●本当に負担かな? | わたし革命論/思考リセットでズルいくらいラクに生きる、人生を創造力を取り戻す

わたし革命論/思考リセットでズルいくらいラクに生きる、人生を創造力を取り戻す

株式会社ステラマリス代表。
メンタルが弱いままでも、ズルくラクに生きる♡実践的×論理的フィロソフィーを提唱。
元うつ・パニック大学中退、3児の専業主婦から、たった2年で法人代表へ♡現在も絶賛メンヘラ。

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●本当に負担かな?

「買ってもらう」
「おごってもらう」
「やってもらう」

なんとなく、相手に負担をかけてるような気がする、「してもらう」ということ。

これって、相手にとって、本当に負担なのでしょうか。

先日、旦那さんがコートを買ってくれました。

1万円しなかった、そのコート。

わたしはその時に、「買ってもらって、悪いな」って思いました。

「負担かけちゃったな」って思ってることに気づきました。


気づいたんです。

1万円のコートを買ったからって、わが家は明日から路頭に迷ったりしません。

夕飯のおかずが1品減ったり、寒くても暖房つけずに我慢したりしなきゃいけないこともありません。

なのに。

「負担をかけた」と思ってる。

そもそも、負担でもなんでもないからすぐに買ってくれたわけです。

わたしに喜んでほしいから買ってくれただけ。

わたしは、「わーい! 嬉しい♪ ありがとう~*\(^o^)/*」って喜べばいいだけ。

負担でもなんでもない。

そして気づきました。

わたしが、1万円で「負担」と思ってるということは。

「旦那は、1万円が負担になるくらいしか稼げない」と、決めているということ。

「わたしが」相手の豊かさや、才能を、低くしている、ということ。

なんですね~。

なんだよーーー!!!笑

わたしが稼いでこない旦那にしてたんじゃないか!!!!笑

そして、じゃあわたしががんばって稼がなきゃ。
自分のものくらい自分で買わなきゃ。

って、勝手にがんばってた。

「お前が稼がないからわたしががんばってるんだ!」という妻と。

「買ってくれてありがとう~! 頼りになる~♪」という妻と。

どっちがアゲマンでしょうか?

何気ないところにこそ、思い込みの罠が潜んでます。

世界は自分が創り出してます。

肚をくくればくくるほど、原因が見えてきますよ~。

http://ameblo.jp/cafe-etherphos/