今日は花園ロックンロールショー!!!!!

お越し下さった皆様

共演者の皆様

それから、本当に心配りの行き届いた、丁寧な対応で私達を迎えて下さったスタッフの皆様

本当にありがとうございました!!!

特筆すべきは自分も自主コンを企画する身として、スタッフのかたの対応が最高!本当に爽やかで丁寧で「トイレお手伝いしますか」とか「部屋寒くないですか」とか、着替えのためにベッドまで借りてくださったり(!)

何度も何度も楽屋と舞台や裏方を行き来して見に来て下さり、ほんとに、主催チーム、特にお世話になった女性スタッフの方々の丁寧さは、学ぶものの多い一日でございました!


今回、わたしは、NPO法人 Jogoの石井理事長と、小さい頃から家が近所で知り合いだった、というご縁で出演をさせていただきました(^▽^)

夏の「古民家かぐやの星まつり」を石井理事長さんが見に来てくださり、その日に出演が決まりました。


私は昔、学生時代、熊谷養護学校(現・熊谷特別支援学校)に通学していて、12年間、小学校1年生から高校3年生まで、そのひとつの学校に通い、卒業しました(小から高まで、学部でくっついていたので。)

私が学生の頃は、まだまだ「車いすユーザーが外に出る」ことが珍しい、好奇の目で見られるような時代で、

駅にもエレベーターが無いことがほとんど。

たしかに、外へ出て、映画を見たり、音楽を聞いたり、買い物に行ったり、アートを見たり、、、そういういろいろな、自分の感性を養うような場へ出かけることも、けっこうハードにむつかしい時代でした。

そんな中で、当時、養護学校には、文化鑑賞会や音楽鑑賞会という名前で、今思えば本当に感謝をすべきことなのですが、年に1回か2回くらい、人形劇団や、和太鼓の楽団や、シンガーソングライターの方々や、地域近隣の学校の吹奏楽部のドリル演奏などが来て下さっていました。

覚えているだけでも、和太鼓の楽団・荒馬座、シンガーソングライターのたかはしべんさん、きたがわてつさん、児玉高校吹奏楽部のみなさん、などなどがきてくださり、、、、ほんとうはたぶんもっとたくさん見ているのですが、、、とにかく、いろいろな素敵な方が来て下さっていました。


しかしある日、

養護学校の先生方と、生徒を送り迎えしてくれているお母さん方が

「この子たちは外へ出る機会も限られていて、少ないから、ミュージシャンの方々が慰問に来て下さってありがたいですね」

という会話をふと聞いた時、

わたしはそのとき、たしか小学校2年生とか、ごく小さい学年だったのですが

「わたしたちが、外へ出る機会が少ないのは、おかしい」

「わたしたちが、外へ出られないのは、おかしい」

と、強烈に思った瞬間があったのです。


その瞬間の気持ちは、今も、はっきりと覚えていて、


「わたしはあっち側に行きたい」

「わたしは舞台の上に行きたい」

「客席で、見ているだけは、いやだ」


と、その日から、虎視眈々と(?)、舞台の上のパフォーマーになりたいと願うようになりました。


当時は、ミュージカルアニーに出たいとか(-▽-)、テレビの子役になりたいとか

同じ年頃の、表現の世界で輝く子供達に漠然と憧れていて、

まだ歌とは思っていませんでしたが、

「私達は常に物事の受け手であるわけではない」

「障害のある私達、本人であっても発信者になれるはずだ」

という思いは、7歳とか8歳とか、そういう年齢から心の核があって、今も核心部分は揺らいでいません。

わたしの表現の基盤。足場です。


バリアフリーへの啓もうを何らかの形で趣旨に含むイベントも、

執筆で個人的に大切にしていることも

介護福祉も

障害者運動も同じで

大切なことは

「(世の中がバリアフリーになることを必要としている)

当事者の声はどこにあるのか」

ということだと思う。


「本コンサートはバリアフリーです」

対して

「何が?」

と問われたときに

障害を持つ当事者が、何に、どこまで、主体的に関わり、障害の有無を問わないサポーターの方々と

共に楽しみ、彼らは誰であるのか。バリアフリーという価値観が、この世に無いと、切に困るんだ、

私達は、今のままでは生きづらいけど、世の中がもっとこう変われば、もっと自由度が広がると思うんだ、私達が生きる日々の中で出来ること(もしくはチャレンジできること)が広がるんだ、だから、地域社会が、このように、変わるといいな、という具体案を、たとえばイベントやコンサートの形で

「私達が今ここに体現します!!!!!!」

と、演じる。場を作る… …。そこに障害当事者はどう関わるべきか。


健常者がなにをやってあげるべきか、ではなく、障害当事者が健常者と対等に、

「この企画を一緒に作る仲間としてどう関わるべきか」

自分達の言葉で出しながら、何よりも対等な人間同士であるという意味で「共に」作れるような、音楽であり、アートであり、職場であり、地域社会としての生きる場が、広がっていくといいなあと、今日もまた、願って止みません。


私は、障害を持つ人と持たない人との関係性が「対等ではない」場にも過去、生きてきました。

それは日常の中にあり、時には私生活の中に当たり前になだれ込んでくる。

障害を持っていると

「人様に何かをやってもらったら感謝しなさい」

「介助をしてもらえるだけでも感謝しなさい」

「今日ここに連れて来てもらえただけでも感謝しなさい(←たとえば、ライブを見るとかね!)」

「一人じゃ何も出来ない身体なんだから、人には常に感謝をしなさい」

「人様の税金で生かして貰っているんだから、感謝しなさい」


本来、本当に本当に大切な、「感謝」という言葉すら、

その言葉に「あなたには障害があるんだから」と、上の句がくっつくと、とたんに、人を上からぎゅうっと圧する言葉になってしまう。


介助する側、身体に障害がない人が「上」

障害がある人が「下」。

そういう、「上・下」でしか、他者との関係性を作れないような狭い世界に、

生活の場での要支援、要介護の度合いが高い人ほど、ごく自然に(自分でも気づかないくらい自然に)

追い込まれて、生きてしまっていることもある。


親だけが障害を持つ子の介助をする家族介助や、

ある意味「密室」とも言える、居宅の1対1のヘルパーとの関係性でも起こり得る。

、、、と、言うことは、福祉施設でもあるかも知れない。


でも、いい加減、人を身体能力の優劣で見しか見られないような価値観自体に、

健常者の視点から見たって、

ダサさや古さや、心の疲れを感じるわ、、、という人が増えて

新しい価値観を生み出せばいいと思う。


日本はまだまだ「ボランティア」や「支援」と言えば「助けてやってる」という価値観が強いけど

たとえば「ボランティア」でも「支援」でも

「自分のためだから」

「自分が楽しいから」

っていう考えで参加するのが当たり前になればいいなあと思う。

(ふえてはきているのかな)


でも、「社会貢献」という価値観は、根付いてきたよね。

やって「偉いだろ」じゃないんだよね。

やって当たり前なんだよね。


でもまだ、きっと、気付いた人は動いてるけど、それでも、日本中がぐんぐん動いているというところまでは至っていないから、日本全国、いろんな地域で、小さく動いている人同士が、これからどんどん、共鳴し合う未来になればいいなあと思う。


私は、「障害当事者の声」の「ひとつ」として、いつも舞台に立っていたい、という思いがあって、

それから、私のサポートミュージシャンの方々が、やっぱり「仲間」として対等に横に立っていてくれること、このことも、私なりに知って欲しい、という強い思いがあって

… …これをしゃべるとこれだけで30分経ちますから今日は極力しゃべらなかったんだけど(-▽-)


「当事者の声はどこにあるのか」


ということを主題に置いて、これからもチームだっこのフロントをやっていきたいなあと思いました。


何かリンクする一点があって、同じようなことを日々考えながら、悶々としながら泣き笑いしながら、

一生懸命、試行錯誤で、手から何かを作って出しているような方々と、

これからも歌う人として繋がっていきたい。


共演の

グリマーズ連さま

LEGOさま

サルサガムテープさま

本当にありがとうございました!!


また主催の

社会福祉法人 昴さま

共催の NPO法人 Jogo、理事長の石井様以下スタッフの皆様

NPO法人 ハイテンションの皆様

NPO法人 かうんと5の皆様


本当にありがとうございました。今回、養護学校の先輩・後輩にも沢山会えて、十数年ぶりの再会も多々あり、とてもとても嬉しい日となりました。


音楽を架け橋に会えたみなさまと


♪今ある歌で 飾らぬ生き方で

一緒に 旅を♪ 


これからもしていきます!!!!!!!!!!!


FROM だっこ

朝霧 裕オフィシャルブログ

舞台の様子☆


朝霧 裕オフィシャルブログ
ブルースハープ 居相 毅(左)

ギター 奥野裕介(右)
うた だっこ(真ん中)