【人生の成功法則】スピ200%究極の”命のスープ”を求めて♪私の”命のスープ”読本① | 2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室【大阪心斎橋駅から6分/長堀橋駅から3分】

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【人生の成功法則】スピ200%究極の”命のスープ”を求めて♪私の”命のスープ”読本①

 

こんにちは!

 

「2歳~6歳さんの好き嫌いが無くなり、しつけも学べる子供料理・お菓子教室」講師の中村幸子です。

 

 

前回は、ハッピー更年期”命のスープ”読本シリーズまとめ⑩(10編)でした。

 

 

今回からは、【人生の成功法則】スピ200%究極の”命のスープ”を求めて♪私の”命のスープ”読本①です。

 

 

”命のスープ”のことは、いままで20数回にわたってお話してきました。

 

こういう食べモノです!▼

 

 

・安心して食べられる美味しいモノ 

 

・温かくて、一瞬にしてココロが温まる食べ物 

 

・楽しくて、くつろいだ雰囲気になれるモノ 

 

・機嫌が良くなって、ニコニコ笑顔が出る食べ物 

 

・心からリラックスできるモノ 

 

・お袋の味を想い出させるなつかしい味 

 

・また食べたくなる、元気になれるモノ 

 

 

一言でいえば、・・・あなたの「苦しみの元」を、ふわ~っと溶かすように解消さす食べ物。

 

 

 ”命のスープ”の特徴の一つとして、Aさんの”命のスープ”は、必ずしもBさんの”命のスープ”ではない!ということがあります。 

 

 

あくまでAさんの”命のスープ”(好きな食べ物)で、他の人には効き目はないかも・・・ってことを覚えておいて下さいねー。

 

 

 

 

 

さてさて、本日からは、【スピ200%”命のスープ”】のお話。

 

つまり究極の”命のスープ”を求めて♪私の”命のスープ”って何?となります。

 

 

私の原点に戻りますねー。

 

原点に戻って・・・、となると、【私の両親】のことが真っ先にでてきます。

 

 

父親は、世間的にはいわゆる【愛想のいい人】でした。

 

 

歯科医&大学(院)の先生の立場で、毎年100人ほどの教室生が集まる”人気のセンセ”だったのです。

 

 

その為、大学での授業と、同大学(院)〇〇教室での指導との両方をこなしていました。

 

 

晩年には、大学病院院長も兼任していたので、その多忙さはどれほどか! ・・・想像がつくでしょうか。

 

 

世間の評判より、家族は、特に母親はやはり父の身体を心配していました。

 

 

もっと休んで欲しい! 

 

家では、の〜んびりして欲しい!

 

ゆっくりごはんを食べて欲しい!

 

 

母親は家族の為に、ちゃんとお食事を用意してしていたのに、、、

 

 

それこそ「命のスープ」を用意していたのに、父はお付き合いの為、外食が多かったのです。

 

 

父親のこの多忙さというのは、私が小学生のころから、いいえ、多分生まれる前から・・・のはず。

 

 

時代は、1950~1960年代。

 

 

いわゆる高度経済成長の時代です。

 

 

中学生になると、私は思春期特有のナマイキになっていきます。

(汗)

 

ついこの間まで、両親のことを大尊敬していたのに、

 

「あれっ?? もしかして・・・」

 

 

「いい先生」と言われているが、ひょっとしてそれって

 

”八方美人”

 

なんじゃないの?(13歳のコトバです)

 

 

 

母親に対しては、

 

「なんでもっと、家にもっといてゆっくり休養して欲しい!」

 

って言わないの?(13歳のコトバです)

 

と思っていました。

 

 

 

具体的に言うと、生活のなかではこんな感じです。

 

 

教室生が、大学だけではなくて、先生の自宅に電話してくる、夜遅くまで電話。また、自宅にやってくる・・・、。

 

 

その他に、先生同士の”綱引き”などなど、大学内のさまざまな出来事&もめごとが、自宅にまで襲ってくる!

 

 

それは、毎日・毎月・毎年のこと・・・。(≧▽≦)

 

 

そして「いいセンセ」と呼ばれていた父は胃がんを患い、最後には肝臓がんに転移して、カラダはボロボロ。

 

 

(なんでやねんっ!)

 

 

元気だったころから想像もできないほど痩せて、もう生きるチカラを失い、還暦を迎えて数日後に亡くなりました。

 

 

父親の死は、家族はもちろん大黒柱を失った悲しみでした。

 

 

また、大学にとっても教室生にとっても哀しい出来事・・・のはずでした。

 

 

 

しかし、多くの人たちは、翌年から、多分3年後位から、お世話になった「中村センセ」のことは忘れてしまったようだったのです。

 

 

「あれ!あれれっ!? これが現実なの??」

 

 

母がそのことに憤慨するのを見て、20代前半の私が思ったことは?

 

 

・・・

 

・・・・

 

・・・・・

 

 

キツイ言い方ですが、

 

「八方美人のなれの果て」!

 

 

 

私がその時に決心したこと、それは、

 

私は「八方美人」にはなるまい!

 

でした。

 

 

 

なんでも「はい」「はい」と言って受けて、

 

=====

 

自分や家族の時間を無くしても、仕事の付き合いの方を優先するというのは、ひょっとして間違ってない?

 

=====

 

 

と私は思っていました、この時の私は23歳。

 

 

 

いまから47年前(1973年)の一般常識は、「仕事熱心は美徳」だったのです。

 

 

思えば、当時の23歳が疑問に感じたことは、2018年の今では、たいした違和感もないですよねー。

 

 

私の社会人1年生での学びは、「八方美人にはなるまい」でした。

 

 

「付きあい悪いヒト」とか「自分勝手な生き方」とか言われても、仕方ない!

 

 

 

「いいヒト!」と言われて忙しい思いをして、家族に哀しい思いをさせて、短い人生で終わるのは、あまりにもバカバカしい!!

 

 

自分の人生は、自分の思うように生きたい!

 

 

人に、社会に、翻弄されて生きるなんてイヤっ!!

 

 

23歳の私中村幸子は決心していたのです。

 

 

しかし、この現実が起こる以前は?

 

 

矛盾したことに、父親の看病や母親が病院詰めだったので、

 

 

私はOLの仕事を毎日しながら、自宅の家事を全部受け持ち、週末には病院に行って母親の食事や着替えやのことで超~~多忙!

 

 

 

こういう生活が半年以上つづき、悲しみや腹立たしさにうち打ち震えながら、父の死後数ケ月、

 

 

私の身体は絶不調!

 

 

胃腸病院での検査の結果は、

 

 

「難病の潰瘍性大腸炎という病気です。この病気は、大腸がんになることもありますから、十分養生して・・・」

 

 

と院長先生に告げられました。

 

 

 

私の生き方は、病気で倒れるまでまっしぐら!でした。(苦笑)

 

 

(アホみたい・・・)

 

 

「NO!」と言えない父と同じように、私も父のDNAを着実に受け継ぎ、仕事に雑務にあまりにも忠実でした・・・。(汗)

 

 

私がこの時期学んだこと、そしてずっと守っていること、それは、

 

 

「八方美人でいると、自分を殺すことになる」

 

 

 

 ~~~~~

 

 

みんなの友達は、誰の友達でもない。

 

Ami  de  tous, ami  de  personne.

 

~~~~~

 

 

 

【人生の成功法則】スピ200%究極の”命のスープ”を求めて♪私の”命のスープ”読本①は、いかがでしたか?

 

 

今日のお話の続きは、明日18時に!

 

 

明日は、スピ200%究極の”命のスープ”視点からの「母について」です。 

 

 

お楽しみに~~!

 

 

 

23歳の時に潰瘍性大腸炎と診断されるも、47年後のいま元気に「2歳~6歳さんの為の子供料理・お菓子教室」講師をしている中村幸子でした。

 

 

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。