みなさまこんばんわ☆


お元気ですか?(・v・)


きのうの記事、
「わたしの願い」をfacebookにもリンクしたら、
http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12210083232.html

大好きな 大好きな 大好きな
子宮委員長はるちゃんから「いいね!」が☆彡

もうね、
「きゃー!!!(>v<)」って声に出して手放しで喜びます。
うれしいです。



こんなにも「生きている人」ってきっと宇宙全体探してもそうそういない、と思う人。

もうすべてすべてが破格の桁違いの規格外、

でも だからこそ 大好きな人です。


以下は、そのはるちゃんの、リブログ記事。

文中にある


「お金がないって言いたくない。

お金が欲しいって言いたくない。


それは恥ずかしいことで
かっこ悪い。」


そう思っていませんか?


という問い、、、まさに わたしがそうだった。


たとえば、本当に個人でやっているから、

ライブやコンサートの謝礼の金額のことを


自分のことなのに


自分が生きていくために必要なお金のことなのに


過剰に


「あー・・・ ・・・言いにくいな・・・ ・・・

あー・・・ ・・・話しにくいな・・・ ・・・」


と 思っちゃったり。


でも お金のことで 相手のあることで 気持ちがすれ違っちゃったり

「自分はこういうつもりだった」という

「つもり」が違ったり

本当の気持ちを言えないと やっぱり モヤモヤは残る。


モヤモヤが残ると 1グラムでも


モヤモヤのほうに 気持ちが削がれると


それじゃやっぱり 全力を本番に出せてる状態にならない。


ある日から、「結局、それが一番にだめじゃん?」と覚悟して、


最初から変な遠慮をしないで 


お金のことも 素直~~~に(欲しい額とかも。)


ライブや講演の主催様へ


自分から伝えるようになったら、そのほうが、


「お金の話しってなんだか遠慮しちゃうなあ・・・。

お金の話って、なかなか自分から切り出ししにくいんだねえ?」

眉毛をハの字にしていたときよりも、

はるかに、さわやかに仕事ができるようになったと思う。


それから、

「社会福祉系の企画コンサートは予算がない」とか

「福祉のことだから、ボランティアで」とか

「障害の人達がやっていることだから、、、」と

言う人は福祉の世界に本当に多いけど


わたしもゆめコンを、スタッフさんはボランティアでやっているけど

「障害者のわたしたちが企画をしているんだからボランティアで当たり前でしょ?」とか、

「チャリティーコンサートなんだから当然ボランティアでしょ?」とは


一切思ってなくて。


だから、自分が、コンサートが県の後援企画であることの兼ね合いとかで、

「ボランティアでお願いをしてもいいですか?」と人に頼むときは

「私が楽しいんだからいいよ!」

「やりたいから、一緒にやろう!」

という人を 選び抜いて、人選をする。

「障害者がやっていることだから助けてあげる」

っていう人は 入れないように 注意もしてる。


でね、チャリティーコンサートを9回やって 本当に思うんだけど

それはそれで、「循環に参加する一つの形」として

どっちがいいとか 悪いとかじゃなくて どっちもアリ ではあるんだけどね


社会への啓もう活動やチャリティーの趣旨に重きを置く企画とは別に


障害当事者だって社会福祉の企画だって

ぜんぶがぜんぶ 100のうち100を

ボランティアでやりましょうとか

薄給でもしょうがない とか 「だけ」じゃなくって


お金ほしかったら

お金欲しいってもっとおおっぴらに公に言ってもいいと思うんだよね?

(クラファンが周知されてちょっと世の中が変わってきたけどさ)


むしろ福祉と銘打つすべての分野はもっとほんと

「お金くださーい!!」って

何につけ 言っていいと思う。


社会福祉=薄給であり

社会福祉=稼げない であり

障害者のやること=低賃金 って


いう枠に自分達でしっかりすっぽり収まり切って

諦めきらなくてもいいんじゃないか?

と 思うのよ。


だって、たとえば、福祉作業所で、

「月収が、2千円」とか、おかしくないか?と

わたしは、どうしても、思うのよ。


「だってこの子たちは、健常者と同じようには生産性がないのですから」

「働くというよりも、生きがいづくりの要素が多いですから」


今までの、既存の社会のシステムや常識は言うけど


障害をもつ人達がいることで 300万人の人が介護・福祉職で働いているという

雇用を、障害をもつ人は生んでる。

障害をもつ本人だからこそ、人に先んじて

気が付けるバリアフリーのヒントや良い介護のしくみやアイデアがある(はず)。


その多くの存在が、軽く見られているような、障害を持つ人の就労に対する

法外とも思えるほどに極端に安いお給料


でも結局 原資が 元の国家予算の

福祉予算が少ないんですから と そこで頭打ち。


「障害をもつ人を支える側の、介助さんや医療の従事者だって、

お給料が少ないんですから」


と 相互ガマン 相互貧乏を強いられている 

障害を持つ人や、福祉従事者を

とりまく現状。


わたし変えたい。


体力の無理はできなくても、

できることではじゃんじゃん稼いでどんどん

納税したい。

だから、今の私は、

「歌を歌ってお話しをして、それは、ボランティアでやるんじゃなくって、

仕事でやりたい、

お金が欲しいです!(だって納税したいから。)」


って だれにでも 声に出して言う。


前は 

お話しや歌のお仕事やりたいです!

ください! って 自分から言うことが

すごい恥ずかしいことだと思ってた。

自分を大きく見せたかった、

かっこつけていたかった、本当に要らないプライド。


お金ないです!

欲しいです!


っていうことも すっっごい恥ずかしい 

かっこ悪いことだと思ってた。


でもその要らぬプライドを

自分が 生きる様を見せてくれて 天地逆転させてくれたのが

子宮委員長はるちゃんで。


わたしも 

「自分の存在そのものを使って稼いで納税したい」

っていうのが今の夢で目標で。


10年くらい前は、その理由がまったく違ってて。


「私は、ただでさえ人さまのお世話のかかる障害者なんだから、

健常者よりももっともっとがんばらないと」という、

がんばる教で子宮を壊して倒れちゃったんだけど、、、


今は理由がほんと真反対だから


わたしもお金大切でほしいです って 誰にでも言う。


「ほら、やっぱり、だっこさんが最近なんかへんな宗教に、、、」って

思う人は思ってくれていてもかまわないから(-▽-)


でもそれでも応援してくれる人は わたしに 話を させてくださーい!!!(^▽^)


ちなみにわたしははるちゃんは 近未来に一万円札の柄になって

「福沢諭吉の次の人」になるか

「家を買うときには便利です」みたいな

「百万円札」が発行されたらその柄になるとか

絶対に「お札の柄になる人」と信じて疑っていません☆彡


生きている、素敵な人のことが、はるちゃんのことが、だいすきです。