『歎異抄』「何故生きる」 | カフェ点のブログ/福井片町/洋生焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日定休 営業11:00~20:00

カフェ点のブログ/福井片町/洋生焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日定休 営業11:00~20:00

福井銀行本店さんの後、徒歩1分の所(西側・片町)にあるカフェ点です。
近辺にコインパーキング(有料)があります。
お勘定が税別で¥900以上のお客様にお車1台にコイン(¥100)1個差し上げます。
出来事などを気ままに書かせていただきます

福井も週明けからやっと少しだけ

  涼風が吹き 秋めいてきました。

 

 

本日も勉強中の

「浄土真宗善知識・渡部隆史講師」のお話を参考にしています。

    詳しく知りたいお方は「YouTube」でどうぞ。

 

「歎異抄」は難しいのでとても誤解されやすいそうで

仏教のお教えの暗い者に誤解されるので封印されていたそうです

 

 

 

今日は「仏教」での

 「何故生きる」

 

 

私達にはその答えが分からない。

 

○ やがて死ぬのに何故生きる

○ どう生きる しか私達には考えられない。

○ 人生 生まれてきたのは何故か

○ 私達には死ぬまでどう生きるか・・・

            しか考えられない。

 

それが、私達人間の「知恵」というもの

           と、教えられています。

 

 

ですが、

 

その答えが

『親鸞聖人』のお言葉で

  明言されているそうです。

 

「念仏者は無礙の一道」という言葉で

  ねんぶつしゃはむげのいちどう

         明言されているそうです。

 

 

 

【阿弥陀仏】の『本願』に救い摂られて

  念仏称えている人は絶対の幸福者だ

    本当の幸せになった人だ   

 

これを「無礙の一道」というのです  

        と、説かれています。

 

何ものも障りにならない      

 「絶対の幸福」本当の幸せ

 

 

 

 

ある哲学者が仰ったそうです

 

「歎異抄」は哲学をはるかに超えている

 人は何故生きるのか

  一番大切な問いにハッキリ答えを出しているからです。

 

 

 

「弥陀の誓願不思議にたすけられ参らせて            

              往生をば遂ぐるなり」         

                     と                                    

と、信じて「念仏申さん」と思いたつ心の発るとき

                      はつ             

 すなわち摂取不捨の利益にあずけしめ給うなり   

                  せっしゅふしゃのりやく         たも     

 

 

 

本日はここまでです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。