みなさまこんばんわ☆

きのうの記事、

「わたし、がんば「る」がすきです(・v・)」↓
http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12169240731.html

に、関連してもう一話。

去年夏、わたしが、「がんばれ教の呪い」に憑りつかれ、

「早く売れなきゃ」

「早くもっと有名にならなきゃ」

「早く印税生活にならなきゃ」

「早く憧れのあの人みたいにならなきゃ」

「そうなれない、今の自分には、価値がない。」

と、凹み切って、藤沢あゆみ先生のメディアコンサルティングに

駆け込んだとき。

あゆみ先生は、

「今のだっこちゃんに、ものすごくおすすめの本があるよ」

と、数冊の本をご紹介くださいました。

そして、そのうちの一冊。


心理カウンセラー心屋仁之助さんの本。

「「好きなこと」だけして生きていく。」(PHP研究所)わたしにとって、時期によっては、本当に大きな心の苦しみの原因だった、

『仕事って、なに?』という問いへのこれまでの答えを、

もう確信として、真反対にした本でした。





あなたは、仕事をしていない、何かを生産していないかもしれない

とりたてて大きな夢や希望を胸に抱いているわけでもないかもしれない

もしかして無職で ニートで 引きこもりかもしれない(←これ今のわたしか?)

人さまに自慢できるほどの、得意なこととか好きなこととか特に別にないかもしれない
もしかして障害とか病気とかもあるかもしれなくて
とにかく

「いるだけ」。

「いるだけの、なんにもしてない」と思われる状態。


その「なにもしていない、今 ただ ここにいる ただ いるだけ」の自分の


<存在価値>に対して給与を払う。


金額は 自分で決めていい。


それを<存在給>と 呼ぶとしたら


あなたは自分に いくらのお給料を あげますか?


この本は、こんな「問い」から、はじまります。


でも、わたし、これ、一番最初に、あゆみ先生から、この本をご紹介いただいて、問われたときには、

「うーん、、、、」と言ったまま 固まってしまい、

即答ができませんでした。

それで、すごく考えて

「うちにきている、介助さんと同じくらい。」

介助さんもお給料は全員一律でありませんが、

その、アルバイトさんくらい、というイメージで、言いました。


アルバイトさんくらいかな、と言ったのは、

「もしかして、それ以上の、ボーナスなんかももらえるような、

価値が私には、あるかもしれない」

とは、まだ、そのときには、

自分にそこまで言い切れる自信がなくて、

思い至らなかったからです。


それで、どうして

「介助さんと同じくらい。」

と、言ったかというと、

「障害をもつ人の介助のしかた」の一例を

この身をもって

教えている役をしているのは、わたしだから、と、思ったからです。


教えているのもわたし、支えてもらっているのもわたしだけどね(-▽ー)!!

でも、二人の人がいて

「歩ける介助さんで、人を支え、助ける役」

「一人は、歩けない障害をもつ人で、人に支えられ、助けられる役」

を やってください、と、かみさまに言われて、


「どっちの役でも、好きなほう、選んでいいよ?」って言われたら

大抵の人は

「支える側の、役のほうがいいです。」


と、言うんじゃないかな、と、ふと。

本当に、ふと、思ったんです。


そこで、、、なにか 今までにあまり感じたことのないような

ワクワクする気持ち ザワザワする気持ちになって


あれ?(・v・)

、、、もしかして?


って 思いました。


わたしって、「みんなから支えられる役」、、、1年365日、がんばってない?

いるだけで?


あれ?

もしかして

「人様にお世話になってばっかりで

なのに 税金を納めるどころか 年金とかも貰ってて

申し訳ない 申し訳ない

わたしって 歩ける人より 価値が半分だ」


って、思ったこともあったけど


「人に助けられ、支えられる役の人」がいなければ

「人を助け、人を支える仕事がしたい人」の存在が

この世から、要らなくなってしまうのだから


支えられる人と 支える人とは 対等、、、っていうか


支える役の人に

支えられる役の人が

支えさせてあげてるんだよ って言ったって

もしかして バチもあたらないくらいの


大役を 「支えて貰う側」だって、日々、やっているんじゃないの?


と、、、「支える」とか「支えられる」とか

「頑張る」とか、「仕事」とか、そんなキーワードを、


思えば思うほど


思えてきました。


これは、どっちが上よ とか どっちがエライの とか 

どっちのほうに より価値があるの じゃなくって


ただ「役割」があるだけなんだ、と。


どっちも大役

どっちにも 価値があるのよ。


この世から、すべての病気の患者さんがいなくなったら、

すべての医者と薬屋さんが、この世から要らなくなるよね?


この世から、すべての障害をもつ人がいなくなったら

すべての介護・福祉職がこの世からいなくなるよね?


この世から、すべての「困っている人」がいなくなったら

すべての支援職が、この世から 本当に要らなくなるよね?


あなたが、一見、

悲壮にくれているようなけっこうな困難な状況下に生きていたとしても

無職でも、たとえば、「モノを早く多く生産する」ような能力がなくても

「わたしは今、後ろ向きだし、

人様の役に立てるようなことをなにひとつできていないし、

がんばってもいない」

と、自分について感じているような状況でも、

そのことと、

そんなあなたこそが今ここに存在している、

存在していることそのものですでに生み出せるものがたくさんある、

「あなたがいるということの価値」とは

その、「自分で自分に作り上げたプレッシャー」

とは、

まるで、関係がない。


「いま私は、人生が困難な状況だ」

と、認識していたことの一部の要素は、

「誰かとの比較」とか

「もっともっと頑張らなきゃ!という気負い」とか

「休みや遊びをいけないことのように思う恐れ」とか

そんな自分の心が、自分の中に作り出した「妄想のモンスター」かもしれない。


何度も読むうち、そう、気付いたんです。


この本で仁さんはおっしゃいます。


「がんばらない自分には価値がない」と決めたのは誰ですか?


わたしが、

「頑張らなきゃ、もっと頑張らなきゃ、

早く売れなきゃ

早く結果出さなきゃ

ああもっと頑張らなきゃ

ああどうしよう

本当に苦しいな」

と なったとき。


その時期の「がんばる」は、常にどこか<打算>であり、<駆け引き>でした。

いつも人に支えてもらっているから がんばらなきゃ

わたしは障害者で人よりもできることが少ないんだから せめてがんばらなきゃ

助けてもらったから 御礼しなきゃ

そんな感じ。

〇〇してもらったから 〇〇しなきゃ。

、、、、、、やだよねえ?そんなことばっかりを考えながらお付き合いするような関係性?

それをね、

「自分と他者との関係性」

「自分と社会との関係性」

ぜんぶに、「しなきゃいけないんだ」って、思ってました。

自分の企画コンサート、たくさん応援いただいている、彩の国ゆめコンサートのページでも、

「いつも人に助けてもらっているわたしだからこそ、住む街に恩返しをしたい」

という一文を毎年書いていました。 そんな自分も、OK!とは思います。

それが「悪い」んじゃない。

むしろ自画自賛だけどいいこころがけだったって自分でも思うよ?でも、


この頃ね、発想を変えています。


〇〇してもらったから、〇〇しなきゃ。

は、全部なし!!!

それが基準になると、行動が、「他者との駆け引き」になるから。

〇〇してもらったから、〇〇しなきゃいけないから、そのために〇〇しなきゃ。

ね?

変でしょ?


読んでいて

なんだか

呼吸が、息苦しくなってきませんか?

そうじゃなくって、

誰かになにかしてもらってもしてもらわなくっても、どうでも

一人称の「あなた」は、何がしたいの?

あなたは、今、

休みたいの?

よく眠りたいの?

どこかへ出かけたいの?

ブログ書きたいの?

だれかのために、とか、

助けていただいたから、とかを

ぜんぶ いったん横においといて。

あなたは 何がしたいの?

そこまで。

そこまでを、本当に、一人で、好きなだけ、考えて考えて、

わたしは 例に挙げたコンサートは

「自分自身の生きる場を自分で作りたい!!」

だったの、本当の本当の 心の底の底から湧きだしてきた答えって。

で、それを、言えたら、

本当に、

応援者100人増えた。

「街のため、社会のためにがんばります」って言ってた時は、

集客とかも、すっごい大変だったのに、だよ?

「たったひとりの、あなたが、ここに、いるだけの価値」は、

自分できっと漠然とイメージしてる以上に

本当は はるかに 偉大なんだよ?

だって

「人を支えていない人」も「人を助けていない人」も

本当は、誰一人として、いないから。

人に支えられることが多い人ほど

支えらることで

人を支えているの。

たとえるなら、

患者は医者を助けているの(^▽^)

みたいな感じ。

だってお医者さんはお医者さんであることが飯の糧でしょ?(^▽^)

でも、お医者さんも患者さんの命を助けてくれるから、

患者さんとお医者さんとは、対等だよね。

むしろ、すごい症例を、患者さんはお医者さんに

「勉強させてあげてる」のかもよ、

いるだけで。

医師と患者。

「どっちの役がやりたい?ただし、役名の途中交代は無理。」

って神さまに言われて

「患者」って、自分からすすんで言える人生なんて、たぶん、ない。

でも、その、だれもが嫌がるかもしれない役を、自分が引き受けた人の人生なんて、いるだけで、究極の価値だよ。

いるだけで、稀有な体験の、体験者。

(、、、患者の側は、かかってるものが、

命だからね、実際には、救急車で運ばれて

まな板の上のコイになったときには、

きっとこのブログの冷静さはぶっとんで、

お医者さんに、神様仏様ー助けてくれろーー、ってわたしも、叫んですがっちゃうけどね(^▽^))

自分では、世の隅に追い込まれたように思える状況ですらも、それですら、

「価値がない人」なんて、

この世の、どこにもいない。

『「がんばらない自分には価値がない」と決めたのは誰ですか?』

心屋仁之助さんの本。

「自分の存在価値」とか「仕事」ということについて

考えてみたい人へ

絶賛!!おすすめです。



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