なんだかね、とにかく体から書きたいことを

全部出したいから書いて置きます。

よかったら、読んでね。


「トイレも着替えも自力でできないお前にできるわけない」って
10人が10人言う時代と環境の中で

「一生、ひとつの病院や施設で、恋も知らずに死ぬなんてまっぴらごめん」
と思って
(家を出るまでの2年間、実家にいて在宅で無職だったけど)
家を飛び出して、
介助ヘルパー制度を使って、介助さんと暮らしはじめて、

ちょっとずつ、夢だった歌の活動、ライブもできるようになって
新聞とかのメディアにもコンサートの記事とかで出していただけるようになって
でも そうしたら今度は
「でも、何をどれだけ頑張ってたって、結局あの人って生活保護で暮らしているんでしょ?」
「人様の税金で医療とか介護とか使ってまで生きたいのかね?」
と そんなバッシングや 当時は、まだ
「階段とか段差とか、トイレとか、着替えとか
全介助でライブハウスの階段とか行くの全部お姫様だっこだけど、
歌が歌いたい」
なんて人がまだ珍しかったから、
特に 生活保護のことを盾にして
時期によっては、介助者にも
いじめられるようになって

じゃあもっと頑張らなきゃ、企業に勤めてフルタイム月金働いて稼いで
一日も早く生活保護抜けてまわりの健常者と同じになって
「あたしの生き方は認めないっていう人達に、がんばって早く認めてもらわなきゃ」
という「究極の間違えた方向にがんばっちゃった見本」みたいに25歳くらいから
32歳くらいまでを過ごし

肺炎で死にかけて 
腸閉塞で死にかけて(←ここが一番死ぬかと思った。「か」じゃなくて
当時、わたし本人が「ヤバイ、だめかも」と本当に思った、、、。)
卵巣嚢腫で大手術して

まだそれでもまだまだ
「あたしを嫌いな人達に早く認めてもらうためにがんばらなきゃ」と
いう「究極の他人軸」で生きていたら 
ものの見事に うつ病になって 
眠れないから体力落ちて
動機がしたり マジで呼吸が苦しい ってなって
夜間、人工呼吸器を使うようにまでなって

でも 間違えた頑張りが極限の極限までいったとき
全ての抑圧がいっきに大爆発したように
問題は解決。
「肺活量、上がってますね。
本当に、精神的な問題だったんですね。
なんでもっと早く、介護事業所へ相談しなかったの?!」
と お医者さんが太鼓判を押し
まさかの 人工呼吸器を返却、、、。

この頃に重なって 東日本大震災に自分が遭って

そこから先は
もう自分が「これやりたい!!」って思うことにしか
絶対に命を使わない!!
と決めて
「書くことと歌うことだけ」をやってきた私。

それからずっと ずっと
「考え続けて
書き続けて出し続けたい」 と 思うことは


どんな育成環境や(親がいるとかいないとか)
経済環境(お金あるとかないとか)
身体状況(障害あるとかないとか)
介護の有無(介護や医療が必要か要らないかとか)
書くことや 話すことに
長けているか否か

そこで それが 「ダメの要素」になることなんかなく
(だって「ダメ」じゃないしね マジで。そもそもが!)


本当に本当のだれもが
ただあるがまま
その人が その人として
いること
それだけで

ほんと

「それだけでいいんだからね」って

他人に じゃなくて

自分に 認められれば

他者をじゃなくて

自分を 喜ばせられれば

それだけで 超特大花マルだからね

「だって、あなたの人生なんだから。」

ということを


目の前に今人がいて講演でしゃべるみたいに

書いて出す ということだった。


ありとあらゆる 弱い者いじめ 
ありとあらゆる 虐待
同調圧力

助け合えない
頼り合えない
「助けて!」が言えない
言ってんのに 助けない 既存のしくみの上の

孤立の上の


介護苦心中

介護殺人

幼児虐待

たくさんの 子育てしながら働いてるお母さんたちへの
「支援の無さ」による悲鳴

学校でのいじめ自殺。


そちらを そちらのほうだけを 見ればね

「弱い者いじめの世界の 負の連鎖」

これをね 真に 本気で本当に

真逆にするにはどうしたらいいんだ?

って

ずっと それだけを 考えてたの。


それには

私がその「弱い者いじめの連鎖の世界」から、

まず出る。


救い出してくれるのを待って居る間に命が先に落ちてしまうような状況もある。

だから、まず出る。


「助けて!!!!!!あたしこの世界もうやだ!!!!!!」って、
命賭けて、外に言えたところから、私は、
<私が私として生きる人生>が始まって。


それは、
「他人の顔色、人の言葉、ひいては人の反響に、
常にビクビク怯えていた自分」
要は 「他人がどう思うか?」
「他人がどう思うか?」
に 全エネルギーを使って いつも疲れて消耗知って
その実 そんっなに 一生懸命に疲れてるのに

自分はのっぺらぼうみたいな 
生きているのに死んでいて
辛くて苦しくて悲しいのに なのに
透明人間みたいなさ

そんな 一日の使い方から

超・超・超・超シンプルに
「ただ書いて出す」
「ただ歌って踊る」
「ただやりたいことをやる」

一日の使い方にシフトした瞬間だった。


生き方 在り方

学校のかたちも 仕事のかたちも 暮らしかたも

家族という概念も

もっと 「自由でいいよ。」って 思う。


死ぬほどいじめられてんのに学校に行かなきゃいけないのか?
お金がなければ「くださーい!」って呼びかけたらいけないか?


「仕事」って 本当の本当の そもそも論なんだけど
「身をすり減らして過労死するため」にやりたいと思っている人なんかたぶん本当はいなくって
すべての仕事は
世の中に今まだない 新たな ただ モノ っていうんじゃなくって
そのモノとか 書物とか 仕組みとかが 生まれることによって
人が幸せになる ために そもそもは あったはずじゃん?!


「自分を大事にする」っていうのは
「自分の使いたいことに自分の命を使う」ってことだと思う。


それで 好きなことややりたいことがいっぱいある人もいるだろうし
まだよくわからない 見つかってないかもしれない
若いときはわかってたけど 長年考えていなかったからよくわからなくなっちゃった
いつの間にか 考えもしなくなっちゃったな
っていう人も いるだろうけど

お金が(生々しい言い方だと「ギャラ」が?謝礼が?(・v・))
貰えても 貰えなくても
そこの損得じゃなくて ただ
「好きだから、やりたい」 っていうことが

あったとしたら それに命を使うことが
一番
結果、自分の名前が世に出ることで
満たされて ことに取り組めることで

「好きだから」、やりたいからやっているから何時間でも取り組めて

結果・・・ ・・・って、今度こそ「負の、じゃないほうの」
大循環をしていって、
収入にもなることなんじゃないかと思う。


思考錯誤を経た体験上
信じられるんです、これ。


だから、好きなことでどこまで収入を拡げていけるかも、
書きながら歌いながらでどこまででもやっていきたい。


これ、本当は 少し前まで書くのも怖かったけど

居たくない場所に無理に居ろ
得意じゃないことを無理にやれ

で 心壊したら
「甘えんな」
「あなたにも弱いところがあるんじゃないの?」
「頑張りが足りないんじゃないの?」


こんな世界を


真反対にひっくり返したいから。


だってわたし「そこ」にいたから。

「そこ」から、来たから。


そして、すでにひっくり返してる実践者は、
幾人も幾人も幾人も「いる。」って
私には分かっているから。


もう「疑う」っていうところには、今の私はいなから。

「大好きなだけでここまできました。」
って 大舞台で絶対に言いたいんです。

こうやって、日々、ただ
「書いて出す」
「書いて出す」
っていうこと、このブログを書いているこの時間が、
私にとって、史上の幸福。


自分を大切にする時間。


書くことと歌うことが「一番」好きだから。


ここを読んでくださる皆様、
「ただ、書くことだけ」
「ただ、歌うことだけ」
で、
「好きなことだけして生きているわたしのままでいるわたし」
の、ままで、

それで生きていていいよ と 肯定される世界があると仮定して
それは自分が信じさえすれば果てなく無限で
どこかで途切れたり 誰からも取り上げられたり
「しないんだ」

信じている

信じている世界の中に

これからも

際限なく、私を連れてってください。


「どうやって?!」
って、思うでしょ、
一緒に、願って。


心を自由にして
最大限の愛で
ただ それだけで生きていていい世界が「あるんだ」って。


なかったら(あるけど。)

この手から、私が、作る。って。


わたしの夢は、あだなをね、「だっこさん」から
「大丈夫さん」にすることです(^▽^)


どんな生き方も 何を選んでも
「だいじょうぶ(・v・)」
って 過去の私みたいなだれかに言ったとき相手が
「だっこさんが言うと、大丈夫な気がする。」
と、言ってくれるような
そんな存在に、なることです。


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