みなさまこんにちは⭐︎
お元気でいらっしゃいますか。
以下はFacebookに載せたわたしの散文ですが、ここにも貼っておきます。

【子宮メソッド・夢や目標・日々のこと、親友のこと】

さて今日は、子宮委員長はるちゃんに、私信の秘密のメールをお送りいたしてみました(・v・)子宮の声であり、肚の声、本音の声に忠実であること。自分と他者を信じること。
地道に地道に、実践、トライ&ザワザワ、ワサワサ、、、またトライ、をくりかえし。そして
「もうあとは神様にお任せ!!」
とやることをやったらあとは ほんとうに<神の仕掛け>みたいなことはたくさんあるから 手から放して 放っておくんです。
どこからでも助けがくるし
叶うことは会った瞬間にわかるの。
お互いの人生が、触れ合った瞬間に
「叶っている、近未来の、当日の、自分の姿が見える」のよ。
先に絵が実感を持って見えて
一回も揺らがないんです。
「答えが先にある」感じ。
恋愛で人を好きになるとかも、これなのかもね(・v・)

この頃わたしは、音楽への取り組みもこうして文字を書くことも
やっていることそれ自体が楽しいです。
結果お金になるかならないかは「結果」であって
しかもこれって「逃げ」で言っているわけじゃなくってたぶん
「ほんっとうに楽しい」って思っているときは勝手に(一切心配をしなくても)お金にもなっています。

わたしが表現活動を続けてこられたのは、ひとつは、はじめた日から今日まで、私が何をしていてもしていなくても、究極、音楽や執筆をやっていてもいつ止めても
お互いの存在が ただ大事だと思う ただひとりの親友がいること。養護学校で、12歳で友達になって、今もってご縁がつながっている唯一のひとり。
彼女あってのわたしだなと思っています。

それから、近年、より「楽しさ」と「自由度」が増してきたのは、子宮委員長はるちゃんの存在を知ってから。
それ以前のわたしは、まだ、歌を歌うにも
「お客さんは、この詩ではどう思うだろう、この歌い方ではどう思うだろう」
と、<先にお客さんの顔色を窺いたくなってしまう>という恐れが、ゼロではなかったと思っています。

でも、
「誰の、歌だ?」
という話しで。

「先に人の評価を気にする」、「誰かに何かを言われたらもうすぐに書いた詩をコロコロ変える(←わたしはこれだけはぜったいにしなかったけど。たとえばまわりが「この人は芸能界のえらい人だ」みたいに言っている人に言われても)」

これをやっているうちは、だれの心にも響かなく、歌が届くことはありません。だって100人いたら感想は100通りだからね。

たくさんの、音楽をやっていたり物を書いている人を見て
名前が本人がなにをしてもしていなくても広がってゆく人もいれば
自分が自分の心の中でだけ
「ああでもないこうでもない、ああすべき、こうすべき、どうしなければならない」
と「べきべき」で自分を縛ってどこにも出ないで止めてゆく人もいます。

わたしにどこまで何ができるかわからないけど
とにかく今が音楽でも、講演でも、書くことでも、取り組んでいて人生で今が一番楽しい。

自分にとって一番大切だと思っていた(発起人をやっている)彩の国ゆめコンサートに
「一生涯これをやる人」ということがわたしの人生なのかな?
スタッフも必ずボランティアということでいいのかな?
いろんなことで、9回を続けるうちには疑問が出てきて
10回で最終回にする、と決めたとき、
決めたくせに
3か月くらいは毎日泣いていました。

「わたしの人生このまま暮れていっちゃったらどうしよう?!
朝霧がゆめコンの終わりといっしょにおわっちゃったらどうしよう?」
と。あまりに心が揺れすぎて
「そうなったら仙台に住もうかな(-v-)」
と考えたりね。

世界はパラレルワールドで。

一寸先に どの自分も どれかの扉の向こうに生きている。

でも選べて

私の人生はまだまだ今からのほうが楽しいらしい。

そんなことを 肚から思っている今です。

これからも、心のままに
はりきりつつあとはもう神様にお任せ☆彡

「今、目の前の、今日の、今」
やりたいことはもうそれほどにたくさんはない。
肚の底で、そう思えばおもうほどなぜか外へも広がっていく。
そのことに幸福(と降伏)を感じます。