「ったく、おせぇんだよ。こっちはドキドキして待ってたんだからよぉ」
「千葉くん、ゴメンゴメン」
病院に付く前にアキはまた男に変装。そしてあたりが暗くなってからようやく病院に到着。そしてようやく千葉くんと入れ替わりだ。
「でよぉ、デートはどうだったんだ?」
千葉くんは着替えながら私にそう聞いてくる。
「で、デートじゃねぇって」
私たちのやりとりをクスクスっと笑って見ているアキ。なんとかすり替え作戦も無事終了。と思ったのだが…
「なるほど、そういうことでしたか」
ガラッと病室のドアが開いた。そこに立っていたのは白衣の医者。
「ちょっといたずらが過ぎましたね」
険しい表情で私たちに一歩一歩近づくその医者からは迫力が伝わってくる。
やばい、こりゃかなり叱られるぞ。だが、その医者の言葉は意外なものであった。
「まったく、マスターから聞かなかったら大変なことになっていたかもしれないんだぞ」
「えっ、マスターってまさか…」
「君たちはカフェ・シェリーに行ったんだろう。気がついていないようだが、私は君たちがあの場にいたときに店にいたんだよ。どうしてアキくんがお店にいたのか、私はびっくりしたよ。でも君たちが帰ったあとにマスターから事情を聞いて理解したよ。アキくん、君は自分が生きた証を残したい、そうだろう?」
「…はい」
「だったらしばらくは私の言うことを聞きなさい。そしてあなた」
医者は私の方をギロリと睨んだ。こんどこそ叱られるっ。
「これからはあなたがアキくんの手足となって、アキくんの自叙伝を作らなければならないんだ。だがアキくんにこれ以上負担はかけられない。あくまでも私の許可があるときだけ、その行動を行うこと。わかったね」
「は、はいっ」
えっ、ってことは医者からも許可が出たってことになるのか。なんだかホッと一安心。
「ま、私も及ばずながら力になるからね」
その瞬間、医者もにこりと笑顔になった。どうやらこれが医者の本音らしい。
その翌日から堂々とアキの病室に通い、そしてアキの話を聞き取る作業が始まった。そして…
「もういないんだよな」
私は今、カフェ・シェリーに来ている。そして、かつてアキと座ったあの席にいる。おそらく私の雰囲気は異様なものに見えているだろう。なぜなら、真っ黒のスーツに真っ黒のネクタイをしているのだから。
私は窓の外をボーっと眺めながら、この四ヶ月間を振り返っていた。四ヶ月前、アキと初めてメイドカフェで出会った。そして翌週、アキが白血病であることを知らされた。それから数日間お見舞いに通い、アキの望みを叶えるべく千葉くんに協力してもらい冒険に出かけた。
そしてこの店、カフェ・シェリーを知った。そこでアキのさらなる望みを知り、そして私の使命を知った。それからは医者の協力をもらい、毎日のようにアキに会いに行き、そしてアキの望みである自分の生きた証をつくることに全力を注いだ。
だが、アキの病状は日増しに悪くなり、それでも最後まで苦しみを顔に出さずに頑張った。そしておととい、眠るようにしてその一生を終えた。
「お待たせしました」
店員が静かに二つのコーヒーを運んできた。一つは私、そしてもう一つはあのときアキが座っていたところに置かれた。
「アキちゃん、もういないんですね」
店員はその意味をわかっていた。
「これがアキの最後の生きた証だ。アキ、さよなら」
ここでアキの一生を終りにしよう、私はそう思っていた。
そしてシェリー・ブレンドを口に含む。ゆっくりと眼を閉じる。アキの顔が浮かんでくる。にこりと笑い、私に語りかけてくる。アキは私の顔に触れ、そしてゆっくりとこう言った。
「さよなら、そしてありがとう」
アキと目を合わせた後、アキは遠くへと旅立っていった。そして私は目を開ける。
「何か見えましたか?」
店員が優しく私に語りかける。
「えぇ、アキの最後の言葉が聞こえました。さよなら、そしてありがとうって」
私はもう一度シェリー・ブレンドを口にする。して今度は私からアキヘ言葉を投げた。
「さよなら、さよなら」
この後、私はアキの自叙伝を自費出版した。普通の少女の普通に生きた十七年間。それを少しでも多くの人に知ってもらえれば。アキの生きた証が多くの人の心に残ってもらえれば。その思いで出した本。
もうアキはここにはいない。
けれど、アキは多くの人の心の中で生き続ける。 これでいいんだよな、これが望みだったんだよな。
私は空を見上げ、両手をいっぱいに伸ばし、そして今はいないアキを感じる。
私の心のなかに生き続けているアキを。
〈第37話 完〉