みなさまこんばんわ☆彡

お元気ですか。


神奈川新聞に、こんな記事を見つけました。


建設断念 障害者差別と看板(上) 反対運動 なぜ“成就” (神奈川新聞 カナロコ)

http://www.kanaloco.jp/article/206056


これ会員登録しないと全部読めないですが、

「知的障害者ホーム建設 絶対反対」の手書き看板。


なんだろう、この、「平和で楽しい生活を知的障害者の人に壊される」という強固な偏見は。


っていうか。


自分達が「善」、知的障害者の方々「悪(に決まってる)」と言わんばかりのご意見は。


なにより恐ろしいと思ったことは。


記事を読み進むと、

「高齢介護施設や、身体障害者施設なら反対をしなかった。」

と、証言している住民のかたがいること。


なんでなんだろう。


津久井やまゆり園の重度心身障害者の方々の殺傷事件のことでも

障害の人を「要らない存在」と決めつけた犯人の人に

同じように思ったのだけど


「この街に来てもいい障害者」と「この街に来てはだめな障害者」を 


あんたが決めるんだろう?


「生きていてもいい障害者」と「殺してもいい障害者」を


あんたが決めるんだろう?


だって 障害のない方が どっかアパートからアパートへとか


お引越しをするときに


「あなたがここに住んでもいいかどうかを、

わたしたち住民たちで決めますから」っていうことは、ないでしょ?


(大家さんの審査だけはあるけどさ)


なんで。わたしたちは。


こんなにまで、住む場所の確保や生存が危ぶまれるまで、

生きてるだけでコケにされなきゃならないんだよ。


と、自分自身の身に起きたことでなくとも、

やっぱり、悔しいよ。


なんで、こんなにまで、、、邪魔にしなくても、いいじゃない、って、思うから。


でも だけど☆☆☆彡


話はここで終わらない。


これは埼玉県飯能市にあるカフェにこにこハウス(ここの取り組みは必ず日本の手本になるよ!)

https://www.facebook.com/niconico.7.house/  (facebookページ)


これはスワンベーカリー

www.swanbakery.co.jp/


これは彩の国ゆめコンサートでお世話になりましたNPO法人CILひこうせん

http://cil-hikousen.jp/


これは7月の古民家かぐやコンサートでお世話になりましたNPO法人オハイエくまもと

http://ohaie-kumamoto.org/


これらは、わたしが直接にご縁をいただいた、団体や事業体の取り組みだけど、

なにより、なにより、神奈川県は、

特に知的障害を持つ方々の地域福祉では日本一と20年くらい前からすでに言われていたはず。

だからこそ、

その土地に住み、すでに地域住民として暮らしている方々が多いからこその、

様々なご近所同士での問題なども他市町村よりは件数にあったのでは?

と FBに書いたら、意見をくださった方々もいらっしゃいましたが、


とにかくさ。


住むことに 食うことに ただ ただ 人として生存をすることに

地域社会に受け入れていただくということに

苦労して苦労して苦労した上に尚身を縮めて生きるなんておかしいことだ。


「そんなことなら、うちの街においでよ!!」


って 手をあげてくれる市町村はないのかな。


「反対勢力」と「戦って勝つ」というやりかたよりも(勝ち負けの問題にしちゃいけないと思うし)


最初から


いっしょに生きようよ 障害のある人もない人も大人もこどもも

どんな人もみんないて当たり前じゃん。


って 言ってくれる、人がたくさんいる。


行政だけがセイフティーラインなのではなく。

困ってたら助けるよ って お互いが頼りっこできる、

そういうふうな


場みたいな村みたいな町みたいな

生きる術の 地域社会における 人の ネットワークづくりというのは

どのくらい どこまで 可能なんだろう。


場を選び、幸せに生きることこそ、社会への啓もう。


不幸じゃだめなんだ。


「(障害を持っていても)幸せに生きることへの可能性」


ということを


ずーっとずーっとずーっと考えてる。


わたしは幸せだけど(だいたいなんでも幸せだから。ごはんがうまいとかで(・v・))


でもそれでもこの先がなきゃいけない。


声を遠くへ多くへまだ出会ったことのない人へ

響かせてくれる沢山の仲間が必要。


一人より二人。二人より三人。


障害のある人・ない人、そんなこと一切不問として手を繋ぐ。

どんな障害種別の人もその家族の人とも手を繋ぐ。


それでここにまた書く。


思うこと、出会えた人、行った場所、見たこと、体験ができたこと。


わたし、特定の宗教を持っていないけど、


でも


自分の感覚としていつも感じる、「かみさまの仕事」がしたい。


わたしの書くことは、自分と人の生き死につながっている。


でも、だれの書くことも、話す言葉も、ほんとうはぜんぶそうなんだ。


見えなくっても 遠くても 影響し合ってつながっている。


だれも、ひとりも、 例外はなく、


敵・味方、「仲間はずれ」はなく、


命を尊びあえる世界を わたしは、本当に作りたい。