カフェ点のブログ/福井片町/洋生・焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日 定休 営業11:00~20:00

カフェ点のブログ/福井片町/洋生・焼き菓子・クッキー・チョコレート製造販売・カフェ/日曜・祝日 定休 営業11:00~20:00

福井銀行本店さんの後、徒歩1分の所(西側・片町)にあるカフェ点です。
近辺にコインパーキング(有料)があります。
お勘定が税別¥2,000以上のお客様にお車1台にコイン(¥100)1個差し上げます。
出来事などを気ままに書かせていただきます

2025/12/22(月曜日)

 

今週は「Xmas」です

 今年もあとわずかになりました

 

 

それでは

  今日も勉強中の「仏教」を少し

 

『蓮如上人』の思い・・・

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

         参考にして簡単に書かせていただきました」

  (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

 今日は『蓮如上人』のお言葉

 

            哀れ哀れ

   存命の中に皆々

        信心決定あれかしと

         朝夕思いはんべり

 

 

       「信心決定」=【阿弥陀仏】に救われて        

                    【弥陀の浄土】へ往き   

            「仏」に生まれ変われることが決まったこと  

  

 

 

 

  この蓮如が

    朝な夕な思うことは

 

 

    可哀そうだなぁー

      不憫だなぁー

 

   どうか、

   早く皆さんが『信心決定』

          してもらいたい

 

 

 そのためには、どうしたら、

      どうしたら、

        どうしたら・・・

 

 

どう説いたら誤解なく 教えを

   伝えることができるのだろうか・・・

 

 

早くみんなが「本当の仏教の教え」によって

   【阿弥陀仏】の救いにあってほしい

      救われてほしいという事を

 

 朝から晩、

   晩から朝まで 

    どうしたら、

      どう説いたら・・・

 

どうすれば、

 みなさんがもっとわかるように

   そのために 

     どうすれば・・・

 

 

 この蓮如はそのことだけを思い続けてきた

 

 

  最後までご覧頂きありがとうございました

 

  明日と明後日は「Xmas」のため

         「ブログ」を休ませて頂きます

   

    今週もどうぞよろしくお願い致します

2025/12/20(土曜日)

 

今日の福井は最高気温が19℃と

       11月上旬の気温になるそうです

 

 

 

  それでは

     今日も勉強中の「仏教」を少し

 

  『仏教での幸せな人』とは・・・

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

        参考にして簡単に書かせていただきました」

 (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

   〇なぜ生きるのか・・・

  〇どこに向かって生きているのか・・・

  〇生きる目的が分からない・・・

  〇人命の尊厳が分からない心・・・

 

 

 それが分からない心を

 《仏教》 では

  『無明の闇』     と言います

 

 

その『人生苦』をなくすため   

 『無明の闇』を破るための教えが

      《仏教》 です  

 

 

   無碍の光明は    

     無明の闇を破する 

        恵日なり 

    (むげのこうみょうは

       むみょうのやみをはする

           えにちなり)

 

   〇無碍の光明=他力の事

 

  《他力》には闇を破るものすごい   

          《力》があるのです 

 

 この破られた時に 

  人間に生まれてこれて良かった!

   と、いう大きな喜びが起きるのです

 

  「生命の歓喜」と言って

 

  人間に生まれてきたのは

    この身になるためだったのかー!

 

  『人身受け難し いますでに受く』 

 

 生まれがたい人間に生まれる事が出来て良かった”

         と、いう大きな喜びが起きるのです

  だから人命は尊厳だったのかと知らされるのです

 

 

 

  これを《仏教》での言葉で

   『無上の幸福』と言います

 

 

  この『他力』があることを

  【お釈迦様】

 そして

        《法然上人》

    《親鸞聖人》

       《覚如上人》

        《蓮如上人》

  生涯かけて私達に教えられたのです

 

 

        それでは

           今日はここまでです

 

 

    最後までご覧頂きありがとうございました

 

 

    明日は日曜・定休日ございます

 

    店とブログを休ませていただきます

 

    来週もどうぞよろしくお願い致します

2025/12/19(金曜日)

 

  今日の福井は「快晴」の予報です

 

 

  それでは

       今日も勉強中の「仏教」を少し

 

 

  今日は 『仏教の原点』である

 

  『諸行無常』 

       しょぎょうむじょう

 

 「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

         参考にして簡単に書かせていただきました」

  (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

  この世の中 全てのもの

 

  人生における出来事も全てのものが

                 『無常』 なのです

 

    

   全てのものは続かないのです

 

     ○すでに無くなったものは元には戻せません

         

     ○まだ失われていないものも

                   いずれは失います

 

    ○どんなに愛しい大切な人も

                                                      いずれ失うのです

 

 

 元には戻せないのですから

  くよくよせずにすでに失われたものを

 肯定して、

         受け入れてこれからの事を考える

 

 

 これを《仏教》では

 『行雲流水』 (こううんりゅうすい)

                                        と言うそうです

 

 

水や雲が流れていくがのように

             障害物があっても

                         サラサラと受け流していく

 

 

人生における出来事も

    受け入れて生きていく・・・

 

      と、思っても私達人間は

                 「煩悩具足の凡夫」ですから

       ぼんのうぐそくのぼんぶ

           それが出来ないのです

 

                           具足=かたまり

                           凡夫=人間

 

 

   執着なく生きていこうと思っても

                                                         出来ないのです

 

    それが「煩悩」の塊の 

          私達 人間の姿なのです

 

 

 

    それなのに

 

     私達は

          絶対に失わなければならない世界に

                    今、生きているのです

 

           

       これだけは変わらないでいてほしい!

 

   これだけは、これだけは・・・と、

        執着しているばかりの     

         私達人間がこの世に生きているのです

 

       常に私達の幸せというのは

            いつか裏切られていく、

                      悲しい 寂しいものなんですよ

 

          と、いうことを

    《仏教》では説かれているのです

 

 

 

        それでは

           今日はここまでです

 

       最後までご覧頂きありがとうございました。

2025/12/18(木曜日)

 

 

それでは

   今日も勉強中の「仏教」を少し

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

         参考にして簡単に書かせていただきました」

 (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

 

今日は『親鸞聖人』のお言葉 より

 

 

 

  曠劫多生のあいだにも 

    こうごうたしょう

 

  出離の強縁知らざれき 

    しゅっり   ごうえん

 

   本師源空いまさずは 

   ほんしげんくう

 

   このたび空しく過ぎなまし 

          むな      す

 

 

 

 

親鸞は何回も生まれ変わり                            

                      死に変わりを重ねてきて           

                 生死、生死流転を重ねてきた       

                     ずっと迷い続けてきた ・・・  

 

その間本当の幸せ知りたいと思って    

  探し求めてきたけれども       

 グルグルと迷いの世界から出られない  

  

この出離の強縁があることを           

                                  親鸞は知らなかった        

ずっと億劫多生の長いあいだ           

             知ることができなかった   

 

幸せになりたいと思ってきたけれども     

  ちっともここから離れられなかったのは  

     出離の強縁を知らなかっからだ

 

   それを教えて下さったのが    

                                            『本師源空』でした 

 

 

     億劫=何億万年×何億万年

 

     本師=私の先生

 

     源空=『法然上人』

 

     出離=迷いの世界から抜け出す

 

     迷いの世界=「六道界」

 

 

 

 もし《法然上人》にお会いすることができなければ  

     今生もまた空しく人生を終えていただろう  

 

 何のために生まれてきたのか、                                         

       何のために生きているのか分からず     

 

 虚しい人生で終わっていただろう                                     

      危ないところを《法然法人》に救われた 

 

 

 

《法然上人》との出会いを深く感謝され 

  そして、歓喜されている      

   《親鸞聖人》のお言葉だそうです   

 

 

 

 

       それでは        

          今日はここまでです

 

 

     最後までご覧頂きありがとうございました

2025/12/17(水曜日)

 

今日の福井は午後には「雨」の予報で

       「雷雨注意報」も出ています

 

    どうぞご注意を!!

 

 

それでは

 

  今日も勉強中の「仏教」を少し

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

          参考にして簡単に書かせていただきました」

  (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

『信心決定』した者は

 

 この世で「弥勒菩薩」と同格になれる 

        みろくぼさつ

 

 

今日はちょっと難しい言葉が並びますが

 

【阿弥陀仏様】

『本願』に救われるという事は

   どれほどスゴイ事”か! という事を

 

 理解してもらうために書かせて頂きました

 

 

 『臨終一念の夕           

        大般涅槃を超証す』

                              だいはつねはん

 

   死ぬと同時に(肉体の臨終)

    《仏》になれる

  《弥勒菩薩》をとおりこして

        《仏》のさとりを開く

 

 

《弥勒菩薩》は今迄に 

(みろくぼさつ)

  何億年×何億年かけて 

 

 気の遠くなるような長い年月をかけて 

      修行に修行を重ねて    

 

 今、やっと《仏》の一つ下の      

       51位におられるそうです 

 

そして、

 《仏》の位の52位になるのには      

  あと56億7千万年かけなければ      

     《仏》の52位にはなれないそうです

 

    《仏》の位には52位の位があるそうです

    《お釈迦様》は52位だそうです

 

 

ですが、

 

【阿弥陀仏様】

 《本願》 にこの世で救われて

『信心決定』した者は  

 

 

  一足飛びに 

  生きている今 この世で  

    51位の《弥勒菩薩》と 

       同位になれるそうです

 

 

 

 

そして、

 

 死ぬと同時に一念で(極速で)

   《弥勒菩薩》を飛び越えて 

       『極楽浄土』に生まれ、  

 

 52位の《仏》に    

      生まれ変われるそうです

 

 

そのように《親鸞聖人》が 

         仰っているのです

 

 

 

 

  念仏の衆生は

 

    横超の金剛心を

 

   きわむるがゆえに

 

     大般涅槃を超証す

 

 

        今日はここまでです

 

     最後までご覧頂きありがとうございました

2025/12/16(火曜日)

 

今日の福井は午後「雨」になり

   昨日よりも2℃ほど下がって

      平年並みに気温が低く寒くなるそうです

 

 

それでは

 今日も勉強中の「仏教」を少し

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

         参考にして簡単に書かせていただきました」

 (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

地球上に今生きている全ての人が

               心に「無明の闇を抱えている」

 

 

  どんな大富豪でも      

  どんな地位がある人でも   

  どんなに恵まれているように 

       見える人でも・・・

 

 

 

   心の奥底には

     「人生の目的に暗い心」を持っている

 

    〇何のために生きているのか?

 〇なぜ生きているのか?

 〇何のために生まれてきたのか?

 〇何故こんな辛い人生を生きなければならないのか?

 

 

  こう聞かれて戸惑う心

  

  ハッキリしない心

 

 

 これを《仏教》

  『無明の闇』 というそうです

     むみょうのやみ

 

 

    ただ、考えてもしょうがないから、

      

    そんなこと考えると気分が滅入るから

                            考えないようにしているだけなのです

 

ですが、

          「死」は全ての人に必ずやってくる事ですよ

 

それが、

  年齢には全く関係なく

      今日かも、明日かもわからないのですよ

 

 

 今、現世に生きている全ての人が   

   『無明の闇』を抱えているのです

 

 

(どんな著名人でも臨終の間際になってから      

  不安が襲ってきて 何故今迄考えなかったのか   

   後悔するそうですが   その時ではもう遅いのです)

 

 

 

その根源は

   『後生の一大事』 

 

 

    後生=死んだ後の事

   一大事=死んだらどこへ行くのか

 

 

その『一大事』を 

 生きている今 現世で 解決をする

 

 

死んだら

 自分というもの以外は全てが無くなってしまうのです  

  年齢に関係なく、今 生きている全ての人に     

   考えたくなくても何時か必ずやってくる事なのです 

 

そして、

 財産も地位も名誉も、

  今迄あて力にしていた妻や夫、子も友も全てのものが  

   自分から離れて 消えて無くなってしまうのです          

  そんな事考えたくなくても 丸裸になってしまうのですよ

 

   その時 不安で目の前が真っ暗になる事を

          『無明の闇』というのです

 

 

 たった一人で自分は何処へ行くのか?

    それが『一大事』なのです  

 

 

 それを解決するには

    生きている今が大事なんですよ

 

 いつ死んでも明るい未来が待っている身に

           早くなりなさい

 

    これが《仏教》の教えなのです

 

 

 

それには、

  《正しい仏教》を 

正しく説くお方からの『聴聞』只ひとつ”

 

 

間違った教えをいくら聞いても

           何にもなりません

 

 

 

    最後までご覧頂きありがとうございました

2025/12/15(月曜日)

 

12月も中旬となり気ぜわしくなってきました

 

 

  それでは、

    今日も勉強中の「仏教」を少し

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

        参考にして簡単に書かせていただきました」

  (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

  《信心決定》ただひとつ”  

 

 

【阿弥陀仏様】

 

 「老少善悪」人を選ばず

   全ての人を救うと仰っているのです

 

  私たちが今人間に生まれ

    毎日辛くても

 生きていかなければならないのは

            何のためか?

 

 

《親鸞聖人》

 

私たちが今この世に生きているのは

 【信心決定】 するためだ

           と、仰っておられます

 

 

 

《蓮如上人》も  

 

【信心を決定】せずは      

   今度の報士の往生は不定なり 

 

 

《信心決定》しなかったら          

  死んで極楽浄土へ往く事はできませんよ

               と、仰っているのです。        

 

 

  〇 どれだけ修業したか

  〇 どれだけ罪を造ったか

  〇 賢いか愚かかも関係ないのです

 

     どんな人も必ず救う

 

 

 

 今、辛い人ほど    苦しい人ほど 先に 

         救って頂けるそうです 

 

 

 

それが、

 

【阿弥陀仏様】

   【本願】 なのです。

                           (大慈悲なのです)

 

    最後までご覧頂きありがとうございました

 

          それでは

      今週もどうぞよろしくお願い致します

 

2025/12/13(土曜日)

 

今日の福井は日中は貴重な晴れ間がありそうです

 

   有効利用したいですね

 

 

それでは

   今日も勉強中の「仏教」を少し

 

『念仏を称えていれば          

        浄土へ往けるのではない』

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

        参考にして簡単に書かせていただきました」

 

皆さんは

『親鸞聖人』

 「念仏」を称えていれば

  「極楽浄土へ往ける」と教えた人

    と、思っていませんか?

 

  それは違います  

 

 

 

「念仏」はなぜ称えるのか?

 

『念仏』にも

  『自力の念仏』

    《他力の念仏》があります

 

 

『自力の念仏』とは 

   自分はこれだけ「念仏」を称えて居るのだから  

                「浄土」へ往けるだろう            

 

これだけ称えていれば、                                                        

 死んで悪いところへは行かないだろう       

   助けて下さるだろうと思っている「心」・・・

 

  こういう気持ちで称えている念仏の事を    

        『自力の念仏』と言うそうです 

 

 世間一般の人に知られていることであり

     そう思っている人が大部分ですが、 

 

《蓮如上人》が             

それ人間に流布して、皆人の心得たる通は 

 何の分別もなく            

   口でただ称名ばかりを称えたらば、   

  極楽に往生すべきように思えり。      

    それはおおきに覚束なき次第なり     

 

何の分別もなく口で 只、        

 《南無阿弥陀仏》                       

  《南無阿弥陀仏》と              

    称えていれば                

  『極楽往生』出来る・・・

 

 

 

 世間中が皆そう思っているけれど  

    それは《親鸞聖人》の教えでは   

         ありませんよ      

 

と、 このように

  《蓮如上人》  が仰っています

 

 往生浄土の為には

    ただ《他力の信心》

        一つばかりなり

 

 

 

 極楽浄土へ往くには                            

  《他力の信心》それただ一つですよ  

   それひとつが大事なんですよ         

 

 

 

 

《親鸞聖人》

     こんな気持ちの事を

 

 

 本願の嘉号を以て 

        かごう    もって

    己が善根とす

        おの   ぜんこん

 

 

                 と 仰っています。

        

 

      『親鸞聖人』

 

《極楽浄土》へは         

 《他力の念仏》で往けるのですよ       

      と、仰っているのです 

  (違いは 称えている時の心が違うのです)   

 

 

「他力の念仏」とは

「仏教」の「善知識」を説くお方から

 真剣に聴聞していれば、

疑いの心がすっかりきれいに無くなる時が来ます

 

その時「一念」で「信心」を賜る時があるのです


  一念=一瞬よりも短い極速の事

 

 

それを信心決定》と言います  

    《往生一定》とも言います

 

 

 

《親鸞聖人》

   「たのむ一念のとき 往生一定となる」

【弥陀の誓願】不思議に                             

                                              助けまいらせて・・・

 

 

 その時、

「助けられたー!」という喜びから     

  ありがとうございます!        

   ありがとうございました!!     

 

 

 という喜びから

  思わず口から溢れ出す《念仏》

   【南無阿弥陀仏】      

     『南無阿弥陀仏』・・・ 

 

その上の称名念仏は         

 《他力の念仏》又は       

   《仏恩報謝の念仏》と言います

    ぶっとんほうしゃ

 

     仏恩=【阿弥陀仏様の御恩】

       ぶっとん

    

   助けられた喜びの

         《御恩報謝の念仏》であり

 

 

 

この《念仏》

《他力の念仏》なのです

 

 

 

 それでは、

   最後までご覧頂きありがとうございました

 

   明日は日曜・定休日でございます

   1日 店もブログも休ませていただきます

 

   来週もどうぞよろしくお願いいたします

2025/12/12(金曜日)

 

今日は寒くなる予報で

 山沿いでは雪が降るかもの予報です

 

  どうぞ ご注意を!!

 

 

それでは

 今日も勉強中の「仏教」を少し

 

「菊谷隆太・善知識講師又は渡部隆史・善知識講師のお話を

          参考にして簡単に書かせて頂きました」

 (詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

 

 《親鸞聖人》 

 

  遺骨を粗末にしたり、                               

 葬式やお墓を立派なものにしないと  

   故人が浮かばれないとか、   

 祟りがあるなどとは説いていません  

 

「人間界」に生きている今、                       

 私達の「信心決定」が一番大事で、      

 死んだ後の肉体の後始末は そんなに 

問題にするべき事ではないと説いてます 

 

 《仏教》では「他因自果」は認めません 

     (他のものが原因で自分に厄が起きることはない)      

 

 

《仏教》では「自因自果」                               

 自分の行い(業)が全ての結果となる 

          と、説きます   

 

 

 

そして、

 

「仏教」では                                                       

 故人は残された遺族全ての幸せを   

               一番願っている のです    

「故人」に                                                           

  お金をいくら使っても喜びません  

                お金で成仏するものではない   

  残された妻や子(遺族)に使う事を       

           一番望みます 

 

 

 故人は自分が居なくなってからの 

  残された遺族のことが 

   一番の気がかりで、心残りなのです

 

 

 自分が居なくなってからも 

  幸せに生きて行ける事を一番望むし

 故人が一番” 喜ぶ事なので 

   それがいちばんの「供養」になる

                                            と、説きます

 

 

 

《仏教》では

 『葬式』は皆が集まったのだから

  《仏》の教えを聞かせて頂く

    丁度良い機会とすれば良い

 

          

         と、説きます。

 

 

  最後までご覧頂きありがとうございました

 

2025/12/11(木曜日)

 

今日の福井は日中は「晴れ」ですが

  夜には「雷雨」の予報で

   明日にかけては冬型になり

              「雪」が降るそうです

 

    どうぞ ご注意を!!

 

それでは

  今日も勉強中の「仏教」を少し

 

 

 『お墓の意義』  

 

「浄土真宗・菊谷隆太善知識講師のお話を参考にして

            簡単に書かせていただきました」

(詳しくお知りになりたいお方は「YouTube」でどうぞ)

 

 

『親鸞聖人』の教え

  『浄土真宗』 では

 

 結論から言いますと

  「お墓」が大事とは仰っていないそうです

 

人が亡くなったら「お墓」を造りなさいとも

 葬儀や法事をしなさいとも教えていないそうです

 

 

 

 ですが、

 

 納骨とか葬儀、法事などで

   僧侶から「阿弥陀経」や

     「正信偈」を読んでいただいて

 

 その意味を僧侶から聞法する事は

   尊いことなので良いことですが

      お墓に魂入れとか、

    墓じまいのお魂抜きなどは

  「浄土真宗」では 説いていないそうです

 

 普段こうするべきとかは「俗信」で 

       信じられていることであって  

 

『親鸞聖人』

「浄土真宗」では

お墓の中に亡くなった人が入ることはないので

          その必要がないと教えています

 

 

「ご遺言」でも仰っているそうです。

 

「我が歳きわまりて

   安養浄土に還帰す」

      あんにょうじょうど   げんき

 

 

(私はいよいよ死ぬ時が来たけれども

       今から弥陀の浄土に往く)

 

 

 

【弥陀】に平生救い摂られた人は

                           死んで墓にじっとしてなんか居ません

 

    浄土に往って《仏》になって大活躍するそうです

 

 

【弥陀の本願】に救い摂られずに

   人生を終わった人も墓には居ないそうです

 

自分の業で

 「六道界」のどこかに生まれ輪廻を繰り返すのです

 

 

 

【お釈迦様】が仰っています

 

未来の果を知らんと欲すれば

     現在の因を見よ

      

 

未来の結果を知りたければ           

 現在、自分はどんな行いをしているのか

  自分の行いによって次の世界の   

   どこへ行くのかが決まるのだ      

          と        説かれているのです  

   自分のまいたタネまきによって

       次の世界どこへ行くのかが決まるのだと

                                     《仏教》では教えているのです

 

 「輪廻」するとは車輪が回るように同じ所を

            グルグル廻り続けること

 

  何れにしても  死んで墓の下にじっと

        座っているという事はないそうです

 

 

《親鸞聖人》

       晩年に仰っていたそうです

 

『親鸞閉眼せば 

   加茂河に入れて

      魚に与うべし』

 

 

親鸞死んだら この肉体を河に入れて           

      魚に食べさせてくれれば良い  

 

 

肉体の後始末よりは

 生きている今『正しい仏法』を聞いて

    本当の幸せになる事が大事ですよ

       と、仰っているのです

 

 

   最後までご覧頂きありがとうございました