※facebookにたまにつけているメモ的日記転載。

ライブのあとに思うこと。
音楽がすきだっていうこと。
きのうでもなくあすでもなく、今を輝かせて生きたいということ。
そして祈りとして、あすがありますようにと歌に込めて祈るんだということ。
人が人のためにできる一番のことは
「その人のために時間を使う」ことなんじゃないかっていうこと。
お金を使うとか、知恵を使うとかいろいろ手段はあれど、
「今日の今、このとき、この場所に、あなたといっしょにいたいんです」という意志の煌めきほどまばゆいひかりを私は知らない。
だから、だれもが、その日、そのとき、その場所に、生きて、「いてくれること」、それだけでそれは、「誰かのために何かをしてる」ことになるんじゃないかなっていうこと。それから、コンサートの会場で会えなかった方々も沢山いるけれど、みんなが祈ってくれた、素敵な会になるように。メールやことばをくれた。そしてわたしもずっと、おひとりずつの、みんなのことを、本当に胸に描きながら歌を歌った。
人は皆、「生」そのものが表現になり得るような、本来とてもすてきな、生き物なんじゃないかと思う。
そしてそのことを感じてしまってから、自分ができること、そして他者のひとりひとりの素敵なところを、なんて素敵なんだろう、と、想い続けながらものを見続けると世界は本当にまばゆい。
それはね、苦しみや悲しみを見ないということではなくてね。
闇の先にはひかりがあるっていうことなのだ。本当に本当に。

生きる上で、私が目標にしてきた人は、仙台にある社会福祉法人の元常務理事長の故・山田富也氏や、車いすの女性作家で小山内美智子さんや、
「重度障害を持っていると、物理的に動けない分、社会的に弱い立場に追い込まれやすい。だからどんどん、本を書いたり、テレビにも出たり、新聞記者さんでも、現職の政治家でも、芸能人の人でも、誰へでも、臆せずものを言って、できるなら友達になって、障害当事者、本人の想いを、内から外へつたえなさい」ということを、幾冊も本を書いて配信し続けている方たちだ。

子供の頃から22歳まで、実家にいて、介護が長年母の手ひとつしかなく、年齢が上がって、親の手から自立をして動きたいのに
「一人で動きたい!!」の強烈な意思に反して身体は動けず、母も私の介助に疲れ、母も私も、両者が地獄のように辛かったころ、諸先輩方の書かれた本たちは、地獄に仏であり、藁をも縋る、であり、まっくら闇の中の一条の光だった。
洞窟を、そのたった一本の紐をつかんで前を見て進むように、「書き、語る」という行為に縋って、離さずに前を見て歩けば、ぜったいに、この洞窟から出口に出る。
書くことも、語ることも、私にとって、命綱だった。
その綱が、糸から、紐になり、縄になり、最後しめ縄くらいになるやらどうやらわからないが、生きる内に少しずつ一歩ずつ人に会って、身体的に動き得る環境になって(それは、電動車いすを得たことと、長時間の介助保障を、自活して得たことによる)、歌を歌って、歌いだしたその日その時に感じた思いは
「命の解放」以外の何でもなかった。何だかキザな表現だけど、ほんとうに、たましいがふるえた。

想念や思念は1から100までことばにすべて出さなくたって、祈りとか、テレパシーみたいなことで、伝わる、ということを私はとても信じているので、
この「命からがらの先にある喜び」をもうほんとだれでもいいから世界中、海越え山越え出会う人だれにだって伝えたい!!

と思いながら、22歳から歌を歌った。
「自分のたましいがよろこんでいれば、それは、それを目で見た人、耳で聞いた人にもぜったいに伝わる、だって人間には心があるから」
こう芯から思うようになり、心のことに興味が湧いて、心理学の勉強をしたりもしながら、とにかく私は
「歌が好きです」
という気持ちを、全霊にして本番では歌っているだけなような気がする。

そして、画家が絵が好きなだけ、歌手が歌が好きなだけ、演奏家が、この楽器が好きなだけ、と、さらりと言いながら峻烈に紡ぎだす作品や生きる姿勢の輝きが、
「世界を変えることだってあるんじゃないか」
という個人・個人が自分と他者を<信じる力>の、その循環。
その<目に見えないけど、見えるもの>に、もうただただ魅了されてしまって止まない。

「私は人のためにできることがないな」
とか、過去の私のように思う人がひとりでもこれを読んでいたら、「いてくれるだけで力になるよ」という言葉はぜんぜんまったくお世辞ではないんだよ、ということを、どうか信じていてほしい。

私が歌を歌う時、ただ目の前にいてくれて、ただ聴いていてくれることが、聴いてくれる人が「いる」ことが、どれほどうれしいか、会えなくても、思ってくれる人が居ることがどれほどうれしいか、このことへの感謝と幸せは、どんなことばでどう書いていいか、きっと私の「一番嬉しいこと」だから、表わすことばが思いつかない。

わたしもだれかに、あなたがいてくれてうれしい、って思ってほしい、っていう下心が私にも人並みくらいにあって、自分も他者もどちらもが笑顔になれる、「うれしい」とか「たのしい」とか「ほっとした」とか「生きててよかった」とか、たとえば「死んだほうがマシだ」とか「殺してやりたい」とか、そういう言葉と真逆のことば、、、、、すてきなことばが、湧き出でてくるような、時間と場を作る人でありたい。どうしても。

目の前のだれか一人に相対して
「あなたがいて、とてもうれしい」
という気持ちだけをぎゅっと込めて、歌い続ける歌うたいでありたいな。

なんだか、「響け!(略)」後、これだけであと何ページも書けるかしらと想う程、沢山の沢山の心の宝物を得て頭と心で消化中です。

ライブのあとに思うことは、総じて、
「私は歌が好きだ」ということと、
「みなさんあってのだっこです!」
ということです。

尽きせぬ感謝をこめて☆

FROM だっこ