それは「迷信」です。 | カフェ点のブログ/福井片町/洋生焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日定休 営業11:00~20:00

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福井銀行本店さんの後、徒歩1分の所(西側・片町)にあるカフェ点です。近辺にコインパーキング(有料)があります。
お勘定が税別で¥900以上のお客様にはコインお車1台に(¥100)1個差し上げます。出来事などを気ままに書かせていただきます

今日の福井は良いお天気になり

 気温も上がるそうです。

 

明日はさらに上がり「夏日」の予報も出ています。

 

 

 

今日も「仏教」を少し、

 

【お釈迦様】

「吉日良辰」を選ぶことなし

きちじつりょうしん

        と、仰っています。

 

 

日の良し悪しを問題にしないのが

 【お釈迦様】

       「仏教」です。

 

 

皆さんが忌み嫌う「友引」も「迷信」で

 昔、中国が戦争の時に使った言葉で

   共に引き分けという意味だそうです。

 

それを日本に渡って友を引くからと、

 忌み嫌われるようになったそうです。

 

 

火葬場の帰りに頂く

  清め塩もいりません。

(死はけがれではないのでいらないのです)

 

〇冥福を祈るも無し

〇引導を渡すも無し

〇戒名を授けるも無し

〇末期の水をとるも無し

〇追善供養をしなさいとも言っていません

(葬儀や法事、お墓の事もしなさいとは教えていません)

 

 

 

 

 

ですから、

 

「親鸞聖人」が仰っています

 

 

「葬儀」「法事」は    

亡くなった人を「読経」して   

「極楽浄土」へ浮かばせようという  

             行事ではなくて、

 

残された私達が真剣に「聞法」をして

   「信心決定」する日なのです。

 

  そうでなければならないのです。

 

 

 それが本来の「法事」や    

      「葬儀」だそうです。

 

 

葬儀や法事の時は、

 私達はまじめに「死」を考えられるのです。

 

 残された遺族はお父さん、お母さん、

  妻や夫は死んでどこへ行ったのだろう?

 

     今、どこにいるんだろう?   

 

自分もやがて死んだらどうなるんだろう?

  そう思って、

 真剣に「聞法」出来るのです。

 

 

 

 

 

「葬儀」や「法事」を手厚くしないと   

   「浄土」へ行けないのではなくて  

(いくら手厚くお金をかけても往けません)

 

 

今、生きている「この世」で      

 生きているうちに「信心決定」した人は

        どんな人でも     

 

死んだら そく「浄土」へ往けるのです。

 

 

(死んだらそこにあるのは亡骸だけで

  49日間この世で

   さ迷っているのでもないそうです)

 

 

 

【阿弥陀仏様】

  『極楽浄土』に生まれ

   「仏」になれるのです。

 

 

『領解文』の中に書かれています。

りょうげもん

 

 

そうでない人は迷いの世界の  

  「六道界」のどこかに   

   また、生まれるのです。 

   浄土へは行けないのです。

 

 自分の今までの業によって  

       生まれる先、  

   行く先が決まるそうです。

 

 

業=自分の今迄の行い

 

六道界= 地獄界、餓鬼界、畜生界、

     修羅界、人間界、天上界。

 

   

     

              それでは、

 

                 今日はここまで。