いやあのね、来月ね、ツダユキコちゃんと再演いたすことになりまして!!!

わたしの住む街与野本町にきてくださると(>v<)来月。


それからね、はるちゃんファンの方々(俺もです(・v・))のイベントなどにもまた行けそうで。


でね、


ユキちゃんの、


「ありとあらゆるものを、バリアフリーにしていきたい。」


って ブログに書いてくださった一文を読んだら


つーーーーーーー、、、と 涙が出てきて。


肚から湧いてきた声が。


『あのとき死ななくてよかった。』


なんかあれなのよ、字体がピンクとかじゃないのよ、七色!!!って感じでもあるし

この紫って感じでもあるっていうか。


たかが他人にいちゃもんつけられたくらいで 死ななくてよかった。


あの


介助さんが2,30分いない時間に与野本町の駅のホームに行ってさあ


「こっからスパッと落ちて引かれたら死ねるんだ。

でも助かっちゃったらいやだなあ」


と 思いながら 点字ブロックの黄色いの 見ていた。


あの時死ななくてよかった。


そのあとわたしはこの本↓↓を出して





ぶっちゃけそれまでの3冊のときまでは


「あんた本書いたりライブしてるとか言ったって結局生保じゃん」とか

「俺らの税金で生きてるくせにやな感じ」とか

「なんで施設に入んないの?」とか

体力が極端にないし すさまじくよく寝ることも

「怠け病じゃん?障害に甘えてるんだよ。」

「精神的に弱いんだよね、気持ちの問題じゃん?」とか


disってくるやつらの言葉に いちいち グサグサ傷ついたりとか


傷ついた反動で 全身が煮えたぎるほど本当は怒ってたくせに肚に溜めてたりとか


「人の言ったこと」に おどおどしてたし

環境を改善しようにも 逃げ難い状況があったから


もうほんと


人生に何回か(究極は一回ね)


地獄を見たんですけど


とにかく震災以降


うちのまわりの次元の断層みたいなのがバーンとずれたのかしらと思うほど


すべてが開いて


すべてが変わって


もう本当に肚から


私は私が一番大事 と。


この部屋を聖域と思うことに「決めた」のよ、ただ。


誰であれ


私の世界には


この玄関から中には もう


私を好きで 私も 好きな


本当に両想いの人しか絶対に入れない。


家の戸も同じ


心も同じ(当たり前だね)


そう決めたのよ。


だからね


みんながわたしを


「愛の人だっこさん」(←自分では言われて「不思議」と思う)と書いてくださるそれは きっと


「弱さを肯定する愛」と


「強くなれ強くなれ強くなれしっかりしろちゃんとしろ世間を見習えもっとがんばれ」っていうのは

全然愛じゃない(-▽ー)

っていうか呪詛じゃない?(・▽・)


、、、っていうか てめーが自分に集中しろよって思っちゃうよね


という この 揺るぎない自分の芯みたいなのがあるのと


かなり命が(物理的に)危なかったような環境下に生きていたこともたびたびあるから


(それは、介護制度がじゅうぶんにまだなかったとか、

じゅうぶんにあったけど虐待もあったとか いろんなことで。).


やっぱり根本的に


けっこうな日常下から来たっていう 「核」があるんだと思う自分に。


だから 元風☆俗嬢で 元☆介助さんの子宮委員長はるちゃんには


人それぞれの 生きる環境の たとえば性風俗の

 

きっと最もバイオレンスなところとか


「助けて!!!」って言えなければ 自殺に追い込まれる場合があるとか


介助・介護の ふれあい やさしい いきいき 


みたいじゃないところ!!


(それは、利用者の側から見てもそうだし


逆に介助さんが使い捨てとか奴隷みたいに使われているような現場もあるかもという、


介助さんから見た過酷なところ)


とか


いろんな キレイゴトじゃないことを 体験した上で 書いたり語ったりしている


という尊敬があるし


はるちゃんに共鳴する方々 特に女性たちの 生きてきた背景をブログで読むと個々すごいし


でもね


その 個々 なにがしかのサバイバーみたいな おひとりずつが


「今、幸せにしていること」や 


そうなっていく 過程を垣間見て


それで 「ああわたしも わたしを信じていいんだな」というか


信じてきて


間違いじゃなかったな



なんかどんどん 本来の自分が 自分に還る っていう 感覚が強くなるのね。


そんな中で 


「ああ、あのとき死ななくてよかった。」


って



それだけを思います。


最近ね


「魂」っていうことをマジで考えるのね。


身体障害がうんぬん とか 難病の症状がうんぬん という 肉体だけの話を越えたところで。


障害はゆるやかながら進んでいるから


そっちが気になっちゃう つい気を取られちゃうっていうときもあるけど


だからこそ


「わたしを喜ばせたい」、って思う。


ライブ&スペシャルトーク「はるのうたー愛のだだ漏れSpecialday」のときに


身体の真ん中からぐわーーーーっと光のたまになるような感じ って 書いたでしょ?

 


この感覚を芯にして


「この今日、この今、この魂を喜ばせたい」


っていうことに 一日ごと集中をして 日を重ねたい。


それは 歌うことや人に会うこともそうなんだけど


「休むこと」、「眠ること」、「何にもしないこと」も、ぜんぶ含めて。


わたし(わたしの魂)が、嫌なことはしない、食べたくないものは食べない 会いたくない人は会わない


わたし(わたしの魂)が、望むことをする、望むものを食べる、望む人に会う。


そうやってるとね


「ひっぱられる」のよ。


人に言われてとか、威圧されてひっぱられるとかじゃなくて


自分が描いて自分が決めて、もう、答えが先に見えているし


「当日の絵が具現化する前に見えてる」っていう日や、できごとがほんとにあるの。


この「ひっぱられる」感覚に従って生きて行くと


引きこもり度は増すけれども


「今このことばをわたしは身体から出さなきゃいけない」


ということばや


天意 とでもいうべき なにか わたしの頭を越えた 意図(糸?星?龍?守護霊?なんかそんなような。)


上からきているようななにかの力で


人に会えたり


場所に会えたり


するんじゃないかと、、、、これは確信として、


ワクワク、信じています。



それから


もし今日の今、

いじめとか虐待とか、生きる力や、「自分のことを自分で決めることへの自信」を

削ぐような言葉や 暴力に晒されている人が

一人でもこのブログを見ていたら


できれば、死なないでほしいと思っています。


必ず、


人は 本来の 自分1000%の自分に還れるようにできているから。


今ここで 死んでしまったら


損だよ。

 


、、、まあこれは、だれか人のためにっていう正義感とかじゃなくてさ


だれよりも、過去のわたしへ 伝えてあげたいことばでもあるんだけどね。


★次回のライブ★

2017年6月9日(金) 満月 夜19:00-21:00 1ドリンクオーダー+自由料金制

出演 朝霧裕(うたとおはなし) 奥野裕介(ギターとうた)

カメユキ(伊勢の子宮の唄うたいツダユキコ&情熱のシャンベ カメちゃん)

場所 自然派食堂カフェ たねの木 ※全20席 要予約


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