺された事件を見たときね

「死にたいくらいならみんなうちにくればいいのに。」と思った。

犯人の人が
「ほんとうに死にたい人は誰もいなかったと」という内容も供述していると報道で見た。

生老病死 老いも若きもかかわらず

みんな自分にバツつけすぎだ。

「そうは言ってもいきなり強くなれるんだったら、だれも死んだりしないんだよ」って それは自分でも思うけど

わたしはね 強くなくても 歩けなくても 

病気や障害があって働けなくても 

ホント体型とか容姿とか

積極性とかコミュ障とかもうほんとどうでもよくて(※当人が悩んでいること自体がどうでもいいという意味じゃじゃなくてです)

いつも自分と強靭なスーパーマンとを比べて 

今ある社会(書いてたら思うけど、「今ある学校」と書いても、まったく同じで、そうかもね)に適合できるために

努力しろとか お前がハートを強くしろだとか

今ある社会に合わせて

もっとがんばれもっとがんばれもっとがんばれって 別に誰にも言わないでも

今ある自分
今あるここから
自分に合う、生きる場を創出してゆけばいいんじゃね?

って 自分を使って再三やって やっぱりこれは 揺るがないから 「答え」なのよね。

そもそも 人の役に立ってない人も 働いてない人もいないし(それは「労働」とか「就労」とかじゃなく、
「社会に対する影響力」の問題だからです、それが「ない人」は、いません。)

人の役に 「立たなきゃいけない」 とか
無理を押しても「隣の人と同じやりかたで」働かなきゃいけないとかじゃないからね。

したいよーにすればいいのよ。

だって 自分の人生だもん。

ただそう言える大人が 死にたいこども(おとなも!)の隣に 増えればいいのよ。

そのためにも
まずは自分が幸せに。

陽の下会は 「わたしが人のためになにかをやってあげたい」じゃなくて
「わたしが わたしを好きな人と繋がる場所が欲しかったから」

 

「あったら、ただ 無いよりもあるほうが 楽しそうだったから」
 

作りました。

それだけ。

で、実際に楽しいです。

それだけの しかも楽しいことが 今わたしの収入の道のひとつです。


「自分を生きる!!」と決めたあなた 
自分を生きた過ぎて 思いがすごく強すぎて むしろ死にたいあなた、、、(汗)

生活保護の当事者の人も、障害や難病の当事者やそのご家族の人も

このブログを見て何かどこか共感をしてくださる人も

マウンティングとか絶対なしで ここから 生きる場を創出する場のひとつ

血のつながりに関わらない 心地よい距離の 親せきのような 場のひとつ として

この場を自由に使ってほしいです。

朝霧裕公式ファンクラブ「陽の下会」
まだまだ 会員 募集中!

https://daccofc.theshop.jp/items/5552405

 

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「自分を生きたい」すべての人に届きますように。