カフェ点のブログ/福井片町/洋生焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日定休 営業11:00~20:00

カフェ点のブログ/福井片町/洋生焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日定休 営業11:00~20:00

福井銀行本店さんの後、徒歩1分の所(西側・片町)にあるカフェ点です。近辺にコインパーキング(有料)があります。
お勘定が税別で¥900以上のお客様にはコインお車1台に(¥100)1個差し上げます。出来事などを気ままに書かせていただきます

8月24日(土)

今日も「猛暑日予報」の福井です。

 

台風10号の行方が気になりますが

      どうぞ ご注意を。

 

  お早うございます!

 

 

 

 

 

今日は「仏教」での

 他人の言うことをいちいち気にしなくて良い。

     と、いう教えを

「浄土真宗・善知識の菊谷隆太講師」のお話を

    参考にして書かせていただきました。

 

 

 

皆にてほむる人もなく

 

  皆にて謗る人もなし

          そしる

 

 

○ 皆から好かれようとしなくて良いんですよ。

 

  今日褒めたかと思うと

   明日は悪くいう 

     それが人の口

 

 

 

○ 他人鏡というものはそういうものだ

 

   (他人鏡=人の目に映る自分)

 

 

○ けなされたと言って 泣く必要なし。

○ 褒められたと言って 

    浮かれて騒ぐこともいらない。

 

  嘘っぱちの世の中で

   そらごと戯言の人の評価に

    一気一隅しなさんな

 

 

 

『仏教』では、

 

「他人鏡」は,

     あてにならない「鏡」ですよ。

 

 

○ 全ての意見を正面から受け止めなくて

           良いのですよ。

 

○ 皆から好かれようとしなくて良いんですよ。

 

○ 好きでもない人から

     好かれようとしなくて良いんですよ。

 

 

大衆の評価は都合によって

 コロコロ変わるので

当てにするものじゃありませんよ。

 

         と、説きます。

 

 

最後に、

 

 「一休さん」のお言葉。

 

今日褒めて

 

 明日悪く言う人の口

 

  泣くも笑うも 

 

   嘘の世の中

 

 

それでは、

 

今週も関わって下さった全ての皆様

 ありがとうございました。

 

明日は日曜定休日です。

 

店もブログも休ませていただきます。

 

来週もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

ありがとうございました。!!^^

8月23日(金)

「台風」が又、発生したそうですねー

 

来週初めにかけて、

 日本列島の

  ど真ん中を目掛けてくる予報です。

 

大事になりませんように。

 

 

 

お早うございます!

 

今日は『親鸞聖人』の説いた

「浄土真宗」の正しい仏教は? について、

 勉強中の「菊谷隆太講師」のお話を参考に

                                   書かせていただきます。

 

 

 

『親鸞聖人』そして、

その3代目の

『覚如聖人』そして、

その8代目の

『蓮如聖人』

お三方が書かれたものを

「浄土真宗」

『お聖教』(おしょうぎょう)

     と、いうそうです。

 

 

その「お聖教」のとおりに

  説かれているのが、

 正しい「浄土真宗」の

「仏教」ということです。

 

 

『浄土三部経』といって、  

【お釈迦様】の       

『重要なお経』が三つ出ていて

その後に、         

 『親鸞聖人』

 『覚如聖人』

 『蓮如聖人』の書かれたものが

『真宗聖典』には全部辞典として

     載っているそうです。

 

 

今日ここまでです。

 

ご覧頂きありがとうございました。

 

8月22日(木)

今日も暑くなりそうな福井です。

 毎日天気予報を見ていると

  全国ではこれ以上のところがあるのですねー

 

自分は冷房の効いた室内で

 毎日仕事が出来る有り難さに本当に

      感謝せねば。

 

 

 

 

 

お早うございます!

 

今日は私達に

 正しい「信心」を知ってもらいたいと

『親鸞聖人』が書かれた

 『正信偈』(しょうしんげ)

(ただしいしんじんのうた)

 

 

『親鸞聖人』

 一文字、一文字 涙を流されながら

  心を込めて書かれたものと伝わる

  『正信偈』について。

 

   

 

(「浄土真宗・善知識 菊谷隆太講師」の

       お話を参考に書かせて頂きます)

 

 

 

「信心」とは特定の神や仏を信じる事と思っていますが、

   それは違うそうです。

 

神や仏に限らず何かを信じていれば

 それは、その人の「信心」だと、説きます。

 

言い換えれば、

「信心」とは  何かをあて力にする。

 

 ○ 支えにする。

 ○ 頼りにする。

 

 

 

生きているときに

 夫は妻を頼りにして、

 妻は夫を力にして生きています。

 

子供は親を頼りにし、親は子を力にして

   お互いを信じて生きて居る。

 

 

 

何かを信じて

 人は皆生きていると説きます。

 

 

 

何かを信じていないと私達は生きていけません。

 

一番問題なのは、

 何を信じて生きるのかが一番大事。

  と、説きます。

 

 

 

それは、

 

信じていたものに裏切られた時に

  私達は苦しむからです。

 

信じている気持ちが大きければ大きいほど

   悲しみも怒りも大きいのです。

 

 

 

 

それでは、

 

私達が信じているものに

 これだけは裏切らないというものがあるでしょうか?

 

私達は最後は死ななければなりません。

 

 

いよいよ死ななければならないと

   突きつけられた時には

どんなに愛する家族も一緒についてきてはくれません。

 

 

 

どんなに貯め込んだ

 お金や財宝も一文も持ってはいけないのです。

 

全てのものが総崩れになってしまうのです。

 

 

 

 本当の幸せになりたかったら  

  死が来ても崩れる事のない  

  「正しい信心」を持ちなさい。

 

と、

『親鸞聖人』

     教えられているのです。

 

 

では、その正しい   

 「信心」とは何か? 

 

それが『正信偈』に     

詳しく教えられているのです。

 

 

これでお分かりのように、

「お経」は、

(「正信偈」はお経ではないですが)

死んだ人のために称えているのではない事が

ご理解いただけると思います。

今、生きている私達に説いておられる文言なのです。

ですが、私達には難しい漢字と文言ばかりで

その意味が全く理解できずに只、聞いていました。

今まで只、称えていました。

この文言の意味を誰も教えてくれませんでした。

 

まだ、今からでも間に合います。

正しく教えてくださる「善知識」のお方から

真剣に「聴聞」してください。

 

 

*「お経」は『お釈迦様』が説かれたことを             お弟子が 書き残したものです。  

(7千余巻という膨大なものだそうです)      それを、『親鸞聖人』  は全て読破し、

そして、全てを理解して私達に説かれたのです。  

 

 

 

「浄土真宗・善知識」

お薦めのお方は

「菊谷隆太講師」と

「渡部隆史講師」のお二方です。

(このお方、お二人のお陰で私は救われました)

 

YouTubeでいつでも聞けます。

 

 

 

それでは、

 

今日はここまでです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

8月も後半に入ったのに

 暑さは少しも和らぎませんねー

 

以前は「旧盆」を過ぎると

 朝、晩はグッと気温が下がったのに。

 

 

 

お早うございます!

 

それでは、

 

今日も昨日のつずきで、

『親鸞聖人』の教え

 『浄土真宗』での「お墓」についてです。

(「浄土真宗」

  善知識・菊谷隆太講師のお話を参考にさせて頂きました)

 

 

 

『親鸞聖人』は死体の後始末に

 そんなに力を入れなくても良いと仰っているのです。

 

 

 

『法然上人』

 「私には「墓」はいい」と、

         仰ったそうです。

 

「私の墓は「念仏」が  

   あるところが墓だ」と、

        仰ったそうです。

 

 

 

 

『親鸞聖人』

「恋しくば           

 【南無阿弥陀仏】を称うべし  

  我も『六字』の中にこそ住め」

 

「『親鸞』を思って下さるのなら     

  【南無阿弥陀仏】と、称えてくれ」と、

           仰ったそうです。 

 

 

【南無阿弥陀仏】を大切にするのが

 『浄土真宗』なのです。

 

 

 

ですから、

 

亡くなった人を偲ぶときには、

【南無阿弥陀仏】に向かって

  合掌礼拝する  のが

『浄土真宗』のあるべき姿だそうです。

 

(【阿弥陀仏】の絵像や木像ではないのです)

 

 

 

 

 

それで、

 

そもそも墓はいるのか? ですが、

 

私たちは毎日、

 普段は、忙しい!  忙しい!!

    と、暮らしています。

 

 

ですが、

 

毎日、忙しく生きている私たちですが、

 大切な人や、身近な人を亡くしたときには

    

  いずれ自分も死ぬんだなー

 

限られた「命」何のためにあるのかなー

    と、しみじみ感じるのです。

 

 

 

お父さんやお母さんの人生って、

  一体何だったんだろう・・・?

 

 

次は自分の番だけれど

 自分はどこへ向かって

  生きれば良いのだろうか? 

   と、静かに考えされられるご縁が

 

亡くなった人の「葬儀」や「法事」

 「墓前」に手を合わせるときに感じるのです。

 

 

普段は忘れている 

 父や母の事を想い出すのです。

 

 

 

「墓」の形はどうであれ

 「仏法」を聴かせて頂くご縁とするならば

 

「墓参り」も「法事」も有り難いことで、

    意義のある事になります。

      と、説きます。

 

 

亡くなった人をご縁として、        

 親戚、縁者が一同集まって無情を念じて  

  「仏法」を聞かせて頂こうと、それが  

我が身が真剣に聞かせて頂く「ご縁」となれば

『親鸞聖人』「浄土真宗」が教える

 「聞法求道の勝縁」となり、   

「お墓」や「法事」の意義になると説きます。

 

 

 

それでは、

 

今日はここまでです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

毎日暑い日がつずきますが

 今日の福井は少し気温が下がるそうです。

 

 

お早うございます。

 

 

お盆の期間中

 お墓参りをされたお方も多いことでしょうが、

 

「お墓の意味・お墓は必要か?」

 

今日は「浄土真宗・善知識」の

「菊谷隆太講師」のお話を参考に書かせていただきました

 

 

 

『親鸞聖人』の教え

  「浄土真宗」では

 

結論から言いますと

「お墓」が大事とは仰っていないそうです。

 

人が亡くなったら「お墓」を造りなさいとも

 葬儀や法事をしなさいとも教えていないそうです。

 

 

 

ですが、

 

納骨とか葬儀、法事などで

 僧侶から「阿弥陀経」や

  「正信偈」を読んでいただいて

 

その意味を僧侶から聞法する事は

 尊いことなので良いことですが

  お墓に魂入れとか、

   墓じまいのお魂抜きなどは

「浄土真宗」では 説いていないそうです。

 

 普段こうするべきとかは「俗信」で 

   信じられていることであって、 

 

『親鸞聖人』

「浄土真宗」では

お墓の中に亡くなった人が入ることはないので

 その必要がないと教えています。

 

 

『親鸞聖人』

「ご遺言」で仰っているそうです。

 

「我が歳きわまりて

  安養浄土に還帰す」

    あんにょうじょうど   げんき

 

 

(私はいよいよ死ぬ時が来たけれども

     今から弥陀の浄土に往く)

 

 

 

「弥陀」に平生救い摂られた人は

 死んで墓にじっとしてなんか居ません。

 

浄土に往って仏になって大活躍するそうです。

 

 

「弥陀の本願」に救い摂られずに

 人生を終わった人も墓には居ないそうです。

 

自分の業で

 「六道」のどこかへ往き輪廻するのです。

 

 

 

 

 

【お釈迦様】が仰っています。

 

「未来の果を知らんと欲すれば

      現在の因を見よ」

      

 

未来の結果を知りたければ、      

 現在、自分はどんな行いをしているのか

  自分の行いによって次の世界の   

   どこへ行くのかが決まるのだと。 

 

自分のまいたタネまきによって、

 次の世界どこへ行くのかが決まるのだと

   「仏教」では教えているのです。

 

自分の「業」によって生み出して

  「流転輪廻」を続けているのです。

 

「輪廻」するとは

 車輪が回るように同じ所を

    廻り続けること。

 

何れにしても、

 死んで墓の下にじっと

  座っているという事はないそうです。

 

 

『親鸞聖人』

       晩年に仰ったそうです。

 

「親鸞閉眼せば 

  加茂河に入れて

    魚に与うべし」

 

 

親鸞死んだら、この肉体を河に入れて

  魚に食べさせてくれれば良い

 

肉体の後始末よりは、

 生きている今「正しい仏法」を聞いて

  本当の幸せになる事が大事ですよ。

    と、仰っているのです。

 

 

 

   長くなりましたので

     今日はここまでです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

今日は8月19日(月曜日)

「お盆」も過ぎて又一週間が始まりました。

 

皆さんの「お盆」は如何でしたか?

 

 

 

 

お早うございます。

 

昨日の休日はお陰様で何事もなく

 ゆっくり休ませて頂き

  一日の半分以上は眠っていました。

 

 

よく眠った日曜の夜は決まって

     「夢」を幾つも見ます。

 

今朝起きがけにも変な「夢」を見ました。

 

 

 

それは、もう30数年以上も前の旧店舗で

 仕事をしている「夢」なのですが、

 

 

それは、

 お客様、4名様から

「ココア」のオーダーが入ったのです。

 

「ココア」は直ぐに作れたのですが、

 カップに注ぎ入れて、

  そのカップをソーサーに乗せると・・・

 

 ソーサーが何か汚れているのです。

 

 

そこで、

 洗っていたのでは遅くなるので

  ソーサーを取り替えようと思うのですが、

 

たくさんあるはずのソーサーが見当たらないのです。

 

仕方なく洗うことにして、 洗いました。

 

そして、

 カップを乗せると又汚れているのです。

 

 

それを何度も繰り返し・・・

 

早く提供しないとココアが冷めてしまう。

 それを気にしながら・・・

 

又洗い直す。

 

たくさんあるはずのソーサーを何度探してもない・・・

 

それの繰り返しのところで

       目が覚めました。

 

 

旧店舗の夢は、もう長い間見たことないのに・・

 

 何なんでしょうね?

    変な「夢」でした。

 

 

 

それでは、

 

今週もよろしくお願いいたします!^^

今日は台風の影響でしょうか

 福井も朝「小雨」が降りました。

 

 

みなさんの所では

 台風の影響は大丈夫だったでしょうか?

 

 

 

 

お早うございます。

 

 

昨日書かせて頂いたように

 この世で命尽きてから

 又、来世でも人間に生まれることは

     とても難しいそうです。

 

又、苦しい「六道界」のどこかに生まれ

  迷いの世界で苦しむことになるのです。

 

 

 

そんな哀れな私たちを

【阿弥陀仏様】

    可哀想で放っておけないと

 

  私たちを救うために

  【弥陀の本願】

          たてられたのです。

 

 

 

それが、「六字の名号」

        ろくじのみょうごう

【南無阿弥陀仏】です。

 

 

 

世間ではこの

【南無阿弥陀仏】称えてさえいれば

  「極楽浄土」へ往けるように      

        教えるお方がおられますが、

 

 

【お釈迦様】の教えは

      そうではありません。

 

 

 

【阿弥陀様】から

   『信心』を賜った後に

 

 

『信心決定』の喜びと御礼の気持ちから

  しんじんけつじょう

 思わず口から溢れ出す「念仏」

       『信心正因称名報恩』

         しんじんしょういんしょうみょうほうおん

 ◎「信心が肝要」なのです。

 (「信心正因」=「信心」が一番大事なのです)

 

 

 そして、『称名報恩』

 【南無阿弥陀仏】なのです。

  「称名」=南無阿弥陀仏(6字の名号のこと)です。

 

 

その「念仏」は、お礼の「念仏」ですから  

 『信心決定』の後にすぐ命尽きてしまって 

  一度も「念仏」を称えられなくても   

  間違いなく『極楽往生』できるのです。 

 

 

  「信心決定」していない「念仏」は

   何万回称えても「極楽往生」は出来ないのです。

 

 

それでは、

   どうすれば良いのか?

 

 

それは正しい「仏教」を説く       

「善知識」のお方から自分が納得できるまで

   疑いがすっかり晴れるまで、    

        「真剣に聴聞」する。  

 

   これ一つです。

 

何かの修行をしなければいけないのでは

              ないのです。

 

私達がどんなに修行したところで

          遠く及ばないのです。

 

『親鸞聖人』が比叡山で9歳から20年間

 最大のご修行をされても 

       及ばなかったのですから。

 

【阿弥陀仏様】に『信心』を賜り

   救って頂く以外に方法はないのです。

     

 

 

 

 

 

それには、

 

真剣に聴聞していれば

「一念」で「信心」を賜るときが来ます。

 

それは、はっきりと自分で分かります。

          感じます。

 

 

「一念」とは、

 極速(時間の極まり)アッ”ともスッ”とも言う間の事。

   

 

それが、

 本来の【お釈迦様】が教える

       正しい「仏教」です。

 

 

 

その正しい「仏教」を教えるお二人

  善知識・菊谷隆太講師と

  善知識・渡部隆史講師がおすすめです。

 

 

 

それでは、

 

今週も関わって下さったすべての皆様

     ありがとうございました。

 

明日は日曜・定休日です。

 

1日ブログと店を休ませて頂きます。

 

ありがとうございました。!!

 

関東甲信への台風が気になるところですが、

 どうぞ大事にならないように祈ります。

 

 

お早うございます。

 

 

昨日のつずきになりますが、

 

私たちは「現世」で命つきたら

 自分の「業」によって

 「六道四生」で輪廻してどこかに姿形を変えて

  又、生まれると「仏教」では説きます。

 

神様や仏様、

 自分以外の力(他因)でどうにかなるのではなく

  これまでの永い々前世の自分の業(自因)で

    「来世」が決まると「仏教」では説きます。

 

 

 

ですから、

 

 次 又、人間に生まれられるのではないそうです。

 

 

 

以前に書かせて頂いた

     「盲亀の浮木」の譬え

       もうきのふぼく   たとえ

 

 

大海の底に盲目の亀がいました。

 その亀は100年に一度だけ浮いて来て

           海面から頭を出すそうです。

 

そして、

 海面には真ん中に亀の頭が入るほどの「穴」の空いた

         「丸太棒」が風や波に揺られて

 あっちにフラフラ、こっちにフラフラと漂っています。

 

その「丸太棒の穴」に100年に一度浮いてきた

       「亀の頭」が入ることがあると思うか?

      と、「お釈迦様」が、

                        あるとき弟子に問うたそうです。

   

弟子は、「いいえ、お釈迦様 そんなことは考えられません」

                  と、答えると、

 

「お釈迦様」

     「絶対にないか?」

 

 弟子は、 「いや、絶対とは・・・」

 

 

 

「お釈迦様」 

        そうだろう。 

 

    だが 又、人間に生まれるということは

          それほど難しいことなんだよ。

     

      と、説かれたそうです。

 

 

これが、

 

仏教での「盲亀の浮木」の譬えです。

 

 

 

それでは、

 

 今日はここまでです。

 

最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

今日は「お盆」の15日

 親戚縁者が集い

楽しいひと時をお過ごしのことと思います。

 

 

お墓参りをされたお方や

 これからのお方も多い事でしょう。

 

 

 

 

ところで、

 

年に何度かのお墓参りも尊い事ですし

   意味がないのではないですが、

 その中にご逝去された方がおられるわけではないそうです。

(暗くて冷たい墓の下にいるのも可哀そうですが)

 

 

 

お墓を前にして

 亡くなったお方をしのぶのもいい事です。

 

 

 

ですが、

 本当にご先祖が喜ぶことは

  残された私達が生きているこの世で

    真剣に「来世の事」を考え

 

生きている今、

 この世で「信心決定」の身になり

  二度と崩れる事のない「本当の幸せ」になる事こそが

 

最もご先祖が喜び、望んでいる事ではないでしょうか?

 

 

私は、「浄土真宗」の熱心な門徒の家に生まれ

 両親から悪いことをしたら「地獄へおちる」

           と、聞かされて育ちました。

 

 

 

ですが、

 

私達すべての人間は

 嘘もつくし、妬み、嫉みの煩悩の塊で

  生き物も殺す「極悪人」で

  「煩悩具足の凡夫」(ぼんのうぐそく)だと

 「仏教」では説かれているのです。

 

 

 

私達から「煩悩」をとったら何も残らない

 古今東西すべての人間の中身は

 「煩悩」に手足を付けたようなものだと

  「仏教」では説かれているのです。

 

 

  ですから、

 

【阿弥陀仏様】

      眼からご覧になったら地球上の全人類

        この世のすべての人間が

       「悪人」なのです。

 

 

このままでは死んだら

「極楽往生」できる人間なんて

     一人も居ないそうです。

 

 

 

それでは、

 どうなるのか?

 

亡くなった人は「自分の業」によって

 次の世界「六道四生」で輪廻して何処かに生まれる。

  と、「仏教」では説かれています。

 

「輪廻」とは、車輪が回るように同じところをグルグルる事。

 

 「業」(ごう)とは、自分の行いの事。  

 

  〇 意業(いごう)=心の中で思った事。

  〇 口業(くごう)=口から出た言葉。 

  〇 身業(みごう)=体で行う事。   

 

 *仏教では心で思う事を一番重要視します。

  心で思えば、いつか口から出ます    

  そして、いつか行いとなるからです。  

 

 

「六道四生」とは、       

 「地獄」「餓鬼」「畜生」    

  「修羅」「人間」「天上」の  

       六つの世界の事です。

(四生=胎生・卵生・湿生・化生)

それぞれの六道界の中でも     

   幾つにも分かれるそうですが。

 

 

それでは、

 

長くなりましたので今日はここまで、

 最後までご覧頂きありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は8月14日

 「お盆」ですねー

 

 

お早うございます。

 

 

 

 

私事で大変恐縮ですが、

 

私には兄が3人と

  姉が3人います。

 

 

子供の頃、

 14日の「お盆」になると

  兄や姉が帰省してくるのがとても楽しみでした。

 

「お盆」近くになると

 毎日、指折り数えて待っていたのを

             思い出します。

 

一番下という事もあり

 兄、姉から可愛がられた記憶も沢山あります。

 

 

その兄姉も

 存命は姉一人と

  兄が一人になってしまいました。

 

 

時々思うのです。

 

今頃、

 妻や 兄・姉は何処で何をしているのかナー と、

 

               

今更【阿弥陀仏様】にお願いしても

     詮無い事かも分かりませんが、

   毎日、妻と兄、姉の事をお願いしています。

 

 

 

『お釈迦様』「仏教」では

(『親鸞聖人』『蓮如上人』)

 

 

自分がこの世で「信心決定」したならば

「浄土」へ往ける身になれるのです。

 

そして、

 死ねば「極楽往生」出来て

     「仏」になれるのですよ。

 

「成仏」出来たならば

 縁者を自分で救えばいいと説かれています。

 

 

 

  それで、

  仏教を真剣に勉強するようになったのです。

 

 

 

 

 

今日は

『蓮如上人』絶筆「御文」から

 

 

あわれあわれ 存命の中に

 

皆々信心決定あれかしと 

 

   朝夕思いはんべり

 

まことに宿善まかせとはいい

                            ながら

 

  述懐のこころ 暫くも

 

   止むことなし

 

 

 

 どうか皆さん 早く信心決定してもらいたい    

 存命の中ですよ 命あるうちですよ        

 死んでからでは手遅れですよ           

 そのこと一つを 朝から晩まで 晩から朝まで一日中

 四六時中ずぅっと蓮如は思いつずけているのですよ 

 

 

 

    お墓参りやお経を聞けるこの機会に

      お一人でも多くのお方が

       真剣に考えて頂ければいいなと思い

                 書かせて頂きました。