みなさまこんばんわ☆

今日も寝ないの?

眠ければ寝た方がいいよ?

(いやほんと心配になっちゃって。更新後1秒2秒でいいね!してくれているお方々

いつに寝てるの?身体と心を、大事にね?)


わたしがね、「顔と名前がしっかりわかる人が(ライブにもきたことがある人が)

インターネット上でわたしの悪口を書いてのを見ていやだった。」

という趣旨内容の ちょっとたまりかねて書いちゃった みたいなのをUPして(これね↓)


『最近わたしの悪口をたまに見るんだけどね☆彡』

http://ameblo.jp/cafedudacco/entry-12164141234.html


このあいだ。(もう、人数も、けっこうね、あることだから、

特定の誰宛てってことでもないんだけどね)

「書いたから、あーすっきりした。」って ひとりでやってたら、


友達が、”ありがとう!週間新潮!”って書いていた(-▽ー)

ブラボー!!!(-▽ー)↓


たかはしよしこオフィシャルブログ

ありがとう!週刊新潮!週刊新潮に叩かれた私。ヒストリーオブよしこ。番外編☆
http://ameblo.jp/yoshikorela/entry-12165953950.html


リブログこちら↓

このおかたは、小学館から発売の絵本「みえないばくだん」の著者,たかはしよしこさん。


みえないばくだん/小学館
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共通の友人がいて、2011年の春、4月か5月くらいだったかな、

Twitterを通じて知り合った。

5年前の原発震災に、特には、「原発事故」ということに、まっこうから向き合って。

東日本大震災後、

原発の続行に 賛成?反対?

飲食品について、どう考える?

これからも被災地に、住む?住まない?

だれのどの選択であれ

「時に身を裂かれるようなひとつの選択や、信条によって、

これまでは普通に穏やかに生活ができていた人の心が、分断されること」の

<不条理性>を書いたものなんだと わたしは思う。

この絵本について。


それでね、この本の中には、放射能汚染の被害を大きく受けた場合に、

生まれてくるこどもに障害が及ぶ一抹の可能性、、、

100じゃないけどゼロでもないかもしれないそれを、

「あなたは、この原発事故を踏まえたのちに、どう考え、どう生きる選択をする?」

と、突きつける場面がある。


とにかく、「原発事故のことは、口を閉ざして、語らない」がすべての正解ではないのではないか、

という著者の問いでもある。


『放射能汚染の被害を大きく受けた場合に、

生まれてくるこどもに障害が及ぶ可能性』

について。


実は、たかはしさんとわたしは、この本の製作途中にも語らっている。


でね、「『障害児・者のことは、書かない。』が、ひとつきりの正解ではないと思うよ?

私は、こどものころ、『障害者は見栄えが悪いからテレビメディアにあまり取り上げないほうがいい』

という見方さえまだ世の中に残る時代を生きてる。

その時代を生きて、『生きているのに、存在を隠され、いないことにされていること』が、

何よりも、恐ろしいことだったから。」

と、たかはしさんに言ったひとりはだれあろうわたしである。


でもね!!!


「こんな絵本を書くなんて、障害者を傷つけるんですか?!」


と・・・ ・・・。書く前からの想定内だったろうけど。

実際、ハンパなくきたろうし、極め付けが、「週刊新潮に載っちゃったこと」なのだそうだ。


知ってたけど、記事そのものは見ていなかった。
はじめて読んで、けっこう、ショックだった。

本人じゃなくても、グサッと、きた。

もし、これが、「書かれた本人」だったら、、、って思ったら、

やっぱね、

「著名人になる」って、これがある、って、ことなんだな、って、

あらためて、思った。

胸の痛さとともに。


だけど、やっぱり、

「言いたいことを言う」

「書きたいことを書く」

って、実際にやれば、これの連続だ。

何もないはず、ない。


記者さんは、仕事。(記者さんは人間個人としてはきっとなんの恨みもないでしょうから(-v-))


よしこさんは、覚悟。


だれかが見て、「賛」であれ「否」であれ誰かが見て、


結局は、書かれれば書かれるほどに、


「ねえ、あれ見た?

あの本のこと知ってる?!」っていう、波及効果になってゆく。


これが、「世に出る」ということなんだ。


実はね、わたしへのネガティブコメントの内容も、

「あの人って、ライブやエッセイで原発事故の話ばっかりするから、

あんまあの人のライブとか行かないほうがいいよ!!」

というようなものだった。


原発事故の話し「ばっかり」っていうほどは、

してねーよ。


って個人メールするわけももういかないし

(そういう、一通ごと、あれはそれで、それはこれで、とか、説明とか、わたしはもう一切やってない。)


感性はそれぞれだからなあ と 思ったけど


見たことも会ったこともない人だったらどーでもいいけど


うそ?!あの人が言ってる、、、 、、、て、こっちからわかる人が書いてる、、、って


見ちゃったら やっぱり、純粋に、悲しい気持ちになった。


「あーあ。こういうことも、あるのか。」って。

でも、人が二人いたらかならずや両者に想いがあるからね(・v・)

厳密には、今はもう、「いやだった。」も、越えちゃっているかも。

「考えは、みんなそれぞれ違うよね。」

って感じ。


でも、そのときに、そういうアンチコメントを書いたひとりひとりに全部 ひとつずつ


「わたしは今あなたのことばを見て、すごく悲しくて、こういう気持ちなんだよ?

この行動は、こういう気持ちから来ているものなんだよ?」

って、説明したり、しない。


前だったら、

「価値観が(かなり圧倒的に)違う者同士、

それでも話し合って、ときに喧嘩して、それでもまた話し合い、人と仲良くなっていく面白さ」に

酔って、説明、しまくっていたのかもしれない。

<議論好き>のトラップに、寄っていったかも、自分から。


でも、「そのように、時間を使うこと、ひとりひとりと、説明のためのおしゃべり、

に、時間を使うことが、あなたの本当にしたい時間の使い方?」

と、自分の胸に聞くと、NOだから。


だって、もう、わたし、時間がないから。


だから、アンチさんはいていい。だって、どんな考えの人がいてもいい。

100人いたら100通り。


・エッセイでヌード写真に挑んでいて載せたこと。

・公に(自分の企画した創作舞台などで)「みえないばくだん」を読んだこと。

・エッセイに原発震災のことを書いたこと。

・エッセイに「どうして、仮設住宅に生活している人がまだ何万人もいるのに、

今、オリンピックを先にやるの?!」って書いたこと。

・生活保護を受けて生活をしている人がお姫様ドレス着て音楽ライブをやっていること。

・こんな私に、ともに活動してくれる仲間がいるということ。


いろんな理由で、だれかにとって、

何かがだれかの、ジョーシキや価値観とは違って。

だから、いろんな反響がきて、

「障害者の方を応援しないとかじゃないけど、

朝霧裕だけは嫌い。」

ってネットに書かれたこともあるよ。


「私」と

「だれか」との

関係性は、常に、こうだよ。


だからこそ、「内輪の友達」だけじゃない、

「ブログ見ました!!あなたのファンです!」って、本気になって

それこそ親戚でもないのにさ、応援してくれる「本物のファン」にも会える。


「叩かれて本物」


世に出る人が、みんな、一様に言うけど


ほんと。 ほんとうに そうだよ。


それで、一切、足を引っ張られないで

風のようにしなやかに先へ行けたら超一流なんだと思う。


でもわたし、ぷるぷるふるえてガマンしててストレス溜めるよりはいいから

ここで言うこともあるかもしれないけどね(笑)。


いろいろあるけど、

あればあるほど、

「ここまで来たら、

もっと もっとまだ知らない世界まで

出ないと割が合わない。」って、思う。


やりたことをやり続けてまだ果ての無い、

世界の続きを知りたいと思う。


だから、このエナジイの源を貰っているんだから、

見てもらえているってコトはなにであれ

めぐりめぐって

うっかり感謝もしちゃう。


ふつふつと燃えるわたしを


みなさんが、世に出してください☆彡


好きでいてくれる人は、ありがとう。

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