先日、家電に綺麗な声の女性で、


「たえ…?」とかかってきました。


「妙恵(みょうけい)と言います。」と言うと、


「あのう、その方は透視が出来ますか?」


一瞬「うっ」となりましたが、即座に


「できません」とお答えしました。


「では、どなたか、そういう方をご存知ですか?」


「いいえ、そういう方は存じ上げません」


「そうですか…」


明らかにがっかりした様子。


「もし、お話をお聞きするとか、困っている事がありましたら

いつでもお聞きすることは出来ますから」

と答えました。


「うっ」となったのは、私に霊視とか、透視とかの方面の

感じ方が出来るんだったかな?と思ってしまったから。

出来ない事がこの電話の主の助けにならないな。

と感じたからでした。


言葉遣いの綺麗な人でした。


心も優しく、弱いのでしょう。


それだけに、変な霊媒師に多額のお金を出してしまわないか

心配でした。


お寺で行をしていた時には不思議な体験は沢山しました。


毎日仏様と真摯に向き合っていたら神経も研ぎ澄まされて

見えない事や、聞こえない声が聞けたりします。


修行をしたお寺の奥様は、感じやすい方のようですが、


その、見える事や、感じる事は

「あって当たり前、無くて当たり前の世界なんやからね」

と見えても見えなくとも、取り立てて大騒ぎをすること

ではない。と話されていました。


一緒に行をした人から「天から金粉が降ってきた」

と言って、私に手の平にきらりと光る粉を、

「ほらね」と見せられたことがありました。


誰でも時々手の平がきらきら光っている事がありますよね。


また、「自分が本気で唱えたらこの本堂の天井が破れてしまう。」


「私は何でも霊視出来る」などなど。


すでに信者を抱えている人だということでした。


心の弱い人はそういう「見える」と言う人に頼りたがる。


本当に見えたり感じたり出来る人は自慢したり、誇張したりは

しません。ましてや高額な品を売ったりもしません。


代々木公園で卒論の資料作りの為、道行く人にインタビューを

したことがあります。


その時、一生懸命に話しを聞いていると、一瞬、その人の

おばあちゃんの姿とか、今は茶髪の目の前のその人が少し前、

真っすぐな黒髪だったという姿がイメージとして出てきたので、

そう話したら、驚かれた事がありました。


本来は誰にでも備わった能力なのかもしれません。



仏教では、全てこの世は「空」であるとされています。


くう、とは、からっぽで何もないというのではなく、

存在はしているけれど、それに色をつけているのは

自分だといいます。


恋愛で悩んだり、お金を心配したり、仕事の人間関係、

家族の関係、自身の体の心配などなど、

悩みは尽きる事はありませんが、

悩み製造会社ではなく、わくわく探し会社設立をして、


全ての出来ごとを、「そうなんだ」と受け止めて

毎日わくわくする楽しい事探しを一つ見つけられたら

良いんだな。


そうは思ってもやはり気付くと悩んでいるのが人間。


「そうか、今、自分は悩んでいるのかあ。」

じゃあ、ついでにわくわく探しも一つ見つけることに

しましょうか。