大地を受け継ぐ | 旅するように暮らしたい

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元カフェオーナーの旅好き主婦が綴る、ゆるりとした日々の日記です。

ポレポレ東中野にて、井上淳一監督のドキュメンタリー映画、「大地を受け継ぐ」を観てきました。
全国順次公開予定です。
ぜひ観てください。
お願いします。

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福島県須賀川市の農家、樽川さんの原発事故後の話を聞くことがメインで、まさに、これが福島に生きる人の生の声です。
悲痛な叫びです。

原発事故後、樽川さんのお父さんは自ら命を絶たれました。

それまで真摯に、有機農法に取り組み、安心安全な作物を作り続けてきた樽川さんのお父さん。
「食の安全」に、人一倍努力と情熱を注いできたからこそ、放射能が撒き散らされたことへの怒りと絶望は、私の計り知れないものだったと思います。

私は、この5年の間、福島産の野菜やお米のことを考えるとすごく辛い気持ちになりました。
かと言って、目を背けることもできませんでした。
でも私は、今のところ福島の野菜を買うことはありません。
多分、これからも。
「ぜひ食べたい」と思うまでは。
私なりの考えがあってです。

福島の農業のことを考えると、辛い。
それは何故なのか、映画を観て、樽川さんの話を聞いて腑に落ちた気がします。

樽川さんは、事故後の作付け解禁後にできた野菜を、自分で食べようとは思わなかったそうです。
いくら出荷してもいい「基準値以下」とは言え、その野菜は放射能汚染されていることがわかっているからです。
そのことから、罪悪感が拭えないとおっしゃっていました。
それは、「国が定めた基準値」とやらは、「人が進んで食べたいと思う作物」とかけ離れているということじゃないでしょうか。
自分が汗水たらして作った作物を、食べたいと思えない現実。
それでも生きていくには、放射能が撒き散らされた大地に、野菜を作らないといけないという現実。

除染に意味があるのかもわからない。
でも、東電に賠償を求めるには、汚染された大地に作付けして被害額を明示するしかない。

福島の農家の人たちは、自分が何も悪いことをしていないのに、5年前のあの日以来ずっと、苦悩と罪悪感を強いられている。

今、福島の農家が抱える苦悩の全てが、理不尽すぎる。
本来、感じる必要の無い罪悪感に支配されている。

これが、私が感じる辛さの根底にあると感じました。
それをわかっても、何も力になれない自分に対しても、辛い。

樽川さんの、「風評被害というけれど、風評とは根も葉も無いこと。福島に関しては風評じゃない。放射能汚染は現実。だから、福島の野菜を買いたくないという気持ちはよくわかる」という言葉が、すごく印象的でした。

だから、この映画を少しでも多くの人が観て、原発について考えたり、原発を再稼働するというのはどういうリスクをはらんでいるのか、しっかり知る機会になればいいと思います。

《人間が作った原発が、「絶対安全」なんてことはあり得ない。》

樽川さんのお父さんが昔話されていたというこの言葉が、全てだと感じます。