『空海散歩』第三巻より
誤曲未だ終わらざるに悲引たちまちにせまる
『三教指帰中』

【無情の変化は、陽気な旋律がまだ終わらぬ
間に、急に悲しい音調に転調するような
ものである】

以下は愛知県稲沢市 長福寺の
ご住職 鈴木睦さまの法話です。

●花一輪の音もなく、
静かに散りぬ、春の夕べに。
散る桜、残る桜も散る桜

また友達の一人が旅立ちました。明日は我が身、老いも、病も受け入れて。今日一日を楽しく生き抜こう。
  咲いた花は散る。今日と同じ明日はない。
やまない雨はない。桜が咲いて春が来る。
藤が咲いて香りを届けてくれる。
紫陽花が雨にさえる。
  若いころは、今日は山へ紅葉を求め、
明日は海へ魚釣り、と出かけるのが楽しみ
でした。青春を謳歌し、毎日生きている
喜びの日々でした。同時に嫌なことも多々ありました。仕事が思うようにいかない、
子供が登校拒否、お爺ちゃんが認知症で
時々行方不明になる。予期せぬ出来事が
次々起こり、不眠症になりました。
  それでも、太陽が西に沈み、一日が終わります。生きていてよかったと、床に就きます。
朝が来て仏様先祖様に手を合わせ、今日こそ
目標を達成するぞ。五年後には社長だ。
二十年後には庭付きの一軒家に住むぞ。
世界一周の船旅を、長生きして人生楽しもう、そんな夢に生きがいを感じていました。
八十歳を超えると、足腰が思うように
動きません。自動車免許を返納して花見に行きたくても叶いません。
  明日の明かりが見えてきません。遺言書、
書斎の整理、写真の整理、なんだか終活気分の毎日です。庭の桜は今年も綺麗に咲きましたが、アッというまに散りました。藤の花も見に行く前に終わってしまいました。毎日が早くて早くて、諸行無常です。刻一刻と世の中は変化しています。一時たりとも留まる事はありません。
  若い時は、まあいいか明日に延ばそう。
来年にしよう。八十五歳の今日この頃は
一日短くて、みじかくて、「明日にも死が」
と思える毎日です。仏さまから預かった命、
明日に延ばさず今日をいっぱい、楽しんで
生きようと!
  花も人も一瞬。大きな岩もやがて砂となり
消えてしまいます。時は金なり、時は人を
待たず。

  娘が嫁と花咲いて   カカとしぼんで
      婆(ばば)と散る           鈴木睦

以上。

何だか楽しそうな方ですね。
お会いしてみたくなりますね。

そしてYouTube宣伝です😀

数年前のニューヨークのセントラルパーク
ベセスダで歌う中野 成将(しげまさ)

観光客に愛されたキラキラと輝いていた
公園は今閉鎖されています。

この場所で芸術家ビザで10年間
過ごさせて頂く事が出来ました。
有り難う御座いました。