「ねぇ、お父さんはこのお店知っていたの?」
「まぁな」
「じゃぁ、竜宮伝説は?」
それについてはにこりと笑うだけで答えてくれなかった。どういうことだろう?
「知樹、今年はおじいちゃんのところに連れていけなくてゴメンな。おじいちゃん、しばらく入院することになったからなぁ」
お父さん、今度は申し訳なさそうに僕にそう言ってくれる。そんな言い方をされると、逆に僕のほうが申し訳なく感じる。
「ところで知樹はどうして竜宮伝説の洞窟に行こうと思ったんだ?」
「うん、夢で見たんだ。龍が天に昇る洞窟の夢を。それを絵に書いたら、兄ちゃんがこれって竜宮伝説の洞窟だろうって。それでマスターのブログを見せてもらったんだ」
「夢で…そうか、導かれたのかなぁ」
お父さん、なんだか意味有りげな言葉を言う。導かれたってどういうことだろう?
「はい、お待たせしました。知樹くん、飲んだら感想を聞かせてくれるかな?」
僕は早速出されたコーヒーにミルクと砂糖を入れて飲んでみる。家ではインスタントしか飲まないから、こんな本格的なのは始めてだ。ゆっくりと熱くて苦い液体を口に流しこむ。
おいしい。コーヒーをこんなにおいしいと思ったのは初めてだ。このとき、夏の香りがした。
おじいちゃんのところに行って川で遊んだり虫取りをしたり。そして縁側でスイカを食べて昼寝をして。あの独特の夏の香り。うん、これが味わいたいんだよなぁ。
けれど今年は味わえない。そう思った瞬間、今度は少し違う香りがした。
まだ感じたことがない、けれどどこか懐かしい海の香り。まだ見たことがない新しいものを探しに行く。それが今回の竜宮伝説。そんな冒険もしてみたい。夏だからこそ、やってみたい。小学校最後の夏休みだからこそ。急にそんな気持が強くなってきた。
「どんな味がしたかな?」
マスターの言葉でハッとした。あれ、今まで感じていたのは何だったんだろう?
「知樹、コーヒーとは違う別の味がして、何か感じたんじゃないか?」
お父さんの言葉に僕は首を縦に振った。
「ははは、ちょっと不思議な感覚だったかな。このコーヒー、シェリー・ブレンドはその人が望むものの味がするんだよ。人によってはその光景が見えたりすることもあるんだ。知樹くんは何か見えたのかな?」
僕は首を縦に振った。そして今感じたことを言葉にしてみた。
「夏の香りがしました」
「ほう、夏の香りか。知樹はなかなか詩人だな。もう少し詳しく教えてくれ」
お父さんの言葉に、僕は促されるように今見た光景を言葉にした。
「川遊び、虫取り、縁側でスイカ。けれどそれはすぐに叶わないものだって感じて。すると今度は海の香り。そこは真っ暗な洞窟の中。けれど輝くような明るさがある。そのとき見たんだ。僕は龍が天に昇るところを…」
僕はさっき見た映像を思い出しながら、いやさっきより鮮明に目の前に描きながら言葉をつづった。
「知樹くん、今年の夏はそれを見に行きたいんだね」
「はい、だから教えてください。あの竜宮伝説の洞窟がどこにあるのかを」
マスターはにこりと笑って、一枚の紙をくれた。
「ここが竜宮伝説の洞窟の場所だ。知樹くん、自分で探してみるといい」
手渡された紙。てっきり地図が書いてあるものと思ったけれど違った。そこにはこんな言葉が書いてあった。
『大いなる神
海に鎮座する場
その神を守る龍
常に神のおられるところへと
昇りたもう』
「えっ、これが場所ですか?」
ちんぷんかんぷんだ。たったこれだけで探せ、というの?
僕がキョトンとしていると、お父さんが一言。
「知樹、これがお前の夏休みの課題だ。一人で探してみろ」
「一人で探してみろって、どうやって?」
「それを夏休み中に考えればいいんだ」
僕はマスターから手渡された、謎の文言が書かれている紙をじっと眺めた。けれど何も思い浮かばない。