今日は事務所で薬膳茶講座「調」を。
いやー、運営が楽チンでした!
私こっちかもってなったら、ハイハイーつって出してこれるし、お湯も沸かし放題。

そして。
ちゃんとご飯食べてますか?寝てますか?息してますか?
最近その重要性を身をもって再認識してます!
なのに今日の夕飯はこれ!薬膳的にはまあ、補気を低カロリーでできて良いのですが

まぶたの裏の白いのは血虚という、貧血とは少し違うけど似た感じの状態なんですよー。
というわけで本日の塾長のまぶたの裏がこちら。

はい。真っ白。肌の色と変わらんやないか…
薬膳屋なのにここまで気血両虚になるなんて、面目が立たないのだけど、致し方ない事情もあり、そしてそれを公にできない事情もあり。しゃーない。
でも、今日のイベントで会った中医学系の方からは、これを見せたら
「今日はクマと唇の色も変だなって思ってた」
って言われて、やはり中医学系の人に嘘はつけないと実感しましたよ…

そして

今日は死について語り合う会だったんだけど
死という概念について、ですね
語り合って死を乗り越えるとか、死の恐怖を克服するとかではなく

この会は3回目を迎え、メンバーもある程度固まってきてしまっていて、割と気心が知れてきていて(とは言え、新規の方もいらっしゃる)、何でも発言できる場というイメージは出来てきてると思ってた。
でも今日、気付いた。

何でも発言できるという安心安全
の裏には、
何を言われても受け止めるしかないリスク
が隠れている

受け入れなくてもいいけど、受け止める作業は必要
だって耳から入ってきちゃうから

そして、概念について語る時、自分の持っている概念の定義が正しくて、優しくて、尊いと思っていても、そうじゃない人が一定数いるから、そこにこだわってしまうと受け止めきれないことが出てくるということ。
受け止めきれなかった時に、相手と自分の間に強弱のようなものが生まれているとタチが悪い。
そしてその強弱は、相手が作ったものじゃなく、自分が作り上げたものなことが多くて、自分が弱いと潜在的に思ってしまった時、反論もできなくなり傷になる。反論できたとしても傷になる。
自分の方が強いと潜在的にでも思えば、相手が黙るまでやりこめるかもしれない。その時は傷は残らない人の方が多い(厄介なのは、やり込めといて傷ついたという人だけど)

相手はどういう意味で言っているのか
どういう視点だとそうなるのか
同じカップを見ていても、横から見てる人と縦から見てる人では全く形が違う
それぞれの方向の2次元で生きてる人は、きっとずっと相容れない。
3次元に生きてるから、あー、そっち!って分かる。
その上で、それでも私は丸だと思うとか、長方形だと思うって主張はありだ。
でも、自分とは違う見え方があることを受け止める事で、次にまた違う見方をする人を、今度は受け入れられるかもしれない。
だから3次元で生きたいし、もっと広い視野で大きな次元で捉えられたらもっと楽だろうなと思う。

悲しみや恐怖や怒りといった強い感情は、人を2次元に入れ込むのかもしれない。
だから、仏教や道は、強い感情を持たないように、平常心を強く説くのかもしれない。

そんなことを考えた。
そしてこれって、ネットの中も(特にツイッターなのかも)そうだよな。

そして、会の後、医学に新しい展開をもたらすかもしれない概念について、気の合う方々に話した。
そうしたら、その方々は、気血が失われそうな私に、気でも血でもないしある、新しいソレを分けてくれるとおっしゃるのでお言葉に甘えた

するとこれである

信じるか信じないかはwww