れんです。
「なんのために 生まれて なにをして 生きるのか こたえられないなんて そんなのは いやだ!」
アンパンマンの歌詞、深い...。
私は答えられません。ただ、惰性で生きています。
特にやりたいことや学びたいこともなく、生きる糧とできるような好きなこともありません。
しかし、幸運なことに私には両親がいて、家があって、学校に通わせてもらえるだけのお金もあって、ご飯にも困らない環境があります。
つまり、私自ら「生きよう!」と思い頑張って生きているのではなく、恵まれた環境にいるからたまたま生きているのです。
「惰性で生きている」という表現が適切ではないでしょうか。
私はどちらかといえば思慮深い人間です。小学生のころから、ぼーっとしながらあれこれ頭の中で考えていました。
「自分は将来何になるんだろう」「何がしたいんだろう」
この2つの疑問は常に頭の片隅にありました。10年ほど経った今でも答えは見つかっていません。
というのも、やりたいことが全くないのです。
幼稚園の時、将来の夢を書くという時間に私は「普通のサラリーマン」と書いたそうです。お手上げですね。
加えて、「生きがい」となるようなものも私にはありません。
私の中で「楽しさ、嬉しさ」よりも「苦しさ、辛さ」が勝ってしまうのです。
大学に入学と同時に、飲食店でアルバイトを始めました。2年ほど続けましたが、アルバイトの前の日は「明日はバイトだ...いやだ...」といった憂鬱に支配され何も手に付かず、いざバイトを終えても「また明後日もシフトか...」と次の勤務日のことを考え憂鬱になっていました。その結果、シフトも週1~2に減らしコロナ渦もあって辞職しました。
アルバイトの収入でいくつかものを買ったり遊んだりもしましたが、もともとインドア派で物欲もあまりない私は「○○が欲しいからこれくらい働こう!」といった前向きな形にはならず「これくらいしかシフト入れたくないから○○は買わなくていいや、△△に行くのもやめよう」という風になってしまっていました。この時点で「喜楽」よりも「苦痛」が上回っているのです。
これは人生に置き換えても同じことが起こります。
「苦痛に耐えながら大学を出て、就職をして、毎日働いて、そうまでして生きたいのか?」
こういった疑問が浮かびます。今のところ、「生きたい」とは言えません。
しかし、「死にたい」とは考えないようにしています。理性的に、客観的に考えた時に「何も死ぬことはない、生きていれば何か良いことあるさ」という意見は持ち合わせています。これは、ネガティブで否定的で後ろ向きな思考回路を持った自分への、最後の抵抗なのです。
いつか理性が負けて死を選ぶのか、「何か良いこと」があって「生きよう」と思えるのか。
私と私の一騎打ちといったところでしょうか。