おはようございます。
昨日のつづきです。
何のために今人間界に生まれてきたのか・・・
それは、
今、命のある間に「平生業成」し、
(平生=生きている今この世で)
(業成=人生の大事業の「信心」を成し遂げる)
【信心決定】
するためです。
人は身近な人を亡くして、
はじめて、
死んだらどうなるのか?
死んだ人は何処へ行ってしまったのか?
法事や葬儀の時には、
私達は一番真面目になれるのです。
その一番真剣に「死」の事を考えられるときに
僧侶から「仏法」を聞かせて頂くご縁とするならば
それは有り難いことですが・・・
そうであれば、
法事や葬儀も意義がある事。
と、説きます。
ですが、
「読経」だけで終ってしまい
「説法」がないのであれば
ただのセレモニーになってしまいます。
そんな「法事」や「葬儀」では
「親鸞聖人」の教えに
反することになってしまう。
と、説いています。
その一番私達が真面目になり
真剣に「仏法」を聴ける状態の時に
「親鸞聖人」の教えを説かなければいけないのです。
それが「僧侶」の
本業なのです。
そして、
毎日の忙しい中でもこの時には
「死」を考え 自分を振り返れる気持の時に
只のセレモニーで終らせるのではなく
僧侶から「説法」をお聴きして、
そして、 その機会を仏縁とするならば
「法事」や「葬儀」も尊い事である。
と、説きます。
それが、
「親鸞聖人・浄土真宗」の
教えなのです。
つづく