「念仏を称えていれば浄土へ往けるのではない」 | カフェ点/TENのマスターのブログ/ 福井片町/ 洋菓子・チョコレート製造・レストラン/ 日・祝日定休 営業11:00~22:00 

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日々の出来事などを気ままに書かせていただきます

今日も良いお天気で

 暑いぐらいの日になりました。

 

 

 

さて土曜日、

 

今日も勉強中の「仏教」を少し

 

皆さんは

『親鸞聖人』

 「念仏」を称えていれば

  「極楽浄土へ往ける」と教えた人

    と、思っていませんか?

 

 

  それは違います。

 

 

 

 

「念仏」はなぜ称えるのか?

 

「念仏」にも

 「自力の念仏」

  「他力の念仏」があります。

 

 

「自力の念仏」とは 

 自分はこれだけ「念仏」を称えて居るのだから 

  「浄土」へ往けるだろう。         

 

これだけ称えていれば、

 死んで悪いところへは行かないだろう。

    助けて下さるだろうと思っている「心」・・・

 

 

  こういう気持ちで称えている念仏の事を

   「自力の念仏」と言うそうです。  

 

 

 

 世間一般の人に知られていることであり

  そう思っている人が大部分ですが、

 

『蓮如上人』が             

それ人間に流布して、皆人の心得たる通は 

 何の分別もなく            

   口でただ称名ばかりを称えたらば、 

  極楽に往生すべきように思えり。   

    それはおおきに覚束なき次第なり。

 

 

 

 何の分別もなく口で 只、

 「南無阿弥陀仏」

  「南無阿弥陀仏」と

    称えていれば

  「極楽往生」出来る・・・

 

 

 

  世間中が皆そう思っているけれど  

   それは『親鸞聖人』の教えではありませんよ

 

 

 

 

    『蓮如上人』が仰っています。

 

 「往生浄土の為には

    ただ「他力の信心」

        一つばかりなり」

 

 

 

 極楽浄土へ往くには                     

 「他力の信心」それただ一つですよ

   それひとつが大事なんですよ。

 

 

 

 

『親鸞聖人』

     

 こんな気持ちの事を

 

 本願の嘉号を以て 

        かごう    もって

  己が善根とする 

    おの   ぜんごん

 

       と、仰っています。

 

 

 

 

 

 

 

『親鸞聖人』

 

「極楽浄土」へは         

 「他力の念仏」で往けるのですよ。

 

       と、仰っています。 

(違いは 称えている時の心が違うのです)

 

 

「他力の念仏」とは

「仏教」の「善知識」を説くお方から

真剣に聴聞していれば、疑いの心がすっかりきれいに無くなる時が来ます。

その時「一念」で「信心」を賜る時があるのです。

 

一念=一瞬よりも短い極速の事。

 

 

 

それを『信心決定』と言います。

    (「往生一定」とも言います)

 

 

 

『親鸞聖人』

「たのむ一念のとき 往生一定となる」

【弥陀の誓願】不思議に助けまいらせて・・・

 

 

 その時、

「助けられたー!」という喜びから

  ありがとうございます!   

   ありがとうございました!!

 

 

  という喜びから

   思わず口から溢れ出す「念仏」

   『南無阿弥陀仏』      

     『南無阿弥陀仏』・・・ 

 

その上の称名念仏は         

   『他力の念仏』とか      

    『仏恩報謝の念仏』と言います。

      ぶっとんほうしゃ

仏恩=【阿弥陀仏様の御恩】

ぶっとん

助けられた喜びの「御恩報謝の念仏」であり

 

この念仏が「他力の念仏」なのです。

 

 

 

 それでは、

 

 今週も関わって下さった

 全ての皆様ありがとうございました!

 

明日は日曜・定休日です。

 

1日店もブログも休ませていただきます。

 

来週もどうぞよろしくお願いいたします。

 

ありがとうございました!!