延命十句観音経の解釈の続きです。

浄楽我浄(じょうらくがじょう)の
  浄徳
    生まれ子の  次第次第に知恵づきて
          仏に遠くなるぞ  悲しき

という歌のとおり、人間本来の浄らかな
本性が、理性の知恵でくもってゆくのを嘆いたもので、知るは悲しみのはじめといいますが、清浄心を常に磨いておかない限り、罪悪のはじめといっていいのかもしれません。

そして、心だけではなく、身体も常に清浄に
たもってゆかなくてはならないのです。
身体を汚くしておくとそれにしたがって
心も汚くなってきます。
入浴して垢を落とすということは心に付いた
垢もあらいきよめると言うことでなければ
なりません。
便所はご不浄といって、だれしもその掃除を
することを喜ばないのが普通です。
しかし、たいがいの人の好まないような、
汚いところを、進んで清浄化するということは、無限の功徳を積むことになります。

排泄が円滑に行われることによって
人間は精神爽快、病も治り、円満な気持ちに
なれるのです。折角きれいに掃除をして
もらった便所を汚したり、感謝の心も持たずに出入りしたのでは、恥ずかしいことです。
更に、粗食、少食でお腹も清浄に。

これらの心構えが浄徳になり、観音様と同じ
衆生である私達の大慈大悲を成就する
根本の力となる徳行が浄楽我浄の徳です。

   【45年前に竹井博友氏の著書からの抜粋です。】

本日の明治神宮本殿前には9時50分に
立ちました。

雨は少し小降りに変わりました。


9時過ぎから参宮橋駅前の整骨院での
予約をしてありましたので、それに
合わせました。

お陰さまで殆ど良くなりました。

肩と首もほぐしてもらいました。
整形外科もですが、整骨院、整体も
1度くらいしか行ったことがありません。

30歳の👨ですが、手が温かくて、
応対も丁寧で腕の体操も指導して下さり、
今まで縁の無い場所でしたが、これからも
時折ほぐして貰いに行こうかしらね。

明治神宮の参道に竹箒が立て掛けて
ありました。
生えている竹を何本か束ねただけの質素な
ものですが、それで、いつもこんなに綺麗に
参道を掃き清めています。



参道の横の芝生には可愛い花が咲いて
いました。





雨上がりで眩しい青さです。



五人の子供たちの内、上の3人が
音楽家です。
その3人姉弟の演奏です。

良かったらお聞き頂けましたら嬉しいです。

ヴィオラはMichiko.
ピアノはFujiko.です。

しげまさがNYのセントラルパークで
歌っていた時にご家族でファンになって
下さって、沢山助けてくださいました。
奥様のエビィさんは若くしてお亡くなりに
なりました。

エビィさんのご命日に合わせて
しげまさが歌います

エビィさんが好きだった歌。

セリーヌ・ディオンとアンドレア・ボッチェリ The Prayer